表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ガラスの靴で舞踏会

作者: くるぶし

 (おびただ)しい雲々が大雨を降らせている。


 薄明るいテラスから、黒空を見上げていると首が痛くなった。痛いのは、首に限ったことではないのに。


 蒸した夏の夜にはそぐわない長袖のドレス。華やかで(きら)びやかで(みやび)やかな、如何(いか)にも貴族然とした緋色の裾に、歩きづらいガラスのヒール。


 メリイは、ひとりで居たいからひとりでテラスに出ていたのに、背後、重厚な扉が開いて、


「Shall we dance?」


 (ひざまず)く紳士にそう提案された。こちらも、肩パッドがいかつく、皺のひとつも見当たらない、紺青(こんじょう)色のスーツで。


 ――貴族然とした、人だ。


 整髪料の光沢がいやに(まぶ)しかった。


「……It's raining」


 メリイは、そう言い残して、紳士のとなりを通り過ぎた。


 テラスもテラスで、華美な装飾の施された目のチカチカする様相だったが、中も中で、ありとあらゆるところが技巧の()らされた装飾品で溢れていた。


 絨毯はもちろん真紅で、壁面には同じ模様が右に左に上下(うえした)に、繰り返されている。昼間の太陽より明かりの強いこの大広間では、ざっと二十人ほどだろうか、似たり寄ったりの服装で個性のまるでない男女が踊ったり、小さな料理を口にしたり、ぬるいワインを(たしな)んだりしていた。


 そんなところでは、当然だろう。両の頬にそばかすの浮いたメリイは、そばかすみたいに浮いていた。


 テラスから戻ったメリイを見て、ひとりの淑女(しゅくじょ)は何かをぼやいている。聞えよがしに言っている風だが、メリイの耳には届いていなかった。


 その淑女と共にいた偉丈夫(いじょうふ)は、快活に笑っていた。


 きっと、面白いジョークを披露(ひろう)してみせたのだろう。メリイを虚仮(こけ)にして。


 大広間の中央、豪華なシャンデリアの下――から少し横に逸れた絨毯の上を、ガラスのヒールで歩いていると――歩いていただけで――「How local!」なんて。


(Ahh……)


 もう、その声の主を、見ようとも思わなかった。メリイは、俯いたままに歩みを進める。コン、コンと鳴る足音がまるで、硝子(がらす)の心を打ち砕かんとする残響にも聞こえて。


「All right?」


 ふと、聞き馴染みのある声がした。メリイを案じる、透明な高い声。


「Mary」


 メリイが、顔を上げたのと同時、エマがメリイの名前を呼んだ。会うたびに若干異なる金毛の巻き毛は、けれどいつもと変わらないような。


「――Emma」


 痛々しく痩せ細ったような声音のメリイに気づいてか、エマは途端、(まつげ)の長い瞳を丸くした。――が、


「You're pretty tidy!」


 エマは、メリイの、病的な面持ちについて驚いたようにそう言った。“すごく、きれいだ”と。


(I,……I'm not)


 ――どうやら、エマの褒め言葉が周囲の貴族たちの耳朶(じだ)に触れたらしい。くすくすと、せせら笑う吐息が広がる。


 ひっそり閑とした湖の中央付近で、小石が落とされたように、それは波及していき――、


「Certainly,it'll be sunny」


 と、大言壮語も甚だしい“溢美(いつび)”をエマが口にしたところで、会場はドッと盛り上がった。


 メリイの顔が、火でも出たみたいに、真っ赤に染まっていく。見通しのいいこの大広間には、隠れられるほどの穴なんてなかった。


「……?」


 (いぶか)しげにエマが辺りを見渡す。首を(かし)げながら、どうして笑っているの? と言わんばかりに。


「I,I have to go……」


 エマは悪くないのに、どうしても後ろめたい思いが(ぬぐ)い切れなくて、メリイは逃げるように一歩踏み出す。


 と、勢い余って、その一歩を踏み外した。ガラスのヒールが平衡を失う。そのまま足を(ひね)って、盛大に転んだ。


 そして、会場は大盛況。


「A――are you okay?」


 周りの笑い声に、一瞬怒りの色を瞳に灯して、けれどすぐエマは、屈んでメリイを心配した。


(I'm not――I'm not――I'm not――)


「……Okay」


 口を()いて出たのは、小さな虚勢だったけれど、エマは「You aren't」とその虚勢を否定しながら、メリイの肩に手を伸ばした。


 それを、気が引けたけれど、メリイは、


「I'm,――okay」


 拒んで、立ち上がる。


 まだ波紋の残る大広間で、コツコツと足早にメリイは進む。唇を尖らせながら周囲を一瞥したエマは、やり切れない憤懣(ふんまん)(こら)えて、その後ろ姿を追う。


 数秒もしないうちに追いついて、


「Mary!」


 肩を掴んだ。季節外れの紅葉を散らしたメリイの頬に、若干の怒気が浮かぶ。そばかすを、覆い隠したりはしないが。


「Just wait!」


 そう言われ、おもむろに振り返る、メリイ。


 その、気色(けしき)ばんだ表情に、エマは少し気圧(けお)されたらしかった。


「Don't look so ――like that……」


 ――()()()()()()()()……?


 エマから浴びせられた、突然の“罵倒”に、メリイは俄然(がぜん)として血相を変えた。別に、なりたくてなった“こんな顔”じゃない。


 エマみたいに、周りの皆みたいに、小綺麗な顔で生まれたわけじゃない。それに、好き好んであんな貧乏な家に生まれたわけでもない。あなたたちは偶然、他の貴族があまり権力を持っていなくて、たまたま、他の家庭がそこまで裕福な生活をしていないだけの、普通の一族じゃない――と、ひとしきり不満が溢れて、けれど決壊のすんでのところで、メリイは思い止まった。


「Sorry,but I,……but I am okay」


 潤む声で、さもなけなしの声を振り絞るかのように、メリイはそう弁解する。エマは、何かを言わんとしたが、けれど、躊躇(ためら)いがちに口を開きかけただけで、何も言わなかった。


 肩を掴む力が、緩んでいた。


 すっと抜けて、メリイは、(きびす)を返したまま大広間を後にした。階段を下りて、誰もいない、ロビー。


 歩きづらいガラスの靴を、脱ぎ捨てた。


 重たい扉を開ける。


 ぽたぽたと、雨水が(ひさし)からこぼれ落ちていて、ざあざあと、容赦なくタイルを叩きつけていた。雨音だけが空気を震わせている。


 傘なんてない。昼間はあんなに晴れていたのに、誰がこんな雨模様を予測できただろうか。


 一歩、タイルを踏む。


 一瞬、冷たくて、けれどしばらくすれば、慣れる程度の冷たさだった。ひんやりと、足の裏を冷気が漂う。ヒールがないからか、この場から立ち去れるからか、メリイの足取りは軽く、歩きやすいようだった。


 三歩目、四歩目、そして――。


 庇と天蓋(てんがい)の、境界線の如く、その先は雨だ。きっと帰るまでは止まない雨、依然として降り続ける。


 色の変わったタイルが、まるで世界が変わったみたいに、黒々と雨粒に打たれていて。その先を、世界の変わるその先を、踏み出すのに躊躇いが要らないなんてことはなかった。


「It won't……」


 すぐ落ちる雨に向かって呟いた。嘆息(たんそく)も混じっていた。


「――You forgot」


 はっと、息を呑んだ。誰もいないと思っていた。雨に掻き消されてか、背後に立つ紳士に気づけなかったらしい。


 整髪料の、どことなく眩しい紳士に。


 振り返って、見ると、その紳士は、メリイがさっき脱ぎ捨てたガラスの靴を持っていた。“忘れてますよ”なんて、言われても――。


「……It's raining」


 ぺたぺたぺたと、裸足(はだし)のままに闇夜に消えた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ