12゜
「お疲れ様です、もうスタジオ使ってもいいですか?」
収録日の17時過ぎにスタジオへ行くと、生放送が終わった後の緩んだ空気の中、スタッフ達が雑談をしていた。
「あっ、いま片付けますから」
そう言って片付けを急ぐADの子を見ながら、慌てさせちゃって悪かったな…と思いつつ、西條も準備を始めた。
「お、早かったな」
久保がブース内の片付けを終えて出てきた。
「久保さん、事前に言ってなかったんですけど…」
「うん?」
「生演奏があるんです。アコギ一本ですけど」
「なんだ、そんなことか。じゃあ、機材持ってこないとな」
原稿を見ながら久保と話していたら、タイミングよく横川がスタジオに入ってきた。
「あれ?優斗、それって…この後の収録に使う機材?」
なんで知ってるんだ?という顔をして使用機材一覧表を久保に渡し、台車に乗せた機材を引き渡してくれた。
「西條に一人で収録した事ないから、機材の使い方を教えて欲しいって言われて。
それで、たった今生演奏があるって聞いたから取りに行こうとしてたところで助かったよ」
横川は一瞬だけ西條の方を見たが、すぐに久保へと視線を戻した。
一瞬睨まれたような気がするしたのは気のせいだよな…。
「マイクで拾うって聞いてるけど、一応DIとシールドも持ってきたから」
「さすが優斗、ありがとう」
「じゃあ、あとはよろしく。片付けも頼んでいいか?」
「ん、了解」
横川と久保の会話を見てても特に何も変わりはない。さっきのは気のせいなのかもな。そう思い、準備に集中した。
「西條、ブース内のセッティングするぞ」
「はーい、これ全部持っていけばいいですか?」
「そうだな。予備も入ってるだろうけど、とりあえずはブース内に持って行く」
確かに、ボックスを覗くとマイクやケーブルは必要以上に入っている気がする。
他にもギタースタンドやマイクスタンドなどが台車に乗っていた。
「インプットはテーブルの下にコネクタパネルがあるから。そこに挿せば卓に立ち上がるようになってる。で、座って演奏するからギターを拾うスタンドはショートで。マイクは57が入ってると思うからそれ使って」
「ボーカル拾うのはトーク用マイクでいいですか?」
メモを取りながらセッティングしていき、分からないところは随時聞いていく。
「放送用のスタジオはトーク用マイクだとオフマイクになるから別で立てた方がいいぞ。優斗がちゃんと58入れておいてくれたから、それをスタンド立てする。あと、一応DIも準備してシールド挿しておく」
手を出すと二度手間になりそうだと思い、途中から久保がセッティングしているのを見ていたら「自分でやらないと覚えられないぞ」と怒られた。
「これで終わりですかね?」
西條がやり切ったといった顔でそう聞くと、向かいから溜息が聞こえた。
「まぁ、西條が一人でセッティングするならこれでも十分だけどな」
「え?」
「椅子だって、ギターを弾くならアームが付いていると邪魔になるから変えておかないといけないし、ケーブルも引っ掛けると危ない。見た目も悪いから綺麗に整えて、場所によっては養生テープで押さえる。ただ音が録れればいい、演奏できればいい、じゃなくて、演奏する側に立って物事を考えないと。だから優斗もマイクで拾うって聞いてたけどDIを持ってきてくれたんだよ。
まぁ、最初からは無理だし、西條はプロデューサーって立ち位置だから、俺らとは物の見方が違って当たり前なんだけどな。でも、番組作りだってリスナーに寄り添って考えるだろ?そう言うことだ」
そう言って久保は笑った。
口には出さないけど、改めてプロって凄いなと思った。久保はいつもいい加減にしか見えないけど、仕事をしている時は真面目なんだな…。
「さて…と、まだまだやることはたくさんあるからな」
「あっ、はい!」
ぼーっと久保を見ていたが、意識を集中させた。
それからは卓の設定やセッティングした機材のチェック、録音機材の設定などを教わっていたらあっという間にゲストとの打ち合わせの時間になっていた。
「では収録始めます。打ち合わせでも話ましたが、抜きとミックス両方で録りますので気にせず流れで行っちゃって大丈夫です。何かあれば後で編集しますので。目の前の時計のカウントダウンが0になったらTM出しますので、私のQueで喋り出してください」
西條がアーティストにトークバックでそう伝える。
「久保さんは0になったら俺のQue待たずにTM出しちゃってください」
「了解」
「ではお願いします」
そう言って時計をスタートさせた。
「お疲れ様でした」
なんとか無事に収録が終わって椅子の背にぐったりともたれかかった。
二週分、時間にして一時間程なのに三時間ぐらい収録していた気分だ…。疲労感がハンパない。
久保を見ると西條とは違い、もう撤収作業に入っていて卓の設定を戻しているところだった。
それをぼーっと見ていたら、思わず心の声が口から出ていた。
「毎日生放送してる久保さん達って凄いですね」
「どうしたんだ?急に」
「収録なのに緊張で心臓はバクバクいってるし、指先は冷たくなるし…。俺だったら絶対に無理です」
素直な感想を言うと大笑いされた。
「慣れだよ。でも、特番とか改編後の新番組一発目とかはいつまで経っても緊張するけどな」
「そういうもんですか?」
「そういうもんだよ」
そんなことより、早く撤収作業するぞ…と言われブースの中の機材を順にバラしていった。
久保がスタジオ復帰の最終確認をしてくれている間に収録したデータを自分のPCに取り込んだ。
「俺はもう帰るから、機材はついでに返しておくよ」
「助かります。俺も今日は収録したデータが問題ないかだけ確認して帰ります。編集は明日だ…。今日はもう無理…」
久保のありがたい申し出に甘え、スタジオの照明を消して編成部へ戻った。
気分転換をしたくて外に出ると夜風が気持ちよかった。このぐらいの季節が一番過ごしやすくていいんだけど、すぐに夏がやってくるんだよな…。
通りを歩く人たちも少し前までは急いで駅へ向かっていたのに、どこかのんびりしている。
局の隣にあるカフェへ行くといつの間にかテラス席が開放される時期になっていたらしく、そこでも季節の移り変わりが感じられた。
「さて、戻ってデータのチェックもしないといけないけど…とりあえずは…」
自然と手に提げた紙袋に視線が落ちた。
ドキドキと音を立てる心臓を深呼吸して落ち着かせると、覚悟を決めてドアを開けた。
「お疲れ様です」
返事はなかったがフロアに目当ての人物を見つけた。やっぱり残業していたんだ。
側に行って、買ってきたコーヒをデスクの上にそっと置く。
「今日はありがとうございました。そして…この前はすみませんでした…」
そう言うと、横川が顔だけこっちを見た。
「では、失礼します。仕事の邪魔をしてすみませんでした」
言うだけで言ったら、今までの心のモヤモヤが晴れて妙にスッキリした。
軽くお辞儀をして技術部のフロアを出て行こうとドアのハンドルに手をかけた時だった。
「謝るのは俺の方だろ。あんな酷い事をして許してもらえるとは思ってないが、すまなかったな…」
背を向けていたので横川がどんな表情をしていたのかは分からないが、すごく後悔してると言うことは声から分かった…。
西條は首をゆっくりと縦に振ることで、もう大丈夫だと横川に伝え技術部を後にした。