16 手土産の内訳(2)
前方に一人、両脇にそれぞれ一人ずつ、後方に一人と護衛騎士が馬を駆り、その間に護られた二頭曳の座馭式馬車が王城へと進む。
深紺色の車体の胴両側には王家の紋章が記され、高貴なる人物の乗ることが伺われた。閑静な上級貴族街に蹄音が鳴り渡り、次第に空は茜色に染まっていく。
行きには所狭しと座席に積まれていた荷物はなく、ユーフラテスと侍従がそれぞれ対角線を結ぶように座っていた。
ユーフラテスは俯いた顔を両手で覆っている。車体が揺らぐたびに肩が揺れる。指の隙間から覗く頬や耳、首は真っ赤に染まっていた。
――可愛かった…。
ユーフラテスの喉の奥からぐうっと低い唸り声が漏れ出る。
王城では滅多に見せない、感情露わな主を、侍従は微笑ましく見守る。
侍従が普段仕えるユーフラテスの印象は、あまり表情を変えることなく、何事にも冷静沈着、無感動気味で、王子として浮かべる微笑に熱はなく、少年らしさのない、不敬を承知で言えば、大人たちの都合のいいように育てられ、自由な感情と行動を奪われた哀れなお人形というものだ。
十歳の少年に求めるには過剰だと思われる要求に文句を言うこともなく粛々と受け入れ、王子教育には真摯に臨み、勉学、体術、剣術、作法、ダンス、音楽、美術といった教養も悉く好成績を修める。
そんな第二王子ユーフラテスだが、婚約者であるキャンベル辺境伯令嬢に対しては年相応の反応を見せる。
好きな子に素直になれない。意地悪をしてしまう。揶揄ったあとで盛大に後悔する。
王族も貴族もなく、年相応の少年そのもの。
ネモフィラが倒れてからというもの、侍従はユーフラテスが慌てふためく姿をよく見ることになった。
それまで婚約者同士の茶会で、ユーフラテスの振る舞いは傲慢そのもので、天邪鬼な思春期の少年特有とはいえ、我儘に育てられた王子らしい振る舞いにも見えた。
事実、ユーフラテス専属の使用人の中には、ユーフラテスを尊大で傲慢な、愚かな第二王子と見なす者もいる。
婚約者があのキャンベル辺境伯家のご令嬢だというのに、その政治的意味を理解していない愚かな第二王子として。
ユーフラテスにつけられた使用人達のうち、ユーフラテスの日々の予定、行動、思想等を報告するよう命じられている者もおり、侍従はそのうちの一人だった。
侍従の生家である伯爵家は、宰相が当主を担う公爵家の寄子であり、入内に便宜を図ってもらった覚えはないものの、寄親の命とあらば従わざるをえない。
ユーフラテスが赤子の頃からその成長を見守ってきた侍従は、寄親の意図を汲み、ユーフラテスの評価は常に同様に報告してきた。
『文武両道で学ぶ意欲、またその能力も高い。他者に対する振る舞いは高慢、傲慢。尊大な様子から権力欲は高いと思われる』
傀儡とするに適した第二王子であると。
しかし侍従は、ユーフラテスが何より優先するものを知っている。
王位継承争いなど、ユーフラテスは少しも興味はない。ユーフラテスが己の全てでもって守ろうとしているのは、幼い婚約者。
それがユーフラテスの最大の弱点。
侍従は、婚約者同士の毎月の茶会での傲慢な振る舞いを報告し続ける。
ネモフィラが倒れたときの、ユーフラテスの絶望に彩られた顔や、キャンベル辺境伯家に見舞いに訪れ、恋に浮かれきった少年の初々しい顔を報告することはない。
婚約者の見舞いへの手土産目録は報告する。しかしあれこれ思い悩む少年ユーフラテスの姿は、侍従の胸の内にそっと仕舞い込んである。
誰に告げるつもりもない。
◇
見舞いに出向くに当たって、まずユーフラテスのしたことは、ネモフィラへの手土産の手配だった。
オーダーから完成まで最も時間のかかりそうなものから手を付けようと、ユーフラテスは王城に衣装、宝飾と二人のデザイナーを招いた。
ネモフィラが最近登城の度に王都に降り立ち、贔屓の紳士服専門のブティックに立ち寄っていることも、ユーフラテスは知っている。
初めに報告を受けた際は、ユーフラテスへの贈り物を選んでいるのかと浮かれかけたが、そんなはずがないことは理解していたので、すぐに冷静になった。
――弟御にだろうな。
ネモフィラが弟のハロルドを特別可愛がっていることは、茶会でネモフィラの話題として上がるのが、ハロルドくらいで、またハロルドのことを口にするネモフィラの表情が生き生きとしていることで十分に察せられた。
実弟のハロルドに嫉妬するようなユーフラテスではない。
ネモフィラのハロルド贔屓は、気に入ったお人形遊びをしているのと何ら変わりはない。
見目麗しい貴族令息に熱を上げるより、実弟で人形遊びをしている方がずっと安心だ。
だからネモフィラが熱中するお人形遊びの衣装を選べるよう、デザイナーにいくつかネモフィラの好きそうなデザインを描かせることにした。
全て贈ってもいいのだが、これはきっとユーフラテスが贈るより、ネモフィラが選びたいだろう。人形遊びの醍醐味だ。
ネモフィラの贔屓するブティックお抱えデザイナーは、ユーフラテスの招待を受け、何事かと困惑しながら登城した。
王家御用達宝石店のオーナーと、その宝飾デザイナーもまた招かれたと知り、招かれた理由を察する。
衣装デザイナーが膝を折ると、ユーフラテスが口を開いた。
「キャンベル辺境伯家次男、ハロルド卿を見たことはあるか」
「ご令息にお目見えしたことはございませんが、ネモフィラ様から肖像画をいただき、そのご尊顔を拝見したことはございます」
「ならば彼のための衣装案を出来る限り出してくれ。仕立ては不要だ。ただなるべく数多く。ネモフィラ嬢の好みは把握しているな?」
「はい。かのご令嬢のお好みの通り、描いてご覧にいれます」
「そうしてくれ。ハロルド卿の肖像画は改めてそちらに送ろう。彼をモデルに見立てて絵を描いてくれ」
「かしこまりました」
次に宝飾デザイナー。
こちらは王宮御用達。慣れたものである。
ユーフラテスの意図要望を如在なく汲み取り、早々に退出した。
ユーフラテスがデザイナーに依頼したのは、髪飾りだ。
ユーフラテスの瞳の色とネモフィラの瞳の色の宝石を用いること。ネモフィラの花をモチーフにすること。華美ではなく、可憐な仕上がりとすること。
ネモフィラの美しいブルネットの髪に映え、ネモフィラの愛らしく楚々たる佇まいを損なわず、より引き立てること。
宝飾デザイナーはユーフラテスの依頼を受け、手早く髪飾りのデザイン原案を描いてみせる。
目を通したユーフラテスが了承を伝えると、デザイナーは修正を加えた最終デザイン案は必要かと確認するので、それを否定した。
「このままでよい。その代わり、期日までに必ず仕上げるように。職人には急がせるが、報酬はその分出す」
「光栄にございます」
宝飾店オーナーは満足気な足取りで部屋を辞した。
ネモフィラの豊かに波打つ、美しいブルネットの髪。ネモフィラが唯一自慢に思っていた髪。
華やかではなく美人とも言えないが、ネモフィラの淡い水色の瞳も、小さい鼻や口も、ふっくらと柔かそうな頬も、ふくふくぷくぷくとした腕も、ユーフラテスは気に入っている。
そもそも誰も彼もが容姿端麗の王族の身に生まれ、周囲を取り囲む高位貴族達も同様だ。容姿が整っているかどうかに興味はない。
しかし大抵の者は容姿を重視するのだということは十分理解している。それだから、ネモフィラが容姿に優れないことを気に病んでいることも、そしてまたそれを指摘する者が少なくないことも察している。
ネモフィラの数少ない自慢だったブルネットの髪。
また美しく結い上げる姿が見たい。
髪飾りに依頼した瞳の色など、ネモフィラはおそらく気が付かない。気が付かなくていいから、またネモフィラが着飾ってくれたらいいのに、と思う。
その時は素直に褒められるよう、ユーフラテスも努力する。
努力していく。