SB3
『20時、兄貴の店で待ってるから』
仕事をしていたら、何の飾り気もない必要最低限の内容だけが打たれたメッセージが届いた。
何となく話の内容が予想できるので行きたくないが、行かなければ家へ押しかけて来るだけだろう。
『了解』とこちらも必要最低限の一言だけを返した。
「いらっしゃいませ」
木製の重厚なドアを開けると、いつも通り陸也の兄の拓海が挨拶をして迎えてくれた。
「お久しぶりです、拓海さん。いつものお願いします」
そう言って席に着くと、すでに一人で飲み始めている男を睨みつけた。
「今日は何の用だ?」
「なんでそんなに機嫌悪いんだよ」
「陸也が呼び出すからだろ」
ため息を吐きながら横を見ると、声を押し殺して笑っていた。
バーだから大声を出すのを我慢してるのだろう。
しばらく笑っていたが、ようやく落ち着いたようでいきなり本題に入ってきた。
「西條のことどう思ってるんだ?」
さっきまで笑っていたのが嘘のように真剣な顔をして、こちらが予想していた質問を投げかけてきた。
前にもここでこの話をしたけど、その時とは多分違うんだよな…。
はぐらかしたいが、陸也相手では無理なのは分かっている。
幼馴染以上、ほとんど兄弟として育ってきたから、お互いの嘘や隠し事はほとんど通じない。
諦めて大きく息を吐くと、目の前の酒を一口飲んでから口を開いた。
「多分…好意を持っているんだと思う」
グラスに落としていた視線を陸也に向けると、心配そうにしている顔が目に入った。
「俺はあんなに取り乱した優斗を初めてみたけどな。でも、そんな優斗を見て嬉しかったんだよ。やっと感情を動かすことが出来る人が現れたと思って」
「……」
この前西條が倒れて階段から落ちた時のことを言っているのだろう。
あの時はちょうどお昼を食べに出ようと技術部を出たところだった。
階段の前に差し掛かった時、瀬田の尋常じゃない叫び声がして慌ててそちらへ向かうと踊り場に西條が倒れていた。
「西條!大丈夫か! 西條!」
呼び掛けても全く反応がないため、へたり込んでいる瀬田に救急車を呼ぶよう指示を出し、救急隊が到着するまで声をかけ続けた。
はっきり言ってその時の記憶は殆どないが、倒れている西條を目の前にして血の気が引いたことだけは覚えている。
何も出来ない自分にイライラし、救急隊が到着して病院へ運ばれる時、一緒に救急車に乗り込んでいた。
陸也に言われた通り、あんなに取り乱したことは今までになかっただろう。
「頭を打っていたそうなのでMRIでの検査もしましたが、特に異常は見られませんでした。もう少ししたら目が覚めると思います」
「…そうですか。ありがとうございます」
無意識に呼吸を止めていたのではないかと思うぐらい上手く息が吸えなかったが、医者からそう聞いた途端、ほっとしてようやく息が吸えた気がした。
思わず緊張が解けて崩れ落ちそうになる体を病室の壁にもたれ掛かり支える。
西條と顔を合わせたくないが、少しでも側に居たくて病室に入ろうか迷っていたとき…
「横川さん、西條くんの状態は?」
「検査の結果、特に異常は無いそうです。ただ、頭を打っているので明日までは入院して様子を見るそうですが…」
樋口がほっとした顔をして病室へ入ろうとしたので、再度呼び止めた。
「樋口さん、俺がここへ来たこと、西條には言わないでもらえますか…。気を使わせたく無いので…」
「…そうですか。わかりました」
今更どんな顔をして会えばいいのかわからない。だからこれでいい…。
そんなことを思い出しながら、陸也に整理できていない自分自身の気持ちを吐露していく。
「正直言って、どう接していいのかわからないんだ…。西條に触れたら、この前みたいに酷いことをしてしまう…」
どうやら陸也は口を挟まず聞き役に徹するつもりらしい。
グラスを手にし、氷が立てる澄んだ音を楽しむように動かしている。
「それに…。信用して内側へ入れてしまったら、裏切られた時に耐えられなくて西條に何をするかわからない。壊してしまうかもしれないのが怖い…」
思わず目の前のグラスを持つ手に力がこもり、「カラン」と澄んだ音が鳴った。
「そのまま西條に言ったらいいんじゃないか?あいつはそんな優斗でも受け入れてくれると思うぞ」
「…そうかもしれないけど、そうではないかもしれない」
「それを言ったら、俺は西條じゃないから全て想像でしか話せないけどな。
でも、これだけは言える。多分、西條はお前のことを諦めているんだと思う」
諦めているって言われた途端、心臓がバクバクと音を立て思わず両手で耳を塞いだ。
発せられた言葉が衝撃すぎて心と頭が追いつかない。
思わず縋るように陸也を見るが、とても冗談を言ってる顔ではなかった。
「ちゃんと聞け」と陸也が耳を塞いでいた手を外してくる。
「俺から見れば優斗が西條のことを大事に思ってるって分かるが、他のヤツから見たら嫌ってるようにしか見えないだろうな。多分、西條もそうだろう」
「……」
「今ならまだ間に合うかもしれない。今日、話していてこれだけ動揺するんだから、お前は西條のことが大切なんだって自覚出来ただろ。だったらちゃんと向き合え」
「…そうだな」
逃げてばかりいても駄目だという事は分かっている。そろそろ覚悟を決めないと…。
向こうが諦めているなら待っていてどうにかなるなんて都合のいいことは起きない。
自分の過去を他人に話すのは正直辛いけど…。
勢いをつけるためにも目の前にある残りのお酒を一気に煽った。