第13話 ヒレジカ①
「なっ?」「ひっ」「きゃあっ」
その場にいた貴族たちが悲鳴を上げる。
だが、恐ろしいのはそこからだった。
大きなシカは、人間たちの方を気にする様子もなく、死体に覆い被さり、柔らかい腹に口を寄せると、食べ始めた。
ガツッ、グチュッ、クチッ。
聞こえるはずのない距離なのに、咀嚼音が私の耳にまで届いた気がした。
気の弱い子女の何人かは気分を悪くし、その場でへたり込んでしまっている。
不意にシカが顔を上げた。その目は赤黒く光り、その身体は黒く変色していく。
「撃て、矢を撃て!」
ガリアが大声を上げた。
「あいつは魔獣だ。撃て、撃て!」
金縛りがとけたかのように男たちが動き出し、巨大なシカの魔獣に対し矢の雨を降らせる。
だがシカは恐ろしいスピードで動き出し、それを避けた。
足下の草が勢いで飛び散るほどの速さで地を駆け、ジグザグに走り続く矢も避ける。
騎士団員が二人、その前に立ちはだかろうとしたが、大鹿は頭を低くするとスピードを緩めることもなくぶつかり、団員たちをはねとばした。
人が木の葉のように高く舞い上がる。
今や大鹿は魔獣としての本性を露わにしていた。身体はいつかの夜会で見た四足獣の魔獣と同じ黒くボコボコと波打っている。口元には鹿にはあり得ない鋭い牙。
鹿はギョロリと周囲を睥睨すると狩人たちの集まり、その先頭にいたガリア王太子に狙いを定めた。ガリアは逃げようと馬を動かそうとするが、パニックになった馬は後ろ足で立ち上がり、いななくばかりで動こうとしない。
「キィエーーーンッ!」
魔獣が突進してきた。
予想される悲劇に思わず目をつむった。
ざわめきが聞こえてくる。
ゆっくりと目を開けるとガリアと魔獣の間に立ちはだかり剣を振るう男がいた。
王国最強の剣士にして騎士団団長、シリウスだ。
足で馬を巧みに操りながら、両手に持った長剣で魔獣の突進を受け止め、いなす。
他の騎士団員が魔獣の横に回り込み、クロスボウを撃ち込んでいく。魔獣とシリウスが三度打ち込みをする頃には、足下の草地は大鹿の流した黒い血で汚されていた。
貴族の若者たちが避難するかたわら、魔獣の元に次々に騎士団員が集まっていく。
ドスッ!
とどめの一撃はシリウスの長剣ではなく。長槍によるものだった。心臓の辺りに深々とささり、大鹿が地面に倒れ伏す。
誰もが肩で息をしている。
「よ、よくやった、シリウス」
ガリアが騎士団長をねぎらおうと、そしておそらくは魔獣を恐れていないところを見せようと馬を駆けさせた。
と、そんな彼を遮るように、シリウスは剣を真横に突きだした。
「おい」
ガリアが鼻白むと、王国最強の剣士は緊張した声をかぶせた。
「王太子、まだです。まだ、終わってはいません。どうか、離れていてください」
ボゴッ。
倒れた大鹿の魔獣の背中が盛り上がった。
ボゴッ、ボゴッ、ボゴッ。
沸騰した湯のように、魔獣の身体が隆起する。
騎士団員たちもあわてて距離をとった。
バズッ!
魔獣の背中が、破れた。黒い血があふれる中、大きな、いや、巨大すぎる蹄があらわれた。
異様な光景だ。
蹄だけで大鹿よりも大きい。そして蹄には長い足が付いている。
ボゴッ、ボゴッ、ボゴッ。
背中から周囲の木々よりも高い足を生やしながら、魔獣の身体はなおも沸騰を続ける。
足がさらにもう一本。
それは黒い血の中で苦痛の産声を上げた。
「これが、巨大魔獣の真実ですか」
シリウスが泣きそうな、笑いそうな声でそう言った。
巨大魔獣が姿を現していた。
「狼煙を上げなさい! 皆さんは避難を」
シリウスの指示で『巨大魔獣出現』の狼煙が上げられる。
以前受けた説明によると、狼煙は数キロごとに中継され、瞬く間に王都へ情報が伝わるらしい。
王都のドレス工房の巨大滑車が引かれ、天井が開く。魔晶石が埋め込まれたカタパルトのレールが伸ばされる。
魔術師たちがドレスの足元に集まり、呪いを行うと魔晶石が発光する。
シュドッ!
カタパルトからグランドレスが射出される。
音の速さで空を飛んだ騎乗重鎧は瞬く間に王国狩猟地へたどり着いた。
バシュゥ。
逆噴射して衝撃を和らげると、私の前に着陸する。それと同時にコックピットへ乗り込んだ。
「グランドレス起動、アリア・サファリナ、エンゲージ!」
モニターが点灯し、私の視界がドレスの視界になる。
グランドレスと同じくらいのサイズの巨大な黒い鹿だった。
左右に広がった白い角。立派な体躯と四本の足。
そこまではさっきまでの鹿の大きなバージョンだが、大きな違いとしてサメのような背びれと尾びれが生えている。
そして血走った目が通常の一揃いとは別に、目の両側に更に一セットついてた。
「これで下がトカゲだったらスピノサウルスなんだけど」
『はい? どうしました?』
私のつぶやきにニーアが律儀に返事をする。
「なんでもない。それで、こいつの名前は?」
『はい……暫定的にヒレジカとしています。前回のサルヒトデがそうであったように、角や蹄など見た目の攻撃方法以外に何か特殊な力を有しているかもしれません。どうか十分にお気をつけて』
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