第一話『異世界転移』
自分は異世界に来たのだ――そう認識したのは、それからしばらく経った後の事だった。
この結論に至るまでに、元いた世界とは明確に違う部分があると自分の中で結論づけたのだ。
まず生き物の種類。一時間程だろうか、元いた場所から真っすぐ森の中を歩いていると、様々な生き物に出会った。
緑色のウサギ、ヘラジカよりもデカい角を持った鹿、やたらと耳が長い狐……エトセトラエトセトラ。
現代には存在しない生き物。これが自分が異世界転移をした証拠である、と結論づけた。そうすると、これらの摩訶不思議な生き物は、異世界の生き物だということになる。
まあ証拠は正直弱いが、こう納得しないと気が狂いそうだったのだ。異世界なら何でもアリだと思えば、案外不思議な生き物も難なく受け入れられるものだ。
「…………」
起伏の激しい地面に、様々な生き物。原生林には言ったことがないが、まさしくこんな感じなのだろう。人の手が加わっていないと、これほどまでにあるき辛い。
歩いていると、ちょうどいい切り株を見つけたので、修也はそこに腰掛けた。ミシリと音が鳴ったのを見ると、ここに生えていた木がどれほど昔に倒れたのかが分かる。その証拠に、今座っている切り株は修也の目測で1メートル以上もあった。
「さて、状況を整理するか」
修也はそう呟くと、両手を組んで、視線を下に落とした。
今のこの状況は、偶発的に起こった出来事であることは間違いない。
根拠は二つ。仮にこの場所が異世界だとして、転移させた奴がいないのはおかしい。ライトノベルでこういったシチュエーションはよく見かけるが、それには必ず召喚者がいた。だが修也の目の前にはそういった存在は現れなかったのだ。
二つ目は、こんな何の取り柄もない男を、果たして神様は呼び出すだろうか。元いた世界では何の武術も、魔術も習得していないのに、こんな所に呼び出される意味は、果たしてあるのか?
故に修也は考える。これは事故、天災のような物なのだと。
「……はぁ」
偶発的に起こった、いわゆる事故の可能性が高いこの出来事。呼び出した理由が無いのなら、帰す理由もない。
――つまり、今後一生、この世界で暮らしていかなければならない可能性だってある。
「よくある異世界物とこの世界とを一緒にするな。もしこの世界にいるのが俺だけなら? 俺はずっと一人ってことになる。魔術なんてあるかどうか分からないし、人が居るかも分からないんだ」
この世界に来てしばらく立つが、修也はまだ一度も人に出会っていない。
異世界なのだから、元いた世界の物理的な法則はこっちでは全く適応されないのかもしれない。
異世界なのだから。
「……はぁ」
考え事をしていると、喉が乾いてきた。唾を飲み込み、少しだけ喉を潤わせるが、すぐにまた喉が渇く。
「そうだ、水と食料……」
今更ながらに、自分がやや危機的な状況に陥っていると気づく。水と食料が無ければ生きていけないというのは、全生物に共通する事項なのだ。
水分は最大1週間摂取しないと死に、食料は最大2ヶ月摂取しないと死ぬ。そんな知識が頭の片隅に留めてあり、この状況が非常に不味いことを今更ながらに意識する。
「ああくそっ、落ち着け。冷静になれ……」
最優先にするべきなのは水の確保。下手をすれば食料よりも大事な水をなんとかすれば、しばらく生き延びれるだろう。
1時間ほど森の中を歩いて切り株のところまで来たのはいいものの、水源らしき物は見つからなかった。真っすぐに進めば森を出られるだろうという安直な考えで歩いていたが、食料と水をどうにかしないと、一週間も生き延びれない。
「歩け歩け、何もしないのが1番駄目だ。なんとかして森を出て、人のいる街に行かないと」
そう呟いて、修也は立ち上がり、再び歩き出した。
「――お」
再び歩き初めてから、ついに日が空の真上に位置した時に、修也はそれを見つけた。
「ブルーベリーか? これ」
木に手を付きながら、修也はブルーベリー(仮称)を見ていた。元いた世界で見たことがあるが、記憶の物と目の前にある物は同じ見た目をしている。
小さな枝らしきものに生っているそれは、腹が空いてきた修也には輝いているように見えた。
唾をゴクリと飲み込んで、修也は生っている謎の実を小さな枝からもぎ取り、そっと口にする。
「……美味い」
口の中に広がる酸味。独特な風味のブルーベリー(仮称)を飲み込んだ。2個目に食べた物は口の中でよく噛み砕き、果汁を飲み込む。修也の腹が、僅かに満たされた。
「…………」
まだまだ生っているブルーベリー(仮称)を見て、修也はそれらを次々とむしって食べていく。
得体のしれない物を食べるのは、普段なら躊躇する行いだったが、今だけは別だ。腹も空いているし、そもそも毒ならすぐに分かる。
その実は次々と見つかり、修也はそれらを腹が満たされるまで食べた。それでもブルーベリー(仮称)が残っているのだから驚きだ。群生地帯でも見つけたのだろうか。
「これでしばらくは持つかな」
ブルーベリー(仮称)がたくさん生っている光景を見て、修也はそう呟いた。
残っているそれらをすべて持っていこうと、修也はちょうど手元にあった学生鞄を開いて、その中にブルーベリー(仮称)を大量に入れた。
ちなみに、異世界転移する前に学生鞄の中に入っていた物は、全て捨ててきた。
「…………さて」
修也が再び立ち上がって、森の中を歩こうとした――その時。
ガサッ。
「ん?」
少し離れた所から音がした。草むらか何かが踏まれた音だ。また異世界の生き物かと、少し息を潜めてその方向を見ていると……。
巨体が姿を現す。
「グルルルルル……」
唸り声を上げて、修也のことをじっと見ているのは、目測で3メートルはある――熊だった。
「…………」
修也が呆然としていると、その熊は修也の方にゆっくりと向かってくる。こちらを襲おうとしているのは火を見るより明らかだった。
――殺られる。
そう思った瞬間、修也は無言で逃走した。
熊の方もまた無言で追ってくる。4本の足で、真っ直ぐに向かってくる。
「はぁっ……はぁっ……」
起伏の激しい道を、転がるように駆けていく。障害物は多いが、修也はそれらを難なくくぐり抜けていく。熊の方は巨大なためか、5本指ではない為か、何故か移動速度は遅い。
時々湿った土に足を滑らせて転びそうになったが、それでも何とか走る。
ガサッ、ガサッという音が聞こえてくる。修也にはそれが死の足音に思えた。追いつかれれば死ぬと、本能的な部分で察知したのだ。
だんだんと岩が多くなっていく。山のようになっている無数の岩の塊を、起伏を掴んで、ロッククライミングのように登ると、慣れないことをした影響で、更に息が荒くなる。
チラリと下を見てみると、修也が苦労して登った岩の塊を難なく登ってくる熊の姿が見えた。
「くそっ、逃げ道は……」
岩の塊を登る事は出来るが、降りることは出来そうにない。
四方には何も無い。無理して無数の岩の塊を降りるにしても、修也の降りる速度ではとても逃げ切れそうにない。
修也から見て右側。ザアアアアアッ……と、何かが流れるような音が聞こえ……。
「ッ!」
走って、慌ててその音が聞こえる方向を見る。
「川だ!」
こんな状況でなければ、水面に口を突っ込んで思い切り水を飲んだ所だ。
だが、そんな事をしている場合ではない。
地面が揺れる。
「グルルルルル……」
「……嘘だろ、こんな時に!」
熊が追いついてきたのだ。
熊はゆっくりと、獲物の恐怖心を煽るように近づいてくる。
「…………」
もう一度、下を見る。
川が流れているのはちょうど真下。川の水深は、ここから飛び込んでも大丈夫なくらい深い。暗い色合いの川は、ここから真下。真下なのだ。
「一か八か……」
近づいてくる熊を尻目に、修也は覚悟を決めた。
――熊が突っ込んでくる。
それと同時に、修也は――無数の岩の塊から、飛び降りた。
「うわぁぁぁぁぁぁッ!」
叫び声を上げて、修也は川に落ちた。
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