第19話 王子と国王と
次にジャンが案内したのは、王都の東側を一望できる高台だった。
「わあすごい。こんなところ初めてです」
日が沈みかける群青の時間帯。街のあちこちは未だ活気があり、その日最後の陽の光を有意義に使おうと誰もが慌ただしく、しかし楽しそうに過ごしている。
「君が守った街だ」
「私だけじゃないですよ。ジャン様やシリウスさんたちが、この国を魔獣から守り続けてくれたおかげです」
昨日の黒い魔獣のようにやおら王都に現れることはまれだが、この国は度々魔獣の侵攻に脅かされてきた歴史を持つ。
「この国の成り立ちを知っているかい?」
家庭教師から習ったことがある。
「五百年ほど前に、魔獣と戦って勝ち取ったのだとか。その時の勇者が今の王族の方々のご先祖様だと」
「そう。まあそれはあくまで建国神話みたいなもので、たぶんに誇張もあるんだけれど、戦った部分は真実なんだ」
黒髪の王子は柵にひじを突いて私を見た。
その顔は、どこか寂しそうだった。
「王家に伝わる古文書によると、その魔獣こそが、巨大魔獣だったんだ。そして、勇者は巨大な鎧に乗ってそれを討伐した、と」
「それ、は……グランドレスが……」
「兄がこだわったのも分かるだろ。彼は単に英雄になりたがったわけじゃない。王家の人間として、神話で語られる英雄になりたかったのさ。もっとも、彼の上昇志向というか権力への直線的な渇望には僕も付いていけないところがあるけどね」
グランドレス。考えれば考えるほどに異様な兵器だ。馬車が走り、井戸から水をくむのが一般的な今の時代にまったくなじまない二足歩行のロボット。
動力は魔光石とのことだが、あれほど大きなものを機敏に動かすことのできる魔しょうせきも、王宮地下の作戦基地に設置するほどの魔道モニターも、今まで聞いたことがない。伯爵令嬢の私だけでなく、諜報に長けたシルフィですら初耳だと言っていた。
そして、五百年前にはすでにドレスがあった?
「それは、今私が乗っているグランドレスと同じ機体なのでしょうか?」
王子は首を振り分からないと答えた。
「巨大魔獣の出現も、グランドレスの活躍も、建国以来初めてのことだ。少なくとも歴史に残っている範疇では。僕は」
「ジャン様。あちらを」
護衛の一人が話を遮った。
宮中で見かけたことのある役人が血相を変えて走ってきていた。
「王子、こちらにいらっしゃいましたか。これをお読みってうぎゃ!」
役人は目の前をふさぐ護衛にぶつかってしりもちを付いた。
腰に吊る剣に手を掛けてこそいないものの、護衛の全身に漂う緊張感は、もしも目の前の男が怪しい素振りを見せた場合いっさいの躊躇をしないことを現していた。
「よい、通せ」
「はっ」
王子の命令で彼らは初めて道を空けた。
「こ、これをどうぞ」
役人はそう言ってジャンに紙片を渡した。
「ふむ……」
目を通した紙片を役人に返し、彼は私を振り返った。
「すぐに執務室へ来るように。アリア嬢とともに、と。やれやれ、息子の動向などすべてお見通しか。アリア、秘密主義の父上が新しい秘密を明かしたくなったらしい。来てくれるかな?」
「も、もちろんです」
最近は王家の馬車に乗るのもすっかり慣れっこだ。
我が家のよりも若干広く、また木製の緩衝材がスプリングの役割を果たし、石畳でもお尻が痛くなりにくい。
国王の執務室には初めて入るが、思ったよりも広くないというのが第一印象だった。
片方の壁には本棚が並び、紐で綴じられた資料や分厚い本がずらりとそろえられている。床におかれた大きな壷には細長い巻物がいくつも入れられており、反対側の壁には地図が二種類。王国を中心に周辺国を描いたものと、国内の砦や街、道路が詳細に描かれたものが貼られていた。
窓を背に、国王は立っていた。西日が差し、その表情は分からない。
「ミラージュが現れる」
一言、王はそう言った。
ミラージュ。聞き覚えがある。確か建国神話にも出てきた伝説の魔獣だ。でも何をしたのかまでは……。
「厄災をもたらすといわれたあのミラージュですか。歩くだけでいくつもの街を滅ぼしたという。まさか、それも巨大魔獣だったので……」
さすが王子様。前世では日本史が赤点ギリギリだった私よりも勉強は得意らしい。
「そうだ」
国王が一言だけ返す。さすが秘密主義。言いたいことを言った後は口を閉じてしまう。
「申し訳ありません」
仕方ないので私が口を挟む。
「先ほど、現れるとおっしゃいましたが、現れたではなくこれから来るということでよろしいのでしょうか」
国王の発言を聞き返すなど大変に無礼な行為だが、こちらも命がかかっている身だ。情報はしっかりと抑えておく必要がある。
「占いの魔女が次の襲撃の日を割り出した。およそ十日後、西方の草原地帯より現れる」
「もう一つ、今回のミラージュは五百年前のものと同じ個体なのでしょうか?」
「別だ。先のミラージュは五百年前に確かに滅んでいる。魔女の予測した地点は王都から馬車で三日の距離がある。グランドレス騎乗者は事前に現地へ入り、襲撃に備えろ」
「……御意に」
また巨大魔獣と戦うことになるのだ。恐怖と不安が胸に渦巻いたが、同時に国王に頼りにされているという喜びをも感じていた。それに、平原での戦いとなれば巻き添えにする人もいないかもしれない。
「ジャン、お前も行け。軍を率い、もしもミラージュが通常の魔獣を率いて現れたときは、その露(ルビ:つゆ)払いを行え」
「分かりました。……歴史書によると、ミラージュは他の魔獣と比べて特殊であるような書かれ方でしたが、どのような能力を持っているのでしょうか」
「不明だ……だが、五百年前、当時の騎乗重鎧はミラージュに勝利できなかったと言われている」
「!? で、では……」
「重鎧は破れたが、魔獣が西方でもっとも栄えていた街に差し掛かった折り、街のすべての道路に油を蒔き、火を放って焼き殺したのだ」
王の恐ろしい情報開示を受けて、ジャンはしばし沈黙していた。やがて彼は口を開いた。
「軍は……そのためのものでしょうか」
王は表情を変えなかった。
「もしもの時は構わん、燃やせ。そうしなければより多くの被害が出る」
第二王子はかすかに震えていたが、私とともに礼をして執務室を出た。
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