13 婚約者の進歩
茶会を終えて花を摘みにいっていたネモフィラは、急いで見送りに向かうと、玄関ホール手前で話し込むユーフラテスとヒューバートの姿を認めた。
何やら楽しそうだ。
ユーフラテスは他の貴族子息令嬢に向ける第二王子らしく礼節と品位、王族の威厳を表に出した外面ではなく、ネモフィラに見せるいつもの尊大で酷薄な笑みを浮かべているし、いつも穏やかな兄のヒューバートはネモフィラの見たことのない、抜け目のない蛇のような油断ならない、しかし愉快そうな表情を見せている。
――あのお二人、意外と気が合うのかしら。
ヒューバートが第一王子である王太子と親しくしているのは知っていたが、第二王子のユーフラテスとの接点は特にないと思っていた。
ネモフィラは知らないことだったが、ヒューバートはこれまで故意的にユーフラテスと距離を取っていた。ヒューバートは第一王子の側近候補であり、何よりヒューバート自身が第一王子を生涯の主として定めていたからだ。
キャンベル辺境伯家では長男ヒューバートが王太子の側近候補、長女ネモフィラがユーフラテスの婚約者と、王位継承権第一位、第二位の王子二人と親しくしているが、これはとても異例なことだ。
王太子のアルフレッドと第二王子ユーフラテスはともに正妃の子であり、仲は悪くない。正妃はもともと他国の王女のため、国内の大貴族の後ろ盾という点においては、側妃の子である第三王子の方が力を持つ。
そのため、第三王子派に対抗する第一王子と第二王子は結託していて、一見第一王子派と第二王子派は袂を同じくしているように見える。
しかしやはりそこは陰謀渦巻く政権争いの場。まだ少年の王子達を傀儡に自らの権力を欲する貴族達には、腹の内に隠している野望がある。
手を組んでいるように見せかけ、事が起きれば第一王子派と第二王子派はすぐさま対立するだろう。今は第三王子派が共通の敵としてあるため、手を結んでいるに過ぎない。
第一王子アルフレッドは今のところ王太子として何の問題もない。
やや武に欠くが将来の為政者として優秀な王子で、正妃に似た柔和な容貌は中性的で美しい。伝え聞く御人柄は、穏やかで慈悲深く、民への情けを忘れないお方だという。そのような評判が出回るということは、人徳もあるということだろう。
対する第二王子ユーフラテスはまだ十歳と幼く、王子教育は真面目に臨んでいるが、これといった公務も成果も特になかった。
だが今回、ネモフィラが王宮の茶会にて秘事を口外した後に倒れ、その火消しにと宰相を始めとした高級官僚達に直接掛け合った蛮勇が目を引くことになった。それだけでなく古狸達を見事説得させ、最終的に国王を認めさせた。
この第二王子の動きは直ちに王宮内に駆け巡り、また王都の貴族達の間に動揺を生じさせた。
第二王子はキャンベル辺境伯家の力を盾に、王位継承争いに打って出るのではないか、と。
そのために、通常では考えられないような落ちこぼれ令嬢を婚約者とし、またその婚約者とその生家のために尽力したに違いない。
そう考えた貴族達は、己の立ち位置を再考することとなった。
そしてまたその貴族達の動きを受け、王太子やその側近候補達も動いた。
そのうちの一つが今日のヒューバートだったのだが、ユーフラテス本人の明白な宣言を以って、これからユーフラテスは本格的に王太子陣営に加わることとなる。
その布石となる茶会だった。
ネモフィラが談笑する二人をボンヤリ眺めていると、ユーフラテスがネモフィラに気が付き、振り返った。
「戻ったか」
「はい。お待たせいたしました」
「いや、お陰でキャンベル卿と有意義な話ができた」
「光栄にございます」
ヒューバートはいつもの穏やかな笑みを浮かべ、ユーフラテスに礼をした。
ユーフラテスは頷くと、ネモフィラに向かい合う。
「これから少し、忙しくなる」
「はい」
「おそらく来月の茶会は参加できない」
「かしこまりました」
ネモフィラが頷くと、ユーフラテスの眉間に皺が寄った。
「何か言うことはないのか?」
「?ええと…お疲れ様でございます?」
「はあ…」
ユーフラテスは呆れたように息を吐きだすと、腰に手をあて、少し身を屈めた。
助けを求めるように兄ヒューバートを仰ぎ見ると、ヒューバートは口元に手を当て、笑いを堪えていた。
――なんですの…?
ユーフラテスがネモフィラに小言や嫌味を言ったり、ため息をついてくるのは常だが、ヒューバートはそんな何かしでかしたらしいネモフィラに注意を促すこともなく、愉快そうに笑っている。
今日はヒューバートの珍しい顔を見る日のようだ。いや、ユーフラテスも珍しいことばかりする。
「まあいい。今日は病み上がりに無理をさせたな」
「いえ!殿下のおかげで、久しぶりにお菓子をいただけましたわ!大変美味しゅうございました!」
ユーフラテスはほんの一瞬、顔を顰めたが、軽く頭を振ると、いつもの傲慢そうな不敵な笑みを浮かべた。
「そうか。それならば持ってきた甲斐があったというものだ」
「殿下のおかげでございます!わたくし、殿下の素晴らしいお人柄に改めて感銘を受けましたわ。まさにこの国を支えるに相応しいお方です!」
ネモフィラはユーフラテスにせっせと媚びを売る。ユーフラテスは眉を下げて苦笑した。
「また贈ろう」
「まあっ!本当にございますか!」
胸の前で手を組み、ぱあっと表情を明るくしたネモフィラに、ユーフラテスは目を眇める。
「何を白々しい。それを望んでいたのだろう」
「うっ…。ご存知でしたか…」
言葉に詰まるネモフィラに、ユーフラテスはふっと笑った。またあの、優しい目をしている。ネモフィラは胸の奥がぎゅっと詰まったような心地になった。
ユーフラテスが手を伸ばして、そっとネモフィラの頬に触れる。
「…別れがたいな」
ぼそっと小さく呟く声。
「え?」
「いや、気にするな」
ネモフィラの頬から手を離し、ユーフラテスは首を振った。
「今日は俺の我儘でキャンベル卿に無理を通したが、今夜はまた胃を休めろ」
「えええ…」
ネモフィラは露骨に顔を顰めた。ユーフラテスは吹き出すと、ネモフィラの頬を指で摘まんだ。
ぐにっと左右に引っ張られ、ネモフィラのぷっくらとした頬が歪む。
「いひゃい!いひゃいれすわ!」
「痩せる必要などないが、また倒れるのだけは勘弁してくれ。自愛しろ」
あまりの暴挙にネモフィラが抗議の目の意を込めてユーフラテスを睨みつけると、思いの他、真剣な眼差しを向けられ、ネモフィラは戸惑った。
――何かしら。今日の殿下、やっぱり少しおかしいですわ。
何より、こんなふうに無闇にネモフィラに触れてきたことなどなかった。エスコートの際に儀礼的に触れるだけで、それは礼節に則って、何の感情もないもので。今のように楽し気に悪戯をしかけてくることなんてなくて。
――楽し気?あら、そういえば殿下がこんなに楽しそうなお顔をされていたこと、これまであったかしら。
得意満面に嫌味を言う姿は、まあ楽し気と言えなくもないが。
ネモフィラがボンヤリとユーフラテスを見上げていると、じわじわとユーフラテスの白い肌が赤く染まっていく。
勢いよくネモフィラの頬から手を離すと、ユーフラテスは赤く染まった顔を隠すように片手で顔を覆った。
つねられていた頬がジンジンと痛い。ネモフィラは両手で自分の頬を包む。
ユーフラテスは何か小さく呻いて顔を上げない。
「殿下、どうかなさいましたか?」
「…どうもしない」
どうもしない、ようには見えない。
いつもなら、ネモフィラはここで特に何か言うことはない。ユーフラテスに何か言葉を返す度に数倍の反論が返ってくるからだ。大人しく頷いていれば、何事もなく過ぎる。
「今日の殿下は」
「なんだ」
ネモフィラの言葉を遮ったユーフラテスは、顔に当てていた手を下ろし、眉をきつく寄せて眼光鋭く睨んでくる。お顔が真っ赤なので、ちっとも怖くないが。
「…いつもと様子が違うように感じますわ」
「そうか」
「はい」
ネモフィラが頷くと、ユーフラテスは不遜に笑った。真っ赤な顔のまま。
「違いがわかるようになったのなら、大した進歩だな」
どういう意味だろうか。
そしてそのままユーフラテスは王城へと帰っていった。