12 少年達の密約
辺境伯家タウンハウスの執事から、預けていたジュストコールを受け取りに、ユーフラテスは玄関ホールへ向かった。
その背中に声をかける者がいる。
「第二王子殿下」
「なんだ」
ヒューバートだ。
ユーフラテスが顔だけ後ろに向けると、ヒューバートが膝を折って礼をしていた。軽く握った右の拳を胸の前にあて、左腕は後ろ手に回している。
「第二王子殿下。この度のこと、殿下がご尽力くださったと伺いました」
「私との茶会で起きたことだ。己の尻拭いをしたに過ぎない」
気にするなとばかりにまた正面へ向き直るユーフラテス。
ヒューバートは立ち上がり、ユーフラテスの背に言葉を重ねる。
「いえ。殿下のお力添えがなければ、我が家は没落の憂き目に遭っていたかもしれません」
「それはないな。キャンベル辺境伯家を潰す利がまるでない」
ばっさりと即断するユーフラテスに、ヒューバートは内心苦笑した。
王家にとってはそうかもしれない。だが、王宮で政を担う、有象無象の腹に抱えるものは違うだろう。
しかしそれを指摘してしまえば、大貴族達の持つ権力を重く見ていることになり、王家の求心力に疑問を呈していると、不敬に当たってしまう。
「我がキャンベル辺境伯家のためにご尽力いただき、一族一同を代表し、心より深謝申し上げます。そのお礼に……と言うわけではないですが」
ユーフラテスが片眉を上げる。
ヒューバートは穏やかな微笑みを浮かべたまま、眉間を寄せて睨みつけてくるユーフラテスと目を合わせた。
「殿下の側近候補達は、皆まだ幼い。少々心許ないのでは? 今後の成長にご期待されるところもあるのでしょうが、今すぐ動ける人間を殿下の側に一人、置いてもよろしいのではないかと」
ヒューバートはニッコリと笑った。
背けていた体を直したユーフラテスは、ヒューバートに向かい合い、睨め上げる。
「キャンベル卿。貴卿の申し出はありがたい。だが、貴卿は妹御が王の側妃となって、幸福を感じる女性であると思われるのか?」
ユーフラテスの真っ直ぐ向けられた強い意志の込められた瞳に、ヒューバートは目を瞬いた。
「それはまた……」
ユーフラテスは軽く頭を振って瞑目する。
その様子をヒューバートは目を細めて眺めた。ユーフラテスが目を開く。
「キャンベル卿。貴卿にも宣言しよう。私は生涯ネモフィラ嬢以外、娶ることはないと」
つまり国王となり、他国の王女を娶るつもりはない、とユーフラテスは言外に主張する。
ヒューバートが面白そうに口角を上げた。
ユーフラテスはそんなヒューバートを強く射貫くように、真っ直ぐ見つめ続ける。
「私は全力で兄の補佐をする。改めて周囲にも知らしめよう。兄と私を傀儡に、派閥争いを仕掛ける狸に利用はされぬ」
「それはまた頼もしい。しかし、そのためには殿下の周りも、お遊び相手だけではご不安でしょう」
ユーフラテスはフッと不敵に笑った。
ヒューバートは瞠目する。ユーフラテスの兄、アルフレッド王太子がヒューバートに見せる、自信に溢れた王者たる風格をそこに感じた。
子供特有の万能感に無鉄砲。それに過ぎないのに。
――信じてついていきたくなる力を備えていらっしゃる。
ヒューバートは微笑む。
「利用されるのなら、こちらも利用してやるまで。キャンベル卿。貴卿の忠誠は兄にあるのだろう」
ヒューバートはわざとらしく眉尻を下げた。
「ご存知でしたか」
「あまり見くびられても困るな。まあ貴卿はそのように油断してもらった方がやりやすい相手ではあるが」
ユーフラテスとヒューバートは目を合わせて笑いあった。
ひとしきり笑うと、ユーフラテスのアンバーの瞳に強い光が戻ってくる。
「兄の立場では許されない仕事は私がしよう。そしてその功績は全て兄に譲り渡そう……これで貴卿の望みとなるか?」
「畏れ入ります」
ヒューバートは微笑んだ。
「貴卿の傀儡にされた挙句に廃されるのは御免だからな」
「また滅相もない」
目を丸くするヒューバートに、ユーフラテスは抜け目なく、穿った視線を視線をよこす。
「その代わり、ネモフィラ嬢のことだけは譲らない」
――ああ、第二王子殿下もまた、第十一代国王陛下と似たお人柄のようだ。
ヒューバートは先祖ナタリー・キャンベルに唯一の愛を捧げた愚王をユーフラテスに重ねる。
キャンベル辺境伯家から見て、かの愚王は恩人でもあり、また大変恨めしい人物でもある。
現キャンベル辺境伯当主などは、第十一代国王陛下に厚恩を感じていそうだが、ヒューバートは苦々しい思いを抱いている。
「私はまだ王子だ。それ故、何をおいてもネモフィラ嬢を優先すると約束することは叶わん。有事のときは切り捨てねばなるまい。しかしどんな状況下でも、必ず最後までネモフィラ嬢の幸福を追求し諦めぬと誓う」
どうやらユーフラテスは、愛故に、王族である責務を投げ出すつもりはないらしい。
レオンハルト元国王陛下ほどの愚行をとるつもりは、今のところはない、と見てよいだろうか。
ヒューバートはユーフラテスの言葉の続きに耳を傾ける。
「キャンベル卿。もし私に恩を感じてくれるのならば。貴卿は兄の側近として忠誠を誓い、兄に侍る誰よりも近しい者となり、力となり、盾となり、この国を支えてほしい。そして万が一、私に何かあったときは……」
ユーフラテスがぐっと口を真横に引き結ぶ。
拳を握り、眉間を深く寄せ、ヒューバートを睨めあげる。
「その時は躊躇なく俺を切り捨て、ネモフィラを救い上げてくれ。貴方の持てる力全てで、ネモフィラの幸せを保証してほしい」
ヒューバートは何度か目を瞬くと、口元に手をやり、薄く笑った。
「……ふふ。どうでしょう。私は殿下のお察しの通り、家族の情が薄いですからね」
「……貴卿が露悪的であることは知っている」
苦虫を噛み潰したように口をへの字に曲げるユーフラテスに、ヒューバートは声を上げて笑った。
「ネモフィラはそうは思っていませんよ。あの子は私を警戒している。ふふ。獣のような勘ですね」
「彼女は……素直だからな」
ヒューバートがますます可笑しそうに笑う。
「単純なところが、ネモフィラの可愛いところです。そうでしょう?」
「…………」
ユーフラテスは無言を貫いた。
ヒューバートはそんなユーフラテスを、慈愛に満ちた優しい目で見下ろした。
「まあ殿下がネモフィラを特別に扱ううちは、私もネモフィラを守りますよ。その価値がありますから」
「貴卿のその、心にもないことを笑顔で言うところが、ネモフィラの癇に障るのだろう」
「まあそうですね。ですが殿下も、ネモフィラには同じようなことです」
ネモフィラに殊更傲慢に振る舞ってしまうこと。好意を素直に伝えられない幼さを指摘され、ユーフラテスはムッツリと黙る。
「あの子が殿下のお気持ちに気がつくのは、一体いつになるでしょうね」
もうこれ以上は戯言に付き合う気はない、とばかりにユーフラテスは首を振った。
「ともかく、これから貴族連中に俺の立場を明確にしていく。その時に力を借りることがあるかもしれないが、それは兄に知らせなくてよい。俺の独断としろ」
「王太子殿下には内密に第二王子殿下と連絡を取っているなどと、王太子殿下にことが知れたら、私は裏切り者だと処断されますよ」
ヒューバートが首に手を当て、水平に一直線、スパッと斬るように動かす。ユーフラテスは眉を顰めた。
「貴卿がそんなヘマをするものか」
「買い被ってくださいますねぇ」
ヒューバートは嬉しそうに頷く。そして深碧の目の色を濃くした。
「しかし私は、何があっても王太子殿下につきますよ」
万が一の際は証言を変える、とユーフラテスに示唆するヒューバート。
「それでいい。数年後には、弟御に、ハロルド卿に貴卿の代わりを担ってもらおう」
ユーフラテスの側近候補よりさらに、まだ幼いハロルドを手駒に使う、というユーフラテスに、ヒューバートは瞠目した。
「なに。最初は伝書鳩になってくれればいい」
ユーフラテスはニヤリと笑った。
「あれはネモフィラの秘蔵っ子だからな」