第二話『逃げ切った後で』
ボコボコボコボコボコボコ!
と、耳の中が水の音で満たされる。
手で必死に水を掻いて、何とか水面に這い上がろうとするが、どうもうまく行かない。
落ちた高さが良くなかったのだろう。クッションになると思っていた水が、凶器になるなんて思いもしなかった。
水に落ちたときの衝撃が、修也の全身に鈍い痛みを与えていたのだ。地面に落ちるよりはマシだったのだろうが、それでも痛みに耐性のない修也には、水に落ちた時の衝撃が苦痛だった。
途中から平泳ぎに切り替え、修也は無数の岩の塊の上から見た川の長さを必死に思い出しながら、自分にあと少しと言い聞かせる。水の中で目を開き、浅瀬が近いことを改めて確認する。
上から川に飛び降りるのはこれで最後だと思いつつ、ついに浅瀬に足が付いた。
そのまま足に力を込めて――。
「――っはぁ!」
口を開いたり閉じたりしながら、修也は必死に空気を求めた。全身を疲労感が襲い、今にも倒れてしまいたいと思うが、すぐに立ち直る。
「はぁ……はぁ……」
パシャパシャと音を立てて、修也は河原に向かった。河原に付くとその場に座って、何気なく上を見た。
先程の熊は、河原に座り込んでいる修也を見ていた。目があって、修也は思わず目を伏せる。
熊はしばらく修也を観察した後、諦めたようにその場を去っていった。あの熊なら岩を降りるくらい余裕だと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「マジで……死ぬかと思った」
そう言った後、修也は河原に倒れ込んだ。
背中に衝撃が走る。
「あれ?」
地面に背中から倒れて、衝撃が来ないのはおかしいと思い、修也は慌てて背中を見た。
そこにあるべきもの――学生鞄がない。
どうやら、落下中に落としてしまったようだ。川の方を見てみると、先程修也が落ちた位置に学生鞄があった。やや大きめの、棘のような形をした岩に引っかかっている。
下手をしたら、自分があの岩に突き刺さっていたのだと思うと、改めて自分の運が良かったのだと実感する。熊から逃げられたのも、きっと何かの運命なのだ。
「……よし」
そう考えている間に修也は息を整えて、軽く準備運動をしていた。
学生鞄の中には、ブルーベリー(仮称)が入っている。あれは今後の食料だ。何個かは潰れているかもしてないが、無いよりはマシ。
修也は浅瀬を歩いて進んだ後に、思いっきり息を吸い込んで、水の中に潜った。
平泳ぎで、何回か息継ぎをした後に、修也は学生鞄のある位置についた。
棘のような形をした岩の側面に手をついて、川の流れに押し流されないようにすると、修也は学生鞄を横倒しにして、中身が溢れないようにした後、ブルーベリー(仮称)が無事かを確認する。
中を見てもよく分からなかったが、中身の大部分は無事だった。その事に安堵して河原の方に戻ろうとした――その時。
「え!」
慌てて棘のような形をした岩に戻り、鞄を背負った後、顔だけを出して、岩の影に隠れた。
あの熊が、修也が先程いた場所にいたのだ。
「速いな……離れて良かった」
その光景を見て、修也は安堵する。
熊の移動速度は、思った以上に速かったようだ。先程の岩からここまで来るのにどれだけの時間がかかったのか分からないが、とんでもない速さで来たに違いない。
学生服を着たままで川に入ってよかったと改めて思う。服を脱いであの場所に放置していたら、おそらく引き裂かれていただろう。
その後、熊はしばらく修也のいた場所を彷徨いていたが、しばらくした後に熊はその場を離れた。
その間、修也は水に潜んでいたが、途中何度か溺れそうになったのは、また別の話。
修也は制服を脱いで、太陽の光でその服を乾かしていた。
単純に服が濡れているのは不快だし、気持ち悪いからだ。その間、パンツ一丁になった修也は、ある事を必死に行っていた。
火を起こそうとしていたのだ。
火溝式という、同じ場所を縦に擦り続け、それによって発生する摩擦熱で発火させるというもので、修也は実際にやったことが無いが、夜には火が必要になる為に、こんな無茶をしていた。
火起こしをしようとしている場所は、先程の川に近いところではなく、少し離れた地面で行っていた。
地面が湿っているとうまくいかないと、どこかで聞いたからである。
乾燥した木の皮に、丈夫そうな木の枝をひたすら擦り続けるという単純な作業だが、高校生の体力では、なかなかの苦行だった。
力を込め続けている手が痛い。回し続けていると、手が少しだけ切れた。
修也の鼻息は荒く、なぜこんな事をしなければならないのかと、この状況を疑問視している。
顔を顰めている様子を見ると、疲れているのは明らかだ。めんどくさい、だるい等の心の声が聞こえてくるようだった。
初めてから、どれだけの時間が立ったのだろうかと、修也はそんな事を思うが、すぐに雑念を消去する。やり続ければ成功するのだ。手を止めるなと自分を叱咤する。
――やり始めてからしばらくして、遂に煙が頭を持ち上げた。
「っしゃあ! 付いた付いた! えーっと、この後は……」
記憶を辿って、必死にどうすれば良いのかを思い出す。
「あ、そうだった。モグサって奴に火種を移して……」
だが、モグサは無い。無いので、制服の一部を歯で引きちぎり、代用する。
制服の大部分を使った着火だ。
「…………」
火がついた。付いてしまった。
「ふぅ……」
謎の達成感が胸の中を埋め尽くした。火付けなど初めてやったが、火種を作れば、案外なんとかなるものだ。
「あれ、濡れたはずの制服に火が付いたってことは……」
近くで地面に広げて干している白シャツを手にとった。全体を触ってみたが、大部分が乾いていた。
どうやら自分が相当火付けに熱中していたらしいと、修也は自分の集中力に呆れていた。
だが、そうしている暇はない。火を持続させるためには、もうひと手間いるのだ。
修也は、事前に集めていた小枝を、制服の残骸の上に、三角形になるように配置した。これは家族で言ったキャンプで父親から教わっていたので、慣れた手付きで小枝を配置していく。
割り箸の方が良かったのだが、贅沢な事は言ってられない。
ここまで来ると、火は安定してくる。待っていれば勝手に火が広がっていくだろう。
「えーっと……この後は……」
火が広がれば、後はそれを持続させるだけだ。大きな薪でも太い枝でもくべればいい。
「…………」
後は、待つだけの作業だ。
――と思ったのだが、思いのほか早く火が育ったので、すぐに薪をくべる事にした。
薪と言っていいのか分からないが、取りあえず太い枝や乾燥した木の破片を持って、それを焚火にくべる。山型にすると、修也は地面に座り込んだ。
「終わった〜」
後はもう大丈夫だと思い、修也は手早く白シャツとズボンを着た。若干肌寒いが、背に腹は変えられない。
「休憩するか」
修也はそう呟くと、学生鞄を枕代わりにして、目を閉じた。不思議な事に、中のブルーベリー(仮称)が潰れるような感触はしなかった。
疲れが溜まっていたのか、だんだんと意識が薄れてきて――そのまま眠った。
これからは、この火を持続させなければならない、と思っていた。
だが、さすが異世界。元いた世界での常識を、軽々と打ち壊してくる。
焚火の火は、日を跨いでも消えることは無かった。
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