天使のようなミハエル君がついたエグい嘘
煌びやかなシャンデリアの光と軽やかなワルツの旋律が舞踏会の会場に満ちる。
その華やかな光景の端っこで、私ことアルティリア・エドマンズ公爵令嬢はぼーっと突っ立っている。
今夜、私が転生した乙女ゲームのエンディングのイベントである卒業パーティーが開催されるので、どうせなら参加しない手はないと、結ばれる相手もいないのに見学にやってきたのだ。
このゲームでは孤児院出身のヒロインの「ララ」が魔法の才能を見出されて貴族の養女になり、学園に入学して魔法や勉学、スポーツの才能を開花させて攻略対象と仲を深めていく。
アルティリアはララの前に立ちはだかる悪役令嬢なのだが、婚約者のレオンハルト王子から「ごめん。僕はララが好きになってしまったんだ。二股をかけるのはララに不誠実だから……」と何もしていないのに婚約破棄され、断罪もされなかったために今では気楽な立場だ。
一方のレオンハルト王子はといえば、どうやらヒロインのララには選ばれなかったらしく卒業パーティーだというのに一人で所在なさげにうろうろとしている。情けない男だ。
ララが選ぶのはどうやら昔なじみのミハエル・グランスルーラ公爵令息、通称「ミハエル君」のようだと状況から推測している。
ミハエル君はゲームの中で、どこのルートにも登場する。まず、ヒロインが学園に編入する前に家庭教師としてついてくれる。入学後も困ったときは助けてくれて、好感度が上がりやすくて、その割には面倒なフラグ管理とかしなくてよくて、王子まではいかないけれどわが国で一番格が高い公爵家の嫡男で、背が高くて、金髪碧眼で、物腰がやわらかくて、イケボ。
つまり乙女ゲームに一人はいるすごい無難なチュートリアルみたいなキャラ。
だからゲームの顔であるレオンハルト王子とダブルセンターと言って差し支えないのだけど、ヒロインが選ぶにしては無難すぎるというか、簡単過ぎるキャラの気もする。
まあ、私にはララの好みなんて関係ないか……。
そんなことを考えながらローストビーフをかじっていると、ホールのど真ん中で何かを待つように突っ立っているミハエル君と目が合った。
向こうはニッ、と気取った微笑みで優雅に手を振ってくる。まさかね……と思っていると、私の隣の扉からヒロインのララが出てきたのだった。
ピンクのドレスに身を包んだララはちらりと私を一瞥して、勝ち誇ったような顔でミハエル君のもとに向かう。いや、別にうらやましくはないです。
「ミハエル君、ちょっといいかな」
「ララ、どうしたんだい」
こんなに距離が離れているのになぜか二人の声はよく聞こえるし、まるでそこだけスポットライトが当たっているようにすら感じる。まあ、ゲームの世界ですしね。
「私ね、やっとわかったの、自分の気持ち」
「……!」
おお、知ってる、知ってる。ここからヒロインが告白するのよね、このゲームだと。私は友達の後ろでプレイしてたのを見てただけだから、実際はこのゲームの内容までは詳しく知らないのだけれど。
ララはミハエル君に向かって白いガーベラをすっと差し出した。卒業パーティーで愛する人に純真な心を示す白い花を贈り、相手がそれを受け取ると、二人は強い絆で結ばれると言われている。
「私、ずっと近くで見守ってくれていたミハエル君のことが……好き」
おお~。いよいよエンディングかあ、感慨深いですね。願わくばエンディングの後に二週目開始で振り出しに戻る、という展開だけはやめてほしい。
「すまない、ララ。君の気持ちには応えられない」
ミハエル君はいつもと同じ、天使のような穏やかな微笑みで。
「え?」
「だって、俺、君のこと嫌いだもの」
あっさりすっぱりと、ゲームのヒロイン、つまりは神に等しいはずのララを切り捨てた。
「……はい??」
ララは私と同じくらい、いやそれ以上に予想もしなかった返答に戸惑っているようで、笑顔が張り付いたままだ。
「俺が君を好きなフリをしていたのは、国のためだよ。未来のあるレオンハルト殿下が、ララの毒牙にかからないようにね」
ミハエル君はララの差し出した花をぐしゃっと握り潰した。
「な……なんで? おかしいよミハエル君。私はヒロインなんだよ? この私に選ばれておいて、告白を断るとか、ありえないでしょ……」
「俺は嘘をつき、他人を利用し、軽々しく気持ちを弄ぶような女性に心を動かされることはないよ」
……うん? 何かの間違いかと思ったけれど、どうやらミハエル君は本気らしい。ララの顔が青ざめていく様子が、こんな遠くからでも見て取れる。
「ミ……ミハエル君はそんなこと言わない!」
「言うさ。ララ。残念だけれど、君の楽しい異性交遊関係も、もうおしまいだ」
「やだ、やだ! ミハエル君にはバッドエンドなんてない! なんでそんなこと言うの!」
ララがわっと泣き崩れた。バッドエンド、ないんだ……。じゃあ、これはゲームのバグ?
「その通り。これはバッドエンドなんかじゃない。俺にとっては、正しいゴールだ」
ここは確かに乙女ゲームの世界ではあるけれど、キャラクターたちは血が通った人間だ。
……その過程で、ミハエル君は自由意志でララの持つ悪意に気が付いたということかしら。
「私のことを好きだって言ったじゃない!」
「そうだね。ララがそのまま、わきまえたいい子だったら、学園から排除しない程度には」
女の気持ちを弄んだわりに、ミハエル君の立ち振る舞いはあまりにも堂々として、まるで正義の執政官そのものだ。
ミハエル君は引き続きつらつらと、ララのかけていた恐るべき七股だの、試験問題の横領だの、裏金だの、いろんな問題を暴露していく。
「アルティリア……」
ぽかんとしたまま一方的な断罪ショーを眺めていると、レオンハルト王子がすすす、とすり寄ってきた。その姿はさんざん確認しなよって忠告したのに「大丈夫っす」って言って適当に処理して、あとから「すいません、確認したつもりなんですけど」ってミスをぶち上げてくる後輩のような雰囲気を漂わせている。
「すまない、アルティリア。僕が間違っていた」
「そうみたいですね」
「目が覚めたよ。ミハエルが身を挺して守ってくれなければ、僕は今ごろあの女に骨の随までしゃぶり尽くされていただろう……」
「はあ」
自分に女を見る目がないことを、ぜひ反省していただきたいですね。
「すまなかった、アルティリア。もう一度僕と婚約を結び直してくれないか」
「え、嫌ですよ。何を今更」
ララどころか私にも振られて、レオンハルト様は大層ショックをお受けになられたようだった。でも、優しくする義理はないので。
「私、これからどうすればいいのよ!」
「普通に働いたら?」
まだミハエル君とララは揉めていた。まあ、ここから他のキャラのところには行けないだろうしねー。
ミハエル君がララに背を向けて、誰もいないステージに、「BAD END」の文字がくっきりと浮かび上がった。目をぱちぱちさせてみたけれど、どうやらレオンハルト様には見えていないらしかった。
バッドエンドになったところで、世界が終わるわけではなさそうだ。ただ、ララの輝かしい未来が閉ざされただけ。
――もういいや。帰ろう。このゲーム、私が何かを背負う話じゃないし。
そのまま会場を後にしようとしたその時、視線を感じた。ミハエル君だ。彼はうっすら微笑んで、こちらを見つめている。
その瞳にどんな想いが込められているのか、私にはわからない。ただ一つ分かるのは、その視線に一瞬だけ足を止めてしまったのが、彼の思うツボだということだけ。
──君、何か知ってる?
ミハエル君の唇がそう動いた気がしたけれど、背を向けてドレスの裾を翻して早足で立ち去る。
本日、アルティリア・エドマンズは学園を卒業いたしまして、もう誰とも関係がございません。
だから、これからは私は私の人生を生きていきます。
とは問屋が卸してくれず、私ことアルティリアの生活に平穏は訪れなかったのだった。
■■■
「アルティリア。ご機嫌いかがかな」
パーティーから一週間後。テーブルの向こうで、ミハエル君が天使のような笑顔で私に語りかける。
「普通です」
「何か食べる?」
「食欲がありません」
なんと、ミハエル君の次のお相手に私が指名されてしまったのだ、しかもなんと彼本人からの申し出で。
■■■
卒業パーティーのあと、ミハエル君は帰宅する私の後ろをついて、エドマンズ公爵家に乗り込んできた。
そこで「ずっとアルティリアの事が好きだった、王子が尻軽女に心変わりをして一方的な婚約破棄を突きつけたのが許せなかったから卒業パーティーでララを振って本性をあぶり出す作戦を立てた、だから最初からララには気持ちがない、婚約破棄に文句の一つも言わない優しいアルティリアが心を痛めてパーティー会場を去ったのを見て思わず後を追ってしまった、どうかアルティリアと婚約させてください!」
と頼み込んできたのだ。
そのあまりに熱の入った、途中に一切の質問を挟ませないノンブレス、迫真の大演説に我が親族たちは一様に感動し、自分が悪者になってでも国が傾く原因を取り除くために奮闘したミハエル君の勇気をたたえて、娘の一人ぐらいやってもかまわん、と私をミハエル君に差し出しすことを決めた。
娘の気持ちはどうでもいいのかと問い詰めたい。
しかも、ミハエル君の言動が本心なら「まだ」良かったのだけれど。
問題は「ミハエル君は元々私が好きだった」部分については、真っ赤な嘘であるということ。
だって、私は彼と言葉を交わしたことすらなかったのだから。恋なんて生まれる余地はないのだ。
「こ、今度は何を企んでるの!?」
婚約を取り付けたミハエル君がさっさと帰ろうとしたので、思わず追いかけて彼を問いただしてしまった。それがいけなかったらしく、ミハエル君はマジで嬉しそうな顔で笑った。どうやら私は選択肢をミスって、彼の興味を惹いてしまったらしい。
「アルティリアが素敵な女性だなあと思って」
指で顎を撫でられて、恐怖で背中がぞわぞわした。
「何をふざけたことを……」
「俺のこと、信じてくれないの?」
「女子を公衆の面前でこっぴどく振っておいて、自分だけは大丈夫だとどうして言えますか?」
ララのことはどうでもいいのだけれど、次の犠牲者が私にならないとは限らない。
「それは、先にララが俺たちに嘘をついたからだろう。ああでもしなければ、まだ盲目的にララに心を寄せる男性が残らないとも限らないからね」
「それはそうですけれど……」
「その点君はずっと、まるで自分が部外者かのように振る舞っていたよね。一番被害を受けたのは、王子の婚約者から引きずりおろされたアルティリア・エドマンズだって言うのに。実に不思議で、興味深い」
驚くべきことに、ミハエル君は私やララと違って転生者ではないらしい。つまりナチュラルボーンエグ嘘野郎ということ。逆にその方がヤバい。
「それは……」
「それじゃあね、アルティリア。これからは好きになってもらえるように努力するよ」
そう言ってミハエル君はにっこりと微笑んで去っていった。
──いくら嫁ぎ先のあてがないからと言って、すぐに彼に乗り換えるほど、私は愚かではないつもりだ。
だって、ミハエル君は私が彼の嘘を信じるかどうか、今度はそのゲームをしているに違いないから。
■■■
そうして今、新しい獲物を見つけたミハエル君は私の前でニコニコしている。嘘っぽい笑顔じゃなくて、本当にゲームのスチルで見たようなマジでこっちのことが好きそうな顔なのが、なおさら怖い。
二重人格とか思い込みとかツンデレとかじゃなくて、嘘をついているのを自覚していてこの顔が出来るってことですからね。
「アルティリア。そのドレス、良く似合っているね」
「あなたが選んでくださったものですので。……髪飾りに何を合わせようか迷って、遅れてしまいました、申し訳ありません」
私の口からはすらすらと言い訳が出てくるけれど、本当のところはミハエル君に愛想をつかされたくて、頑張って無理やり遅刻してみたのだ。もう、屋敷中から早く行けとせっつかれるのなんの。
ミハエル君から逃げるためには、今度は私が彼に失望されてこっぴどく振られるような女にならないといけないのだけれど、それつまり私が社会的に終わるということに他ならない。つまり、逃げ場がない。
せっかく無難に振舞って、悪役令嬢としての出番をすべて消化したと思ったら、次はこれですよ。
「構わないさ。振り回されるのは嫌いじゃない」
──そのセリフ、ゲームでも聞いたーっ!
とちょっとだけテンションが上がる。いや、嘘です上がらない。平静を装うために紅茶に口をつける。
「アルティリア。君って実に不思議な人だよね」
「普通です」
さっきと同じ返答を繰り返すけれど、どうせミハエル君には通じない。彼はにこにこ笑いながら、私の反応をじっくり観察する。まるで、猫がネズミをじわじわ追い詰めるように。
――どうして私はこんな目に遭っているんだろう。何もしていないのに。
「アルティリア。君の瞳って、まるではるか遠くの未来まで見渡しているかのようだね」
「私は何も知りません」
ゲームの終わりまでは知っているけれど、ゲームのエンディングはエンディングではなくて、これからも人生は続くのだから。未来のことは、何もわからない。
何もわからない、というのは攻略法がないってことにはなるけれど。
「だから、私はあなたの興味を引くようなことはしませんし、私のことを好きだなんて嘘をついても、何も起きませんよ」
私はまだ、私にとってのハッピーエンドを諦めてはいない。
ミハエル君は少し困ったように笑う。
「最初はただ、君のことを面白いと思っただけだった」
面白いだけで結婚相手を決めないでよ。いや、この婚約もいずれ破棄されるのだろうか。でも私、悪事を働く予定はないしなあ。
「けれどアルティリアといると、俺は自分のことが分からなくなるんだよ。俺はずっと、いい子であれ、優等生であれ、未来の公爵としてふさわしく、学友である王子が道を踏み外そうとした時は勇気をもって諫言するのだ、と言われてきた」
ミハエル君の言葉に、じっと耳をかたむける。
「そのうちに、天使のようなミハエル坊ちゃんの仮面をかぶりつづけているうちに、取れなくなってしまった」
「それは私も同じですが。けれど、私はそこまで腹黒になれません。それがあなたの元々の性格では?」
そう冷たく言い放っても、彼は特に動じることもなく、むしろ楽しげな笑みを深めてみせる。
「アルティリア。君といれば、俺は本当の自分を見つけることができる──そんな気がするんだ」
そのセリフに、思わず彼をじっと見つめた。
「それも、嘘でしょう?」
私が静かにそう問いかけると、ミハエル君は困ったように肩をすくめて笑った。別にミハエル君が自分の性格を矯正したい、あるいはできる、とはまったく思っていないことぐらいは分かる。
「さすがだね」
ミハエル君は笑いながら私の手を取って、自分の頬に当てた。まるで血が通っていないように見えていたミハエル君だけれど、実際の彼は、驚くほどに熱い。
──ああ、なるほどね。
なんというか、これってたしかに沼るな、と心の中で苦笑する。だって、まるで本当に私に興味があるかのように聞こえるもの。
「つれないな。どうしたら本当に君に興味があるって信じてもらえるのかな」
「あんなにエグい嘘をついておいて、すぐに信じてほしいというのは虫が良すぎます」
「じゃあ、これからは俺が君を振り向かせるためのゲームをすることになる」
「長く楽しんでいただけるといいのですけれど」
ああ、ついついミハエル君につられて思ってもいないことを言ってしまった。早く解放されたいのに、これじゃあ私も嘘つきだわ……。
お読みいただきありがとうございました。普段とは少し違う感じで書いてみようと思い立ったものです。毎回最初に思いついたタイトルからは変更になるのですが、今回は珍しく最初から最後までそのままでした。
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