15 手土産の内訳
ユーフラテスから贈られた品々を前に、ネモフィラは困惑していた。
煌びやかな衣装が幾枚にも渡って描かれたスケッチブックと、王家御用達の高級宝石店の最新作であろう髪飾り。
どちらもネモフィラにとって、予想外の贈り物だったが、とりわけスケッチブックはネモフィラを困惑させた。
――これは…。わたくしに殿下のご衣装を選んでほしい、ということ…?
ネモフィラはスケッツブックを手に取り、ぱらぱらと頁を捲っていく。全ての頁の右下にデザイナーらしき名前が記されている。
ぱたん、とネモフィラがスケッチブックを閉じると、その表紙をまじまじと眺める。表紙には、とあるブティックの名前が金箔押しされている。
王子妃教育やユーフラテスとの茶会のため登城する折、ネモフィラが立ち寄っていた王都のブティック。最近ネモフィラが贔屓にしていた、そしてつい先月もハロルドへのブラウスを用立てた、高級紳士服を取り扱うブティック。オーダーメイドと既製品の双方を担うブティック。
王宮御用達のブティックではなく、またデザイナーも王家と繋がりはない。
そういった王家と縁づいている店というのは、王家に許された証として、店先に必ず王家の紋章を掲げている。王家が店を保護しているという証。
つまりユーフラテスが個人でその店を贔屓にしていたことはないはずで、なぜそのブティックをユーフラテスが知っているのかも不明なのだが、その店のカタログと思われる品をネモフィラに贈ってきたということが、何を意図しているのか。
それが今、ネモフィラの頭を悩ませていることである。
――殿下のご衣裳をわたくしが…?いえでも、殿下はわたくしの装いをお認めになったことはないはず。
茶会に登城すれば、地味だ、みすぼらしい、俺の婚約者に相応しい装いをしろ、と貶されこそすれ、ネモフィラの美的感覚を褒められたことなどない。
ネモフィラとて自らのドレスや宝飾品等に拘ったことはなく、母である辺境伯夫人に用意されるがまま、使用人達に着飾らせていたのだが、それにしてもユーフラテスがネモフィラに衣装を用立ててほしいなど望むはずもない。
それに。
ネモフィラはもう一度スケッチブックを捲る。
描かれている衣装は、いやその衣装を身に着けているモデルは、ユーフラテスよりずっと幼い少年として描かれているように見える。
――まるでハロルドのような…。
そう。まるでハロルドのような、幼い少年がモデルだ。
年の頃は、五つか六つか。あどけない表情には輝くような碧い瞳。薄い唇は赤く色づき、綻んでいる。
美少年と呼ぶに相応しいその幼い顔は、ハロルドによく似ている。
少し癖のある金髪がふわふわと描かれ、髪型までまるで同じ。
ユーフラテスも金の髪を持つが、肩につくかつかないかといった長さの、癖のない真っすぐな髪を黒いリボンで一つにまとめている。それにスケッチブックに描かれたモデルのような幼くあどけない表情を見せることはなく、口元は常に固く引き結ばれている。
何より瞳の色は碧ではなく琥珀色だ。
王族に命じられたデザイナーが、モデルとした王族その人の瞳の色を違うはずがない。そんなことをすれば、今後デザイナーとして生きていく途はない。それどころか命そのものも危うくなる。
そしてこのスケッチブックはユーフラテスから贈られたもの。おそらくユーフラテスがデザイナーに指示して描かせたもの。
となると、スケッチブックに描かれたモデルはユーフラテスではない。
見れば見るほど、スケッチブックのモデルはハロルドのように思えてくるのだが、ユーフラテスがネモフィラに、ハロルドの衣装用カタログを贈る理由がまるでわからない。見当もつかない。
ネモフィラは目を瞑って嘆息した。
――お礼のお手紙で殿下に伺うことにしましょう。
贈り物への礼状に、ユーフラテスの意図を汲むことができなかったなど、ユーフラテスの機嫌を損ねそうな無粋なことを書くのは、さすがのネモフィラも気が引けたが、来月の茶会は催されないらしいので、手紙で尋ねる以外に他の手がない。
おそらくこのためだけに描き下ろされただろう、せっかくのデザインを、用立てることもなく手持無沙汰にしているのも、ユーフラテスの好意を無碍にすることになるし、あまりに愚図愚図していると、流行りも変わってしまう。かといってこのスケッチに描かれたデザインが、誰に向けて描かれたのかがわからなければ、どうオーダーしてよいものか、さっぱりわからない。
ユーフラテスのために誂えてもらうのと、――仮にハロルドだったとして――ハロルドのために誂えるのとでは、選ぶデザインも色も素材も変わるし、何より寸法がまるで違う。
スケッチブックをテーブルに置くと、今度は天鵞絨張りの小箱を手に取った。
こちらはまさしく王宮御用達の宝石店の品だ。王家の紋章が箱に箔押しされている。
深い臙脂色の、滑らかな質感のその箱に鎮座しているのは、澄んた水色と琥珀色の宝石が繊細な金細工で囲われた髪飾り。派手さはないが愛らしく、それでいて一目で高価なものだとわかる。
小さな花の花弁には澄んた水色と琥珀色の宝石が煌めき、その小さな花がブーケのように丸く寄せられている。そしてそのブーケから華奢な金のチェーンが長さを変えて幾本も連なっている。
結った髪につければ、風や動きに合わせてゆらゆらと揺れるのだろう。チェーンはカットボールで、光に当たれば、きらきらと輝くに違いない。
思わずため息が零れるほど、美しい髪飾り。
ネモフィラの美しいブルネットの髪によく映えることだろう。
そしてこれまでのネモフィラならば気が付かなかっただろうことにも、気が付いてしまった。
――殿下の瞳の色ですわ。チェーンは殿下の髪の色…もしかして、この淡い水色は、わたくしの瞳の色、かしら。
ネモフィラの頬にカッと熱が集まる。
これまでだったら、きっと気が付かなかった。綺麗な髪飾りね、で終わったはずだ。
けれど、乙女ゲームのユーフラテスがヒロインに贈っていたのだ。
ユーフラテスの瞳の色である琥珀と、ヒロインの瞳の色である黒曜石が並んだ、華奢な金のチェーンブレスレット。
――琥珀に黒曜石だなんて地味な色合わせ。つまんないな。第二王子ってセンスがないのねぇ。まあ二人とも地味な色だし仕方ないか。
そんな風にパソコンを前に悪態をついている女の姿が、ネモフィラの脳裏に蘇る。
移植版もあるが、元々はPCゲームだった。じわじわと人気が出て、移植版が出たかと思うと、関連小説やコミックが発売され、多媒体に手を出した結果失敗したという、よくあるメディアミックスの失敗例。
そんなどうでもいい枝葉末節が、同時に浮かんでは消えた。
――これは…これは、どういうことですの…!
ネモフィラの髪飾りを持つ手が震える。
だって、ユーフラテスはネモフィラをいつも地味だ馬鹿だ間抜けだと言うばかりで、褒めたことなど一度もないし、髪飾りをつけるべき髪も、以前はネモフィラの自慢だったが、ユーフラテスには平民によくいる色だとかそんなことしか言われたことがない。
恐慌状態に陥ったネモフィラは、混乱しながらも、そういえば、と思い出す。
ゲームのユーフラテスと、ネモフィラが婚約者としてこれまで接してきたユーフラテスは、性格がだいぶ違うように思う。
ゲームの中のユーフラテスは、二十四歳と今よりだいぶ年上だということもあるかもしれないが、常に穏やかな微笑みを浮かべた落ち着いた紳士で、知力体力に優れた、包容力のある年上枠だった。
ネモフィラに嫌味を繰り出しては鼻で笑うような、傲慢俺様王子では、決してなかった。