14 シャロン
私は名もない奴婢です。今年で15歳になりました。名前はあったのですが奴婢になった時に捨てました。昔はお姫様として不自由なく暮らしていました。昔と言っても1年前ですが。
私の転落が始まったのは1年半前です。皇帝陛下よりお父様に道路を広げろとのご命令が下ったそうです。お父様は大臣に工事に、どれだけお金が掛かるか調べさせました。国家予算の2倍の金額、その金額を10年で支払う必要があったそうです。1年で国家予算の5分の1を道路工事に支払わねばなりません。お父様は皇帝陛下に工事期間を伸ばし20年で完成させることを奏上しました。奏上を陛下がお聞き入れ頂ければ、道路工事に必要なお金が半分になります。
お父様とお母様は皇帝陛下の就任式にも呼ばれました。その席で、皇帝陛下より優しいお言葉を掛けて頂いたそうです。皇帝陛下はその時、11歳。まだ子供と言っていい年齢ですが、それはそれはご立派なご挨拶をされたそうです。陛下がお若いのを一部心配された方々もいたようですが、ご挨拶を聞いた後は皆、帝国は盤石であると語りあったと言います。
お父様への命令は陛下が発した最初の命令だったそうです。その命令に奏上で答えた事に、陛下は大変お怒りになったと聞きました。お父様は奏上を撤回しましたが、撤回することが更に陛下の怒りをかいました。できるのに、奏上するとは甘く見られたと感じられたようです。
皇帝陛下はとうとう軍隊を動かし、我が国のアロキアの町を占領しました。アロキアの町の名産は葡萄酒で、帝国ではアロキア産の葡萄酒を知らない人はいません。お父様はあらゆる伝手を探って、陛下に謝ろうとしましたが、陛下がお許しになることはありませんでした。最後の手段として貴族院に全面降伏の書簡を送りました。全面降伏とは陛下が示されるどんな条件でも受け入れるということです。
皇帝陛下の和睦条件に「私と弟の第一王子バータムの二人を奴婢として皇帝陛下に献上せよ」とありました。叔父の国務大臣が私に教えてくれました。国務大臣からは国を救って欲しいと懇願されました。お父様、お母様も大変悲しんでいると聞きました。私にはどうすることもできません。国にも、お父様にも、お母様も、私にも運命を変えることができないと悟りました。私も弟も運命の流れに押し流され、アロキアに送られ、帝国の貴族に預けられました。私達が帝国に送られる前の最後の夜はその方の配慮で豪華な食事を振舞って頂きました。食事の後、私達は明日、帝都に送られること、帝都では奴婢の印が刻まれ、頭地の礼を教えられると聞きました。頭地の礼は献上式で私達が陛下に捧げる礼です。貴族の方が最後の忠告をしてくれました。忠告は献上式が終わるまで、絶対に自死してはいけないというものでした。私か弟が自殺すると皇帝陛下の提示された和睦条件を破るため、また戦争になるとの事でした。私も弟も自殺などするつもりは無かったので、聞き流しました。
翌日早朝、まだ朝日が昇らない時刻、私と弟は狭い馬車に押し込まれ帝都に運ばれました。送られた先は宮殿地下、私と弟は汚い部屋に連れて行かれ、服を剥ぎ取られ裸にされました。机の上に縛り付けられ、そこで両頬に奴婢の刺青が刻まれました。最初は何をされているか分からなかったのですが隣の弟の頬を見て、私が何をされたか理解しました。次の日から私と弟は頭地の礼を仕込まれました。
頭地の礼はまず立った姿勢から膝をまげ、膝頭を地面に付け、お尻を足首の位置に下ろし、そこから腰をまげ、頭を膝頭より前に倒していきます。そのままだと前に転ぶので、転ぶ寸前に両手を前に伸ばし、手の平で地面を支えます。奴婢は所有者が声を掛けるまでそのままの姿勢を保たなければなりません。私は体が柔らかいので、出来ましたが、弟は苦労していました。
私と弟は何回も頭地の礼を練習させられました。このような恥ずかしいことを、裸で、それも人前で、皇帝陛下にしなければならないと思うだけで死にたくなりました。貴族の方が自死しないよう忠告してくれた意味がやっと理解できました。
頭地の礼はこの時知ったのですが、私は以前、頭地の礼をされたことがあることを思い出しました、7年前、私が7歳の時、私は侍女の忠告を無視し、降りてはいけないと言われた階段を下りました。そこには広場があり、洗濯物が沢山、干してありました。洗濯物が風でたなびく美しい光景でした。その美しさに釣られ広場まで降りていきました。そこには洗濯物を干す裸の少女がいました。少女は私を見るなり、即座に頭地の礼を取りました。その時私は裸の少女が何をしたか分りませんでしたが、今の私は分ります。間違いなく頭地の礼です。少女の顔には奴婢の刺青が刻まれていました。私の育った王宮にも奴婢がいたのです。そして今でもいるのでしょう。
あの少女はどういう経緯で奴婢に成ったのでしょうか。誰が奴婢にしたのでしょうか。
私と弟は腰に飾り縄を付けられ、献上式に呼ばれました。連れていかれた先には叔父の国務大臣がいました。飾り縄は叔父に託されました。叔父とは声を交わしませんでした。交わす言葉はもうありませんでした。叔父と私達は謁見の間に通されました。そこは人で埋め尽くされていました。私と弟は皇帝の前で頭地の礼を取りました。裸で、それも大勢の人前で、このような屈辱的な姿勢を取らされ、私は気を失いそうになりましたが耐えました。献上式が終れば、死によってこの屈辱から逃れることができます。それまでの辛抱です。
叔父の国務大臣がお父様の献上文を読み上げました。
「リンガハン王国第一王子バータム・リンガハン、並びに第一王女シャロン・リンガハンの二人を奴婢として皇帝陛下に献上いたします。お受け取り下さい。 リンガハン国王、ジョージ・リンガハン」
一呼吸置き皇帝陛下が返答されます。
「受け取った。二匹は我が財に加えよ」
献上式が終わり、私と弟は元の檻に戻されました。自死の方法を考えていると皇帝の耳目声と名乗る男が檻にやってきました。皇帝の耳目声は陛下のお言葉を伝えると言い、左胸に刺青された皇帝印を見せてくれましたが、私には真贋は分りません。陛下のお言葉は「本日より1年間、死を禁じる」というものでした。違反した場合、第二王子や第二王女を身代わりの奴婢としてリンガハンに献上させるそうです。私と弟が味わった屈辱を国の弟や妹に味合わせるわけにはいきません。今すぐ屈辱から逃れることはできませんが、1年辛抱することを弟と誓いました。同時に私は名前を捨てることにしました。シャロンは王女の名前です。シャロンと呼ばれる度に王女時代を思い出すのは嫌です。私は強制しませんでしたが弟も名前を捨てました。
私達は宮殿の地下にある洗濯場で働かされました。洗濯場には多くの奴隷や奴婢が働かされていました。洗濯は過酷な労働です。常に洗濯物の足踏みを強要されます。過酷さを癒す為でしょうか、洗濯をするとき、歌うことや世間話をすることが許されています。私が故郷の民謡を歌った時、周りの奴婢達が泣き出しました。理由はその奴婢達が教えてくれました。
リンガハン国王の北西には国土の五分の四を占める大草原があります。私の歌った民謡はそこで暮らす遊牧民の歌でした。彼女達は久々に故郷の民謡を聞き、故郷を思い出し泣いたそうです。彼女たちは草原で暮らしていたのですが奴婢商の傭兵に捕まり、奴婢にされ、今ここで働かされているそうです。1年で3千人が奴婢にされ、売られると教えられました。リンガハン国王は奴婢商からお金をもらい、対価として奴婢狩りを許しているとも聞きました。半年前の私だったら真っ赤になって反論したでしょうが、今の私では俯くことしかできませんでした。確かめようはありませんが、彼女たちの話は真実です。王族であった私の贅沢な暮らしは彼女たちの苦しみの上に築かれていたのです。
半年ほど宮殿の地下で働かされた後、再び皇帝の耳目声が檻にやってきました。私達が陛下より冒険商人のベルクという男性に下げ渡されたことを教えられました。ですが「本日より1年間、死を禁じる」はこの後も有効だと告げられました。
私と弟はベルクの屋敷に送られました。屋敷に滞在中、ベルクは3回、夜の相手として私を呼びました。行為の後の寝物語でベルクは色々な事を教えてくれました。
・私と弟には陛下の監視の目がある。(既に知っていました)
・ベルク自身も陛下に見張られている。
・私に夜の相手をさせるのも陛下の命令。
・10日後に冒険商隊を出発させる。目的地はドラゴンツリー、片道千Km、往復2千Kmになる。
・所要日数は往路200日、復路200日
・冒険中、私と弟は普通の奴婢と同様に扱う。
・冒険中も陛下の監視は付いてくる。
これだけ聞けば十分でした。目的地のドラゴンツリーにたどり着けば死ぬことができるのです。ドラゴンツリーまで死なないようにしなければなりません。




