69話・クロウの長
「ウララ。どうしたの?」
そこに一人控えているはずの女官長の姿はなかった。その代り、そこには縄で縛られたゲッカが転がされていた。
「ゲッカ?」
ソファーから立ち上がり、彼の側に近づこうとしたエリサの肩に、それを引き止めるかのようにグッと力が入れられた。誰かが背後に立っている。得体の知れない相手の行動に王妃は恐怖を覚え、悲鳴をあげようとしたが出来なかった。
「……! だ、誰か──」
「誰にお仕置きするって? エリサ王妃」
「その声は……?」
王妃は自分の両肩を押さえる、相手の声に耳を疑った。聞き間違えるはずもない相手の声。でも、その相手は王都より遠く離れた領地、ペアーフィールドにいるはずで、この部屋にいるわけが無かった。
「フィルマンさま? いつ……?!」
彼が登城する等とは聞いていない。いつの間に登城していたのかと聞きたかったが、その言葉は続かなかった。
一瞬にして周囲を、黒尽くめの集団に取り囲まれていた。
「クロウ……?」
王家には王の耳や、王妃の耳と呼ばれている間諜がいるが、それらを超えた精鋭部隊は「クロウ」と呼ばれている。
陛下でもその精鋭部隊クロウに会うことは、なかなか無いらしい。在任中に出会えるのは稀だとも聞く。何故なら「クロウ」は特殊部隊で、彼らが忠誠を誓うのは王家では無く、クロウの長のみだからだ。
しかも、クロウの長は滅多に姿を現さない。王や王妃の命を聞く間諜らは、クロウの長から一時的に「借りた者」になる。
間諜達は雇い主よりも、長の命には絶対と聞く。その長の正体が知れて王妃は震え出した。やっと気が付いたのだ。自分の命が相手に握られていることに。
「あなたがクロウの?」
「おやおや、そんなに震えてどうしました? 王妃」
まだ何もしていませんよと、フィルマンが囁く。全身に鳥肌が立った。
「この男は公爵家の子飼いですよね?」
何も言えないでいる王妃から離れ、フィルマンは床に転がされているゲッカの肩を蹴った。ゲッカは王妃の実家で影として養育していた者だ。王妃となってからも、間諜よりもゲッカのことを重用してきた。




