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28 匿ってください

「………お前はいったい何をしているんだ?」


 侍従が先立って開けた扉の先、応接の間にあるテーブルの下で蹲る不審者を前に、ユーフラテスは無表情で問いただした。

 が、実のところユーフラテスの心臓は痛いくらいにどきどきしている。嬉しくて飛び上がって踊りだしたいくらいなのだが、頑張ってこらえている。その分眉間の皺が増え、深く刻まれる。そしてそれはとても不機嫌そうに見えた。


「え、えへ…。あの…今日ってお茶会の日じゃ…」

「ないな」


 ばっさりと切って捨てるユーフラテスに、ネモフィラはへらっと笑い返す。テーブルの下で。

 ユーフラテスは、はぁーっと大きくため息をつくと、テーブルまで足を進めた。青い顔でびくりと肩を揺らしたネモフィラは、狭い机の下で体をどこかにぶつけたようで「痛っ」と小さく声をあげる。


「出てこい」


 ユーフラテスの差し出す手と、諦めたように眉を下げた顔。ネモフィラはがおそるおそる手を伸ばすと、勢いよくぐいと引き上げられた。


「で、殿下! わたくし、重いのに…」

「ああ。腕が痛い。わかっているなら余計な真似をするな」


 憎まれ口をたたきながらも緩んだ口元と、そっと背に添えられた手は優しく、ネモフィラはどぎまぎと胸を高鳴らせ、視線をさまよわせた。


「なんの用かは知らんが、最初から大人しく座って待っていろ」


 そう言うとユーフラテスはネモフィラをソファーに座らせ、侍従にはお茶の用意と、また小姓は菓子職人の元へと急がせた。


「それで? 今日は突然どうした」


 ユーフラテスはカップを手に取り、紅茶を口に含んだ。ネモフィラはそれを合図と受け取るも、もじもじと身をくねらせる。


「………なんだ。その奇妙な動きは」


 チラッと上目遣いでユーフラテスを見上げるネモフィラは、婚約者の耳が赤いことに気がついた。

 眉間の皺はおそろしいことになっているが、もしかしたら照れているのかもしれない。

 先日の誓いを受け取り、ネモフィラは少しだけ大胆な考えを持つことができた。少し前だったら、気がつきもしなかったし、気がついたとして即座に勘違いだと切って捨てていた。

 だけど今は、ちょっぴり自信がある。

 いったい自分のどこに好かれる要素があるのかはわからないままだが。


「そのぅ……。今日は茶会があったということに…していただきたくて…」

「かまわんぞ」


 あっさりと了承するユーフラテスにネモフィラは目を瞬いた。


「理由はなんだ?」


 ネモフィラはへらっと笑った。


「殿下にお会いしたくて…」

「嘘をつくな」


 ユーフラテスが目を眇める。

 あれ? 喜ばれると思ったのに…。

 ネモフィラはきょとん、と目を丸くした。そしてハッと我に返る。

 やはり勘違い…! ユーフラテスがネモフィラに好意を持っているなど、盛大な勘違いだったのだ!

 顔を青くするネモフィラに、ユーフラテスは溜息をついた。


「いいか。おまえが俺に会いたいと思うはずがないことくらい、俺だってわかっている。むしろおまえは俺のことを苦手に思っていただろう。俺はこれまで散々、おまえにひどい態度を取ってきたからな」


 寂しそうに自嘲する姿に、ネモフィラはぎゅっと胸が痛くなった。


「そんなことはございますが、そんなことはございません!」

「意味がわからん」

「ええと…。嫌味とか自慢話ばっかりなのは嫌でしたけど…。でも、その…あの…」

「なんだ」


 顔を真っ赤に染め上げ、ソワソワと視線をさまよわせるネモフィラに、ユーフラテスは詰め寄る。


「で、ですから…! せ、先日の…!」

「先日の?」


 ユーフラテスの口の端があがっていくのを、ネモフィラは恨めしそうに、しかし恥ずかしそうに睨めつける。


「で、殿下が…っ! わ、わたくしに誓ってくださった…から…っ!」

「そうだな。確かに誓った。それで?」


 ネモフィラはとうとう顔を両手で覆った。


「だから…っ! 殿下の、こと…は! 苦手…というより…その…ですから…わたくし…。こ、婚約者…です、もの…」


 もう勘弁してくれ、というように半泣きになったネモフィラの弱々しく情けない声に、ユーフラテスは笑った。

 これ以上は酷だろう。というより、もう十分に、ユーフラテスの胸は温かかった。


「そうか? ならばあのこっ恥ずかしい誓いにも意味があったな」


 ニヤリと不敵に笑うユーフラテス。いつもなら底意地の悪そうなその笑みに、後退したくなるところだが、ネモフィラは顔を真っ赤に染め上げたまま、ずい、と前に乗り出した。

 逆にユーフラテスは戸惑うように身を引いた。


「お恥ずかしかったのですか?」

「………兄上とキャンベル卿の前だぞ。あれから兄上が毎日のようにからかってくる…」


 うんざりとしたように吐き捨てると、ユーフラテスは顔を上げた。ネモフィラがその視線の先へと振り返ると、小姓が焼き菓子を山ほどトレイに載せて、入室してくるところだった。

 小姓が静かにテーブルに近づいてくる。ネモフィラは満面の笑みで薄青色の瞳をキラキラと輝かせた。

 小姓は青みを帯びた美しい白地に繊細な青の紋様の描かれた、小さな陶磁器の皿をユーフラテスとネモフィラの前に、音もなく置き、そこに焼き菓子を彩りよく配膳していく。余った焼き菓子もまたケーキスタンドに飾られていく。

 その様子を息を止めて凝視するネモフィラに、ユーフラテスは眉を下げた。


「遠慮なく食べろ。おまえが登城したと聞いて、すぐに焼かせたものだ。講義が終わらず長く待たせた詫びだ」

「お詫びなど…。わたくしが先触れもなく急にお邪魔しましたのに」


 困ったように首を傾げるが、チラチラと焼き菓子へ目線を送っている。

 ユーフラテスはだらしなく笑み崩れないよう、眉間と口元に力を込めた。


「いいから食べろ。あと先触れはいらん。いつでも気が向いたときに来ればいい」

「はいっ! では遠慮なくいただきますっ!」


 ユーフラテスの台詞の後半部分は、菓子への興奮で耳に入らなかったのか、ネモフィラに流されてしまった。とはいえ、これくらいでめげるユーフラテスではない。


「どうしても公務で外せないときもあるだろうが、何かあれば気にせず登城しろ。俺が顔を出せないときでも、必ず対応させる。菓子も出す。伝言でも残していけ」


 必死に言い募るユーフラテスは、頭の中で信用のおける小姓の算段をつけようと決意する。

 これまでは泳がせるためにも、己が内に宰相派閥の人間や第三王子派の人間が侍ることをあえて許してきた。だがネモフィラが一人でユーフラテスの私室に訪れるかもしれないとすれば、話は別だ。


「はいっ! ではこれからも、お母様が孤児院などに慰問に行かれる際は、殿下とのお茶会だと逃げてまいりますねっ!」


 くちびるに菓子の欠片をくっつけて、元気いっぱいに笑うネモフィラに、ユーフラテスは一瞬目をとらわれながらも、首を傾げた。


「孤児院の慰問? 以前までは喜んでついていったではないか。もてなしとして出される、修道女の焼くクッキーが素朴でうまいとかなんとか…」


 ネモフィラはさっと視線をそらした。ユーフラテスは目を眇める。


「………なにを隠している」


 声変わり最中の少年の声ながらも、意図的に低い声を出すユーフラテスに、ネモフィラはビクリと肩を震わせた。


「………欠陥人間だと仰せにならないでくださいますか?」


 ユーフラテスは虚を突かれ、息を呑んだが、「もちろんだ」と力強く頷いた。内心、強烈な自責の念が押し寄せてきたが、内省するよりまず、ネモフィラの言葉を待つ。

 ネモフィラはすぅっと息を吸った。


「…………わたくし、こどもが嫌いなのです。いえ、嫌いというだけでは生やさしいくらいで…。憎い…かもしれません」


 予想外の告白にユーフラテスは驚いたが、それを表に出すことはなかった。


「そうか。弟御を可愛がっているようであったから、意外ではあったが」

「………ハロルドは推し…いえ、弟ですから」


 オシ?

 疑問に思うも、今はそれは問題ではないとユーフラテスは聞き流した。


「幼い子を苦手とする婦人はいる。気にすることはない」


 ネモフィラはガバリと顔を上げた。


「でもっ! それでも皆さま、子を生んでいらっしゃるでしょう! それが貴族の義務なのでしょう?」


 ああそうか、とユーフラテスは納得した。

 確かに貴族は血を繋ぐことが義務。特に女にあっては、それが何より重要であり、価値となる。

 ユーフラテスとて、ネモフィラと婚姻を結べば子をもうけることについて、何の疑いもなくあるべき未来だと考えていた。

 だが、ネモフィラが否定するのならば、子はいらない。


「おまえが他の男に嫁ぐならな」

「何を…! 殿下は王族ではありませんか! 血を繋ぐのは大事なご使命でしょう!」


 ユーフラテスは目を瞬いた。


「驚いた。ネモフィラ、おまえ、そんなことを考えていたのか。いや、王子妃教育か? 真面目に聞いていたのだな」

「違います…。わたくし、どの学問においても、教師のお話しを聞いていたことなどありません」

「………そうだろうな」


 ネモフィラは口を尖らせ、ユーフラテスが額に手を当てる。


「俺はかまわんぞ。子はなくてもいい。とはいえ、確かに外野はうるさいだろうが…」

「………王子妃が子を生まないなんて、許されるわけがないですわ…」


 唇を噛むネモフィラに、ユーフラテスは不謹慎だと自覚しつつも心が踊った。口元に手を当て、おそるおそる言葉にする。


「それは、俺の妃となれないことが嫌だということか?」


 ユーフラテスの心臓がバクバクとうるさく跳ね、緊張に身が震える。ネモフィラはキョトン、とユーフラテスを見た。


「え? だってわたくし、殿下の婚約者なのでしょう? 嫌も何も…」


 そこまで言うと、ネモフィラはハッと顔色を変えた。


「殿下! もしやわたくしとの婚約を破棄するおつもりで? それならば断罪前にいますぐ婚約解消を…」

「しないからな。おまえの『例のアレ』における俺は、俺とは違う人間だといい加減に理解しろ」


 苛立ちをぶつけようとユーフラテスがネモフィラの頬を思い切り引っ張る。「いひゃいいひゃい!」と涙目のネモフィラが可愛くて、先日からちょっとした癖になっている。

 ユーフラテスが指を離すと、引っ張られ赤くなった頬をさすって、ネモフィラが「ゔー」と呻いている。

 頬を引っ張るなど、王子のすることではないが、ネモフィラも相変わらず貴族令嬢の振る舞いではない。

 無気力だった頃とは変化が見られるが、やはりネモフィラはネモフィラで、根本的には変わっていないのだとユーフラテスは安堵する。


「破棄はしない。だが確かに王子妃が子を生まぬとなれば、うるさい人間が口出しすることは考えられる」


 もとより王子として留まるつもりはない。

 とはいえ、アルフレッドを支え、臣籍降下する予定であったが、第三王子であるエドワードの動き如何では、長く王子として立たねばならないかもしれない。

 ネモフィラの未来視にあったような、アルフレッドが兇徒に倒れ、ユーフラテスが立太子されるなどということは、断固阻止する。


 そうなると、王子妃となったネモフィラの元へ、足を引っ張ろうと王宮に蔓延る有象無象の手が伸びてくるだろう。

 出来る限り薙ぎ払うし、無粋だと言われようが矢面に立つつもりであるが、女の世界は男には介入できない場面もある。



「………貴族のほとんどがそうであるが、王子妃もまた、育児はしない。子を産めばあとは乳母が世話をする。それならば………」


 侮蔑と諦念で冷え冷えとした表情を浮かべるネモフィラに、ユーフラテスは言葉をつぐんだ。


「わたくしは、こどもが嫌いなのです」

「そうか」

「はい。ですが義務だということもわかっています」

「そうだな」


 臣籍降下する心づもりではある。

 しかし確約は出来ない。ぬか喜びさせ、結局王子の位に長く留まるようであれば、それは裏切りだ。


「婚姻を結ぶまで、まだ時間がある。何が最善となるかは現時点では明言できん。だがネモフィラの意思を捻じ曲げることはしないと約束しよう。不安や不満は口に出せ。どうにかしていってやる」


 話し合いながら、二人で答えを出そう、とはユーフラテスには言えなかったし、望むつもりもなかった。

 無気力だったネモフィラが、ここまで考え意見をあらわにするだけでも、大した進歩だ。

 ネモフィラが希望を述べ、問題を解決するのはユーフラテス。それでいいと思った。


 ネモフィラはホッと安心したように頬を緩ませたので、ユーフラテスは自分の答えは間違っていないのだと確信した。


「まぁ、先のことより、今のことだ。ひとまずご母堂が慰問の際の避難先として、いつでもここにくればいい。口裏は合わせてやる」


 そう言うと、ネモフィラが嬉しそうに笑ったので、ユーフラテスはやはりこれで正しかった、これでいいと思ったのだ。




 これまでのような酷い態度は改める。ネモフィラを否定しない。ネモフィラの意思を尊重する。ネモフィラの願いを叶える。

 全部、ユーフラテスが一人で奮闘し、最後に結果として示してやればいい。そうやって守ってやればいい。







「それにしても、子とはな。まさかネモフィラ、どうやって子が生まれるか、わかっていないのか…?」


 羞恥心を抱くわけでもなく、繊細な話題を出したネモフィラ。怪訝そうにこちらの顔を覗き込んでくるユーフラテスに、今度こそネモフィラは『子ができるまでの経緯』に思い至り、羞恥に顔を真っ赤にさせながらも、八つ当たり的に憤慨した。


「バカになさらないでくださいっ! これでも前世の記憶は多少残っておりますわ! そういった行為についても、存じあげております!」


 ユーフラテスの目からハイライトが消え、仄暗く揺らいだ。


「ほう…? 行為と言ったな? ネモフィラとは別の女の記憶とはいえ許せんな…」 

「なっ…! か、勘違いされてませんことっ?」

「なにがだ?」


 対面に座していたはずのユーフラテスは、いつの間にかネモフィラの隣に移動していて、じりじりと寄ってくる。小声で「前世という単語を出すな!」と叱責してくる。

 怖い。目が怖い。本気で怒っている。


「わ、わたくし、知識! 知識としてあるだけですぅぅっ!」 


 身をよじって絶叫するネモフィラに、ユーフラテスは嫉妬心を抱きつつも、身を引いた。

 文字であったり、伝聞による単純な知識だけではないことくらい、ユーフラテスだってわかってはいるが、そういうことにしておいてやろう、と溜息をつく。

 未来視だか前世だか、どちらかわからないが、それはネモフィラではない他人だ。魂が同じだろうと、それはネモフィラではない。

 ユーフラテスにとって大事なのはネモフィラただ一人。

 多少の憤りややり切れなさはあるが、他人に過ぎない女の過去など、問題ではないのだ。


 大事なのは、これから。ユーフラテスとネモフィラの二人が結ばれ、紡いでいく未来。

 ネモフィラの未来視のようにはならない。ユーフラテスがネモフィラを拒んで離れるなど、あるはずがない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] おーーー!! テスはレオンより大人♡ ん? そうでもないか。 ネモフィラに記憶はあっても、体に触れたものはいない。 ナタリーは前世の自分の子まで身ごもってる。 ははは。男って即物的ーー…
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