15゜
「入り口で資料を配りましたが、まだ貰っていない方は取りに来てください」
会議室に臨時で設置されたPON出し機材の横で横川が集まったスタッフに向けて案内をしていた。
室内は社員や外部スタッフなど15人程が集まっていてザワザワとしている。
初日だから参加者も多いのだろう。
「瀬田、早かったんだな」
隣の空いてる席に座ると、瀬田はパラパラと資料に目を通していた。
「まぁな。これ、資料を見る感じだと前のより使いやすそうだな」
そう言いながら、なおも資料を見ている。
西條も資料を見るが、GUIの違いは分かるが細い違いが全く分からない。
まぁ、それを説明してもらうためにここにいるのだから分からなくてもしょうがないと開き直った。
「では、時間になったので始めます。説明はS社の奈良さんです。よろしくお願いします」
「S社の奈良です。本日はよろしくお願いします」
横川が隣にいた担当者の紹介をして説明会が始まった。
「まず、システム構成ですがPON出しとDAWは別になります。
PON出しは出力系統が3ch、素材のオーディション機能が1ch、それぞれシーケンスモードとPONモードを自由に切り替えることが出来ます。
素材はネットワーク上で共有され、放送中も差し替えが可能になります…」
もうすでに何を言われてるのか…。
何とか資料を目で追うものの、今のシステムもやっと使い方を覚えたばかりだ。どうせならもう少し早く入れ替えてくれたらよかったのに…と勝手なことを考えていた。
隣の瀬田を見ると資料片手に時折メモを取りながら真剣に聞いている。
難しい話を聞いていると眠くなってくるのはしょうがないと思う。
欠伸を噛み殺すのに必死になり、それを紛らわすため瀬田にちょっかいをかけたかったが、後でひたすら怒られるのは分かりきっているので諦めた。
そんな時、ふと視線を感じて顔を上げると横川と目が合った。
「え?」と思ったときにはもう横川は奈良の方を見ていた。
目が合ったんだから勘違いじゃないよな…。
ただ単に説明を聞いていないから見られてた…って訳ではないと思うけど。
もう一度目線だけ横川の方へ向けるが、無表情のため何を考えているのかは分からなかった。
「…では、これ以上質問がない様なので終わらせていただきます。この後、ご自由に触って頂いて構いません。その際になにかあれば聞いていただければと思います。お疲れ様でした」
横川のことが気になりすぎて、気が付いたら説明が終わっていた。
「西條、お前途中から全く聞いてなかっただろ」
「よく分かったな」
「資料を捲る手が止まってたからすぐに分かる」
少しも悪びれずに言う西條を前に「絶対に教えてやらない」と瀬田が呆れた顔をしている。
「それよりも、説明会の最中に視線を感じて顔を上げると先輩と目が合ったんだよ」
「それって、西條が説明を聞いてないからだろ?」
小声で話していれば他の人には聞こえないくらいには室内がザワザワとしていた。
「そうなのかな…」
「それ以外の何があるって言うんだよ」
瀬田にそう言われるってことはやっぱりそうなんだろうな。
とりあえず深く考えるのはやめておこう。
説明会があった週末、制作フロアに残って残業してるのは西條一人だ。
放送中の番組がBGMとして薄く流れているのみで、喋り声や雑音が無いというのはとっても仕事が捗る。
仕事を持ち帰ることも考えたが、自宅だと他に気を取られて終わらないのは分かりきっている。
急ぎの仕事では無いけれど、終わらせておけば楽になるので片付けておこうと進めていたらいつの間にかこんな時間になっていた。
まだ仕事終わらないし、気分転換に隣のカフェまでコーヒーでも買いに行くか…。そう思い、スマホを持って席を立った時だった。
『今夜、時間取れないか?』
「え…?」
画面に表示されたメッセージに思わず動揺してしまったが、こちらから話す事はもう無い。
それに、今更会ってどうなるんだ…と思う。
それでもメッセージを無視出来るほど心が強いわけでもなく、とりあえず『今日は仕事があるので』と返信してスマホをポケットに突っ込んだ。
結局コーヒーを買って局に戻って来てもさっきのメッセージが気になってしまい、仕事は全く手につかなかった。
「はぁーっ…。こんな状態になるなら会えばよかったかな…」
「誰に会う予定だったの?」
ビクッとして思わず声がした方を見ると、リュックを肩に掛け、サンプルCDと資料を手にした瀬田が入り口のドアにもたれ掛かって立っていた。
「心臓が止まるかと思った…」
「大袈裟だなー。忘れ物取りに来たらまだ明かりが点いていたから覗いたんだけど、ちょうど声がしたから返事してみた」
イタズラが成功した子どものような笑顔だが、こっちは吃驚し過ぎてまだ心臓がドキドキしている。
「それ、月曜のゲストの資料と音源?」
「そうそう。家で原稿を書こうと思ってたら資料持って帰るの忘れちゃって…。で、取りに戻って来たら西條がいたってわけ」
瀬田は隣にある椅子に座ると、手に持っていたものをリュックにしまった。
「月曜のゲスト、楽曲はCD送出がマストなんだろ?何でなんだろうな?」
「さぁ?とりあえずメーカーさんからのメールにはそう書いてあったからロッカーに音源入れておいてもらったんだよね」
さっき資料を見たときに気になった事を思い出して聞いてみたが、どうやら瀬田にも分からないらしく肩をすくめられた。
「で、誰に会う予定だったの?」
「え?別に誰にも会う予定ないけど」
急に話を戻されて、動揺したがなんとか平静を装った。
嘘は言ってない。特に約束してたわけではないし、予定を聞かれただけだ。
でも、瀬田にはバレてるっぽいな。一瞬寂しそうな顔をしたのが分かった。
「自分に素直になった方がいいと思うよ」
「じゃあ先に帰るね」そう言って編成部を出ていく瀬田の背中を、返す言葉が見つからないまま見送った。
「自分に素直に…か…」
たまに瀬田を見ていて羨ましくなる。自分に正直で意思表示がはっきりしている。
好きな事、やりたい事には貪欲で、そのためにどれだけ大変でも動く事を苦とも思わない。
多分、大変な事もあるし、悩みもあるんだろうけどそれを表に出さないようにしている。
そんな瀬田だから言える言葉なんだろうな…。
頭の後ろで手を組み、椅子の背に深くもたれ掛かかると、窓に映っている西條自身が目に入った。
昼間なら外が見えるのに、今は室内の様子が反射して見えない。それがなんとなく自分の心と向き合えって言われてるように感じて大きなため息を吐いた。
「そんなの決まってる」
PCを閉じると、急いで帰り支度をしてメッセージを送った。
『今から家まで行きます』