11゜
「あ、戻って来た。さっき、収録分の原稿送ったから確認しておいて」
今井の言葉を聞いてデスクに戻り、ノートパソコンのスリープを解除した。
『収録原稿、添付ファイルあり』と件名に書かれたメールをクリックし原稿を確認する。
「来週分は収録したらすぐに編集してクラウドに上げておいて。出張先で検聴して連絡するから。問題なかったらQ信号入れて仮登録後、水曜日までにマスターに搬入お願い」
「了解です。帯はQシートを印刷する時に一緒に出しておきます」
今井と一通り流れを確認し、原稿に目を通していた時っだった。
「今井さん、原稿の中に生演奏って書いてあるんですけど…」
「あ、言うの忘れてた。アコギ一本、マイクで良いって。必要な機材は技術に言えば用意してくれるから」
「…分かりました」
とりあえず返事だけして、心の中で大きなため息を吐いた。
今井と半年以上一緒に仕事して分かったのは、重要なことを後からサラッと言ってくるということ。
本人はただ単に言い忘れてた…みたいなノリだが、言われる方はたまったもんじゃない。
まぁ、いつも直前に言われることがないだけマシだが…。
でも、これで自分から技術部に行かないといけない理由が出来てしまった。
「はぁー」
早めに行ってきた方がいいよな…。
今日何度目かわからない溜息を吐いた。
なんだかんだで技術部に顔を出したのは19時近かった。
色々と仕事を片付けてからにしようと思ってたのもあるが、遅い時間なら横川は仕事を終えて帰っているかも…と心のどこかで期待していたのかもしれない。
「お疲れ様です」
そう言いながら技術部に入ると残っていたのは横川一人だった。
横川は西條のことをチラッと見て、何もなかったかのようにパソコンに向かっていた。
以前だったら喜ぶだろうこの状況も、今日は自分の運の悪さを恨みたくなった。
明日、改めて来ることも出来るが、また同じ状況になったら余計に気まずくなると思い、要件を手早く済ませることにした。
「先輩だけですか?」
辺りを見回しながら聞いてみるが、パーティションのないフロアは入ってきた時に全体が見渡せる。なので横川以外居ないのは分かっていた。
「あぁ」
話しかけるな…という気持ちがその一言に込められているような返事だった。
でも、仕事で来たんだから…と心の中で言い聞かせ、深く息を吐いた。
「来週の月曜にアーティスト番組の収録で機材を用意して欲しいんですけど、お願いできませんか?」
横川は仕事の話だと分かって、パソコンの画面に向かってた視線をこちらに向けてくれた。
「何が必要なんだ?」
「アコギをマイクで録りたいです」
何が必要なのか分からなかったので、とりあえずやりたい事を伝えた。
「アコギ一本か?」
「そうです。場所はAstで、17時から使えるそうです」
「分かった」
横川の視線はもう、西條からパソコンの画面に戻っていた。
必要な事以外は話したくないと態度で示され、もう吹っ切ったつもりでいたのに心が締め付けられた。
「では、月曜日お願いします」
それだけ言って技術部を後にした。
編成部へ戻る階段の踊り場の壁に背を預け、俯いた。
「結局、俺はどうしたいんだろうな…」
思わず心の声が口から出ていた。
実はここ数日微熱が続いていた。そのせいか心も体も弱ってるのかもしれない。
どうも考えがマイナスに引っ張られる。
今日はもう帰ろう…。
編成部を出ると瀬田も帰る所だったので下まで一緒に降りることに。
西條がどことなくぼーっとしていたのに気づいたのか、瀬田が心配そうにこっちを見てきた。
「話ならいくらでも聞くから。人に話した方が楽になるって言うだろ?」
「…そうだな。なんだか、自分でも分からなくなってきたんだよ」
「じゃあ、西條の家に行くか。その方が話しやすいだろ」
「あぁ、わかった」
「まぁ、適当に座ってよ」
そう言って、瀬田を招き入れると横から溜息が聞こえた。
「お前、いい加減こたつ片付けろよ」
「分かってるんだけど、それどころじゃなくてさ…」
「まぁ、そうだな」
そう言いながらも瀬田がこたつに足を突っ込んでるのを見て、思わず笑ってしまった。
「やっと笑ったな」
「え?」
「最近、俺の前では笑ってくれなかったからさ」
瀬田が淋しそうにそう言うのを見て、ずっと心配をかけていたんだなと申し訳なく思う。
西條もこたつに足を入れると、天板に伏せて顔だけ瀬田の方へ向けた。
「この前のことは久保さんに聞いたんだろ?」
「あぁ…」
瀬田が自分の事のように辛そうな顔をしていたが、構わずに話を続けた。
「あっ、久保さんになんて聞いたか分からないから、誤解のないように?言っておくけど…。一応合意の上だから。まぁ、かなり強引に…と言うか酷い扱われ方はされたんだけど…。」
「え?」
瀬田が何言ってるの?っていう顔をしているが、とりあえずスルーしておこう。
「えっ?って言われても…。なので、その事に関しては大丈夫だから」
「はぁ?何が大丈夫なのかさっぱり分かんないんだけど」
瀬田が頬を膨らませ、膨れっ面をしたのが可愛くて思わず笑ってしまった。
「なんだよ…」
「ごめん、なんか瀬田が可愛くて…」
思わず瀬田をギュッと抱きしめて、肩に顔を埋め
「心配してくれてありがと」
そう言って瀬田を離した。
「…友達だからな」
顔を真っ赤にしながらそう言う瀬田を見て、思わず顔がニヤけた。
「でも、本当のところ、これからどうしたいのか分からないんだ」
「分からないんだったら、とりあえずこのままでいんじゃない?」
「え?」
今度は西條が何言ってるの?って顔をした。
「物事が動く時って何かきっかけがあると思う。動き出したらなる様にしかならないし。だから、それまでは何も考えずにいればいいよ」
「俺は猪突猛進型だから無理だけどな」と笑顔でそう言う瀬田の助言が、今の西條の心にストンと落ちてきた。
「…そっか、そうだね。じゃあ、今は何も考えないことにする」
なんだか気分がスッキリしてまた瀬田に抱きついた。
「いい加減にしろ…」
言葉とともに、頭にグーパンチが降ってきた。
「いたっ」
「そんな強く殴ってないだろ」
瀬田が心外だと言わんばかりの表情で睨んできたので、わざとらしく泣き真似をしてみた。
「酷い、感謝の気持ちを込めてみたのに…」
「お前に抱きつかれても嬉しくない」
瀬田はうんざりした顔をして西條を剥がそうともがいていた。
なんかこういう何気ないやり取りって久しぶりだな。
瀬田がいてくれて何度助けられたか…。
「そういえば、瀬田って彼女いないの?」
「…急になにぶっ込んできてるんだよ」
瀬田がムスっとした顔をして西條を睨んできた。
「なんとなく?」
思いつきで聞いちゃったけど、確かにデリケートな話だし聞いたらまずかったかな…と思い謝ろうとしたときだった。
「はぁー。まぁ、隠すことでもないからいいけど、いないよ」
顔は相変わらずムスっとしたままだが、ちゃんと答えてくれるあたり律儀な性格してるよなーって思う。笑うと怒られそうだから必死で隠したけど。
「なんか意外。瀬田って見た目かわいいけど中身ちゃんと男だし、頼りになるからモテそうなのに」
実際、瀬田はプロデューサー陣からも評判がいい。仕事をキッチリ熟すのは勿論だが、ちゃんと数字も出すのでこの前の改編時には取り合いになった。
Dになって二年でそれだけの成果を出せるのは瀬田のセンスもあるのだろう。
仕事以外でも、何があっても後を引かないカラッとした性格で面倒見がいい。現に西條は瀬田に面倒ばかりかけてるがいつも文句を言わずに相談に乗ってくれている。
だから女の子が放っておかないと思ったんだけど意外だった。
「中身ちゃんと男って、俺は見た目も中身もどこから見ても男だよ…何言ってるんだか」
呆れたように言う瀬田を見て、これ以上言うと口を聞いてくれなさそうなのでこの話題は終わりにした方がいい。
「西條の気分も復活したみたいだし、そろそろ帰るな」
「今日はありがとう」
リュックを肩に掛けた瀬田を玄関まで見送って、一人、静かになった部屋を見渡すが気分が落ちる事はなかった。
「瀬田のおかげだな」そう思い、今度ご飯でも奢ろうと決めた。