10゜
また西條視点に戻ります。
翌日出社してデスクで仕事をしていると、瀬田が心配した顔をして近づいてきた。
「今井さん、番組の打ち合わせをしたいので西條借りていきますね」
瀬田が隣の今井にそう言ったと思ったら、手を引っ張られ編成部から連れ出された。
周りが何事?といった感じで見てくるが、瀬田はお構いなしに大股で歩いていく。
「瀬田、痛い」
「ごめん…」
抗議してようやく掴まれていた手を離してもらえたが、今度は怒った顔をして
「心配したんだからな」
最後は泣きそうな顔をしていた。
「瀬田、情緒不安定?」
「はぁ?」
西條が呆れたような顔をして聞くと、またしても怒った顔をしてきた。
「いや、泣きそうだったり、怒ったり、忙しいなと思って」
「はぁーっ…」
瀬田がこれでもかと言うぐらい大きなため息を吐いて睨んでくるが、そもそもどうして連れ出されたのかも分からないし。
「なんで西條はいつも通りケロッとしてるんだよ」
「え?」
「え?じゃないよ。聞いたんだよ…。俺たちと別れた後何があったのか…」
「…そうか、聞いたんだ…」
瀬田は辛そうな顔をしたが、まさか知られているとは思っていなかったので吃驚し、居た堪れなくなり俯いた。先日の出来事は誰だって隠したくなる内容だ。
「昨日、西條にメッセージを送って何にも話してくれなかっただろ?心配になって、久保さんに西條が休んでて理由を教えてくれないって言ったんだよ。横川さんに直接聞くわけにもいかないし。
そうしたら、その日の夜に久保さんが横川さんと飲みにいって話を聞いてきたって。どうしても心配で無理やり教えてもらった。勝手に聞いてごめんな。でも、本当に心配だったんだよ」
そう言うと、瀬田は西條の肩に頭を乗せてきた。
「俺は西條の手助けになれば…と思ったんだけど、余計なお世話だったよな…」
瀬田の声は震えていた。
「ありがとな、余計なお世話じゃないよ」
そう言って瀬田の頭にぽんっと手を置いた。
「さてっと…本当に番組の打ち合わせやるか。来月単月で入る枠、そろそろ決めちゃわないと素材作れないだろ?」
「でも…」
瀬田がまだ何か言いたそうだったが、もうこの話は終わりという雰囲気を出して、それ以上何も言わせなかった。
「そういえば…。来週、私出張でいないんだけど…」
「え?聞いてないですよ?」
「言ってなかったっけ?」
「はい、聞いてないです」
「でも、社内ホームページの予定欄には入ってるけど」
「人の所まで確認しませんよ…」
「一応、私に付いて仕事してるんだから気にしておきなさいよ」
隣のデスクの今井が急に思い出したといった感じで伝えてきた。
西條の反応を見て残念な子を見るような顔をしているが、普通は他人の勤務予定なんて確認しない…はず。
「まぁ、それはいいとして、木曜夜のアーティスト番組の収録がどうしてもリスケ出来なかったのね。来週月曜の18時から収録なんだけど、代わりにお願い」
「はい?無理ですよ。無茶言わないでください」
まるで、これコピーしておいてね…みたいな簡単なノリで言ってきたが、一人で収録なんてしたことがない。
機材の使い方も完全とはいえない状況で、録り直しの効かないアーティスト番組なんて無理に決まっている。
「無理、じゃないの。そろそろ一人で収録ぐらいできるようにならないと」
「それはそうですけど…」
確かに、半年も生放送や収録を見学してきたのだから言いたいことは分かる。現に、今井が呆れた様な顔をしてこっちを見ていた。
「早めに教えてあげたんだから、機材の使い方に不安があるのなら技術かミキサーさんに教えてもらって。あ、収録は二週分だから。原稿は後でメールしておくね」
そういうと、今井は話は終わったとばかりに自分の仕事へ戻っていった。
「マジか…。誰に聞くかなー…」
一番に浮かんだのは横川だ。でも、まだそこまでの勇気は出ない。たまに社内で見かけるが、声をかける訳ではないので平静を保っていられるだけで、長時間面と向かって会話をするとなると逃げ出す自信しかない。
となると、気軽に頼み事が出来るのは久保しかいない。この時間だと…。
「あっ、やっぱり久保さん居た」
予想通り、スタジオでは久保が番組前の準備をしていた。
「何か用か?」
久保は準備の手は止めずに返事だけしてきた。
「ちょっと頼みたい事あって」
「珍しいな、西條が俺に頼み事って」
そう言うと興味が湧いたのか、こちらを向いて話を聞いてくれた。
「そういう頼み事はいつもなら真っ先に優斗のところへ行くのに、俺のところに来たってことは…まぁ、分からんでもないが…。あれから優斗とは話をしたか?」
久保が心配そうな顔をしているのを初めて見たかもしれない。
「もう、話す必要はないので。それよりも教えてもらえますか?」
頑張って笑顔を作り久保に聞き返した。これ以上聞かれたくないし、心配もしてほしくない。「俺の周りにいる人はみんな優しい」そう分かったから充分だ。
久保もそれ以上は何も触れてこなかった。
「来週月曜に収録なので、それまでの間で久保さんの都合のいい日でお願いします」
「ん?来週月曜の収録って、木曜のアーティスト番組?今井さん担当のやつ?」
久保がもしかして…と言った感じで聞いてきたので、そうだと答えると、思っても見ないことを提案された。
「その番組だったら収録に立ち会いながら教えてやるよ。友達が喋ってる番組だしな」
そう言われ、そうだった、そのおかげで年末助かったんだった…と思い出した。
「それに、今回はこの前の詫びで会社には内緒にして仕事してやるよ」
そう言って西條の肩をぽんっとたたいた。
久保に気を使わせてしまったのが分かった。
なんだか申し訳なくて、空気を変えるためにわざとらしく申し訳なさそうな顔をして
「技術職の方にタダで仕事なんてさせられないですよ。なので、収録終わったら…自販機のコーヒで勘弁してください」
「やっすいなー」
久保が笑いながら返してくれた。こんなふうに冗談を言い合えるのがなんだか嬉しかった。
「ところで…。月曜はどこのスタジオで収録するんだ?」
「Astです。さっき18時から20時まで押さえておきました」
「俺の番組終わりか。番組後に収録とかは特に無いから、終わったらすぐきていいぞ。あっても番宣ぐらいだ。だから先に機材説明をして、収録できる状態にしてから打ち合わせでも大丈夫だろう」
「分かりました。当日よろしくお願いします」
これで目の前の問題は解決っと。久保のおかげで随分と気が楽になった。
編成部に戻る廊下の窓からは雲ひとつない綺麗な青空が広がっている。もう少しで4月も半ばにさしかかり、目線を下に向けると桜の花が終わった後の新緑が目に眩しい。
普段だったら仕事をサボってどこかへ行きたいなーと思ってしまうような天気だが、今はそんな気分にはなれない。
西條の心をスッキリさせてくれない一番の原因が心の片隅に陣取っているからだ…。
「はぁー」
思わず大きなため息が出た。横川と元の関係に戻れるわけはないけど、せめて普通に会話してもらえるようにならないかな。
久保や瀬田と違って、西條と横川は局員だ。どちらかが仕事を辞めない限りはずっと一緒の職場なのだから。
「なんとかしないといけないよな…」
よく、時間が解決してくれるみたいな事言うけど、絶対に無理な気がする…。
今まで横川を見てきて思うのは、身内だと思われている時には内に入れてくれるけど、必要がないと感じたらすぐ外に出されて、拒絶するタイプなんじゃないか。
そう感じるからこそ、今なんとかしておかないと…と焦ってしまう。
「俺って何事にもポジティブなんだと思ってたけど、そうでもなかったんだな…。こんなに女々しいと思わなかった…」