13゜
さて、早めに片付けないといけない仕事から取り掛かるか。
出社して一番に昨日の収録データの編集作業を始めた。今日中にクラウドに上げて検聴してもらわないと搬入期限に間に合わない。
「なんとか終わった…」
もう、こんな時間か…。時計を見るとお昼を少し回った時間だった。とりあえず今井にメールで検聴をお願いし、ファイリング指示書、Qシート、帯を印刷して搬入出来るよう終わらせた。
完パケは今日中に搬入すればいいから…よし、お昼ぐらいは外でゆっくりしよう。そう思い、PCを閉じた。
お腹すいたなー。何食べよう。そんなことを考えながら編成部を出てエレベーターホールへ向かう途中、階段を降りてくる瀬田とばったり出くわした。
「あ、西條。今日、ゲスト入るの覚えてるよな?プロデューサーなんだから、一応顔出せよ」
すっかり忘れてた。スマートウォッチで時刻を確認するとゲストの時間までは一時間以上ある。
お昼で外に出ても帰ってこれるだろう。
そう思い、返事をしようと顔を上げた時だった。
視界がグラッと揺れて、体から力が抜ける感じがした。
「西條っ!」
遠くで瀬田の声が聞こえた気がするが、何も反応できなかった。
「…ここ、どこ…?」
気が付いたら見知らぬベッドの上だった。あたりを見回すと、白いカーテンで仕切られた空間にいる事だけは分かった。
点滴を打たれていることから、どうやらビル内のクリニックにでも運ばれたんだろう。
「…つっ」
体を起こそうとして全身に痛みが走った。なんでこんなにあちこち痛いんだ?
いまいち状況を把握できていないでいると、カーテンの隙間から看護師さんが入ってきた。
「気づいたんですね。急に倒れて階段から落ちたそうですよ。過労と微熱もあったので点滴を打ってますが、終わるまでまだかかるので寝てて大丈夫ですよ」
運ばれてきた時の状況を簡単に説明されて、ようやく全身に痛みが走る理由がわかった。
話していた場所が悪かった。せめて階段の前でなければ倒れるだけで済んだだろう…。
とりあえず状況が分かって安心したのか、疲れていたからなのか、熱っぽさもありすぐに眠りに落ちた。
「…そうですか。わかりました」
…誰かが近くで会話してる?
頭がぼんやりとしていて、しっかりとは聞き取れなかったが、話し声が聞こえて目が覚めた。
「おっ、無事だったね」
「あれ?樋口さん、どうしたんですか?」
「どうしたって、西條くんが心配で様子を見にきたんでしょ。それと、荷物持ってきたよ。気分はどう?」
呆れた顔をしてこっちを見て来るが、まさか樋口がいるとは思ってなかったのでぽかんとしてしまった。
「さっき先生が来て、検査の結果、頭の方は問題無いみたい。でも、様子見で明日までは病院で過ごしてくださいって」
「検査?病院で過ごす?」
何を言われているのか分からず、思ったことが口から出ていた。
「ビルのクリニックでは検査が出来ないから、救急車で近くの病院に運ばれたんだよ」
「色々とご迷惑をお掛けしてすみませんでした」
自己管理が出来ていないせいで沢山の人に迷惑をかけて申し訳なく思い、目の前にいる樋口に頭を下げた。
「このところ忙しかったから…。そうそう、部長が明日は休みにしておくって。あと、完パケは搬入しておいたから」
完パケと聞いた瞬間「あっ」と思ったが、代わりに搬入してもらえたようで安心した。
「西條くんに伝えておかないといけない事は全部言ったはずだから、長居するとゆっくり休めないだろうし、もう帰るね」
そう言って西條の荷物を棚にしまってくれた。
翌朝、看護師さんの巡回で起こされた。充分な睡眠が取れたおかげで体は痛いものの、頭はすっきりとしていた。
昨日、階段から落ちて頭を打ったとは思えない。
一日帰って来ていないだけなのに、なんか懐かしい感じがする…。
誰もいない部屋に向かって「ただいまー」と言って荷物を置くと、とりあえずこたつに入り部長と今井に電話を入れる。
そうだ、瀬田にも連絡しないと。直接電話したほうがいいよな…そう思い電話するとツーコールで出てビックリした。
『西條、大丈夫だったか?』
こっちが話すよりも前に瀬田がすごい勢いでしゃべってきた。
「うん、全身の打ち身はあるけど他は大丈夫。心配かけてごめんな」
『ほんとだよ…。俺、目の前で階段から落ちていく西條を見てることしかできなくて…』
「明日は出社するから」
『分かった。番組に顔出せよ』
「了解、また明日な」
そう言って電話を切った。
最近、瀬田の泣きそうな声をよく聞く気がする…。
心配かけてばかりでごめんな…と心の中で謝っておく。
今日はもうやることもない…というか、何かをする気分にもなれないしベッドに寝転がってぼーっとするか。
いつの間にか寝ていたみたいで、気づいたら夕方になっていた。
鮮やかなオレンジ色に染まった部屋を見てこの前のことが蘇ってくる。
結局、あれから何にも前に進めてないんだな…。自分の中で答えを出したつもりだったのに、それとは反対の行動ばかりして。
「今度こそ、ちゃんとしないと」
沈んだ気分を吹き飛ばしたくて近くにある窓を開けると気持ちのいい風が頬を撫でた。
何回か深呼吸をすると気分も落ち着いて頭もスッキリとした。
いつも行くチェーン店の餃子屋は今日も相変わらず混んでいてタイミング悪く満席だった。
基本的に長居する客は少ないので、少し待てば空くだろう。
予想通り数分待つだけで無事に席に着くことができ、ビールと餃子を頼むと、小皿にタレを入れてるタイミングで餃子が運ばれてきた。毎回この速さには感心させられる。
思わずそんな事をぼーっと考えてた。
「とりあえず、何ともなさそうで良かったよ」
「へ?」
「やっぱり頭打ってたか…」
「え?」
瀬田が目の前で大きな溜息を吐いて、残念な子を見るような顔をしてきた。
「なんだよ、ちょっと考え事してただけだろ?」
「よかった、元気になって」
ムキになって言い返した西條を見て、瀬田が安心したように笑った。
西條も、もし同じように瀬田が目の前で階段から落ちたらすごく心配したと思う。
「心配かけてごめんな…」
「いいよ、今日は飲んで食べまくるから」
瀬田がイタズラを仕掛けた子供のような顔をしている。今日は多分、酔うまで飲むんだろうな…。
って、餃子屋でそこまで飲めるかは謎だが。
瀬田はザルだ。何度も一緒に飲みにいっているが、一度も酔っ払ったところを見た事がない。
顔に出ないだけなのかもしれないが、いつも言動が怪しくなることは無いので、本当に酔っていないんだろう。
「というか、西條は今日ビールなんて飲んで大丈夫なのかよ」
「え?」
「だって一昨日倒れて、まだ全身に痛みはあるんだろ?」
「あぁ、そう言うことか。病気じゃないから大丈夫じゃない?」
目の前で呆れた顔をする瀬田の前で、これみよがしにビールを飲んだ。
瀬田が「まぁ、俺の体じゃないからいいか」とボソッと言ってるのが聞こえたが反論するほどでもないのでスルーした。
「そういえば、横川さんのあんな血相を変えた表情を見たの初めてだったよ」
ある程度お酒も入って気持ち良くなっていたのに、瀬田の一言で急に動揺し、一瞬で酒が抜けた気がした。
「…え?どう言うこと?」
「あれ?病院に横川さんいたでしょ」
目が覚めた時、樋口しかいなかった。もし横川がいたのなら樋口も何か言うだろうし…。
言われた事が分からなくて固まってると、今度は
瀬田が「え?」っと言って固まった。
「病院には樋口さんしかいなかったけど…」
「そんなはずないよ。救急車が呼ばれて西條が病院に運ばれるとき、付き添いで一緒に乗ったのが横川さんだったんだから」
「でも…」
縋るような目で瀬田を見ると、瀬田は当時の事を詳細に教えてくれた。
西條が階段から落ちたとき、瀬田は動揺して名前を呼ぶことしかできずその場に崩れ落ちたらしい。
その声を聞いて血相を変え、一番歳最初に駆け付けたのが横川だったそう。
動けなくなっている瀬田に救急車を呼ばせ、救急隊が来るまで横川はずっと側で西條に呼びかけていて、自分が付き添いをすると言って病院に行ったのだと。
だから瀬田は病院に横川がいたはずだと言ったんだろう。
「でも…本当にいなかった…」
言葉に出した瞬間、胸がズキっと痛んだ。
「なにか横川さんにも事情があったんだよ…きっと」
瀬田が慌ててフォローしてくれるが、耳に入ってこなかった。
こんなことで胸を痛めるのはおかしいはずなのに…。
だって…
「もう、いいよ。諦めるって決めたんだから」
目の前で瀬田が驚いた顔をしているが、これはかなり前に決めた事だった。
それなのにいつまでもうだうだと悩んでいるから今回倒れて周りに心配をかける事になったんだ。
いいかげん、自分の中で整理をしないといけない。
「どうしてだよ。どうして諦めちゃうんだよ」
瀬田が必死に食いついてくるが、なんでそんなに諦めさせたくないのか分からない。
誰だって拒絶され続けたら心が折れるに決まってる。
久保さんには「西條なら何とかなるかもな」って言われたが、やっぱり無理だった。
それだけだ。
「もう、この話は終わり。ほら、まだビール残ってるよ」
何か言いたそうな瀬田を目線で抑え、そのあとは当たり障りのない会話が続いた。