3 婚約者ユーフラテスとのお茶会
婚約してから四年が経ち、九歳となった今日も、ネモフィラは王城の庭園でユーフラテスとお茶をしていた。
ユーフラテスはいつも通り、得意げにネモフィラを扱き下ろす。
ネモフィラはうんざりしながら、紅茶を口に含み、ユーフラテスの嫌味を聞き流していた。
――早く屋敷へ戻って、愛らしいハロルドと遊びたい。
婚約者との茶会は月に一度、必ず催され、ネモフィラは毎回憂鬱な気分で王城へと足を運ぶ。
令嬢としては規格外の体型で着こなせるドレスは少なく、流行のデザインを追うより、ネモフィラが少しでも細く見えるデザインを辺境伯婦人が専属デザイナーに依頼している。
ネモフィラは与えられたドレスに何の感慨もなく、無感動に袖を通し、化粧を施され、辺境伯家の馬車に揺られて登城する。
豊かに波打つブルネットの髪だけはネモフィラの自慢だったが、「平民によくある髪の色」で「ネモフィラらしい」とユーフラテスに言われてから、髪を美しく結い上げる情熱も失った。
自らを着飾ることに、もはや興味はなく、ネモフィラが飾り立ててその目を楽しませるのは、弟のハロルドだけ。
――帰宅しましたら、ハロルドに新しいあのブラウスを着せましょう。フリルをたっぷり施したブラウス。きっととても似合うわ。
最近ネモフィラが贔屓にしているブティックで見かけたブラウス。
屋敷内で呼びつけ、品物を広げさせて吟味していると、父辺境伯とヒューバートに見つかったとき、「ハロルドのクローゼットはもう十分だよ」とやんわり苦言を呈されてしまう。
ハロルドのためにオーダーメイドの最高級のものを与えたかったが、仕方なくプレタポルテで我慢することにして、ネモフィラは登城のついでに王都に降り立ち、ハロルドの着せ替え用の衣服を見繕うことが楽しみだった。
今日は登城前にブティックに寄り、フリルたっぷりの優雅で美しい、とろみシルクの光沢が上品なブラウスを選び取って、辺境伯家に支払いを回した。
特にヒューバートに知られれば、あとからまた小言をもらうかもしれないが、辺境伯家タウンハウスの家令が、わざわざネモフィラの買い物を見咎めて、当主である父辺境伯や後継のヒューバートに報告することもないだろう。
貴族令嬢のよくあるお買い物の一つとして見逃されるに違いない。
だいたいネモフィラが自分自身のために欲しがるものといったら、美味しい焼き菓子やケーキくらい。他の一般的な貴族令嬢がドレスや宝石等の装飾品を嗜みとして揃えることにに比べて、ごくごく僅かなのだから、ブティックで何か買い物をしたところで、何の問題もない。
ハロルドを着せ替えして遊ぶ楽しみを励みに、ネモフィラはこの憂鬱なお茶会を乗り切ることにした。
――そうとなれば、ケーキをいただいて元気を出さなくてはね。
白い陶器のケーキスタンドには色とりどりの魅惑的なケーキが並ぶ。
ネモフィラは人差し指と唇に当て、少し考えてから黄桃のタルトを選び、後ろに控えていた王宮仕えの侍女にサーブしてもらう。
――お茶会に出てくるお菓子の美味しいことが、唯一の救いですわ。
ツヤツヤとした黄桃のコンポートをフォークでぶすりと刺し、口に運ぶ。
甘くて優しい味わいの砂糖煮の果肉が、じゅわっと口いっぱいに広がる。少しあとからくるカスタードのまろやかな風味。
王城のケーキは絶品だ。
王都で流行りのケーキ屋でも、ここまで美味しいケーキには出会えない。
それを考えると、ユーフラテスの婚約者となったことは、そう悪いことではなかったのかも。
ネモフィラはフォークを口にくわえたまま、ボンヤリと考える。
しかしこの茶会が済めば、また王妃様の元へご挨拶に出向かねばならないし、二日後もまた、王子妃教育を受けに登城しなければならない。
今日何度目かわからぬため息をつくと、向かい合って座るユーフラテスに目を向けた。
ユーフラテスはネモフィラをどこかぼんやりとした表情で見つめていた。気のせいか耳がどことなく赤く染まっているように見える。
――お風邪でも召されたのかしら?
ネモフィラはフォークを未だ口にくわえたまま、小首を傾げた。
するとユーフラテスはガタガタッと大きな音を立てて、椅子から立ち上がりかけ、膝をテーブルの強かに打った。
いつも優雅な所作で物音一つ立てないユーフラテスにしては、大変珍しいことで、ネモフィラはキョトン、と目を丸くし、それから何度か瞬かせた。
ユーフラテスの顔が見る見るうちに赤く染まっていく。
「なっ…!な、なにをしているんだっ!お前はっ!」
殿下こそ、何をしていらっしゃるのです?
ネモフィラは内心そう思ったが、口にはしなかった。
何か意見することで、完膚なきまでに叩きのめされるのはウンザリだった。
ユーフラテスは未だ動揺した様子を隠せず、口元に手をやり、俯いたかと思うと、またネモフィラをチラリと見てくる。
手で口元を覆いながら、何か呟くと、その手をそのまま額に押し上げ、指先にぐっと力を入れて前髪を掴み上げた。
「~~~~!それだっ!それをやめろっ!」
それとは何か。
ネモフィラには見当もつかない。
ユーフラテスが真っ赤な顔のまま、眉間に深く皺を寄せ、凶悪な目つきでネモフィラを睨んだ。
いつもなら怖いと思うユーフラテスの表情だったが、真っ赤な顔色のおかげで、ちっとも怖くない。