プロローグ『その時は突然に』
……ごく普通の高校生、早川修也はこの日、彼の人生において、大きな意味を持つ出来事を経験することになる。
それは、2020年の4月8日。学生や社会人が、会社や学校に行く時間帯に起きたことだった。
「………」
修也はこの日、高校の入学式があった。
★★★
「…………はぁ」
自分の行きたい高校に行けて不満はない。私立高校なのにも関わらず、入学金を出してくれた両親にも……まあ、少しだけ感謝している。
中学校は家から近かったので、通学に電車を使うことはなかったが、高校生になってからは電車通学だ。朝の電車は満員で息苦しい。人の波に押しつぶされそうだ。
「……行きたくねぇな」
では何故、修也は憂鬱な表情を浮かべているのか?
単純に学校に行くのが面倒だからである。
修也の行く学校には、ゲームIT科というものがあり、そこでプログラミングについて学ぶ、という名目でその高校に行くのだが――学ぶべき事は、もう全て自宅で済ませてしまったのだ。
修也の努力家気質が災いし、将来の夢であるゲームプログラマーになるための学習は、学校で学ぶまでもなく自宅で済ませてしまった。
修也は昔から物覚えが良いと褒められる事が多々あったが、ここに来てそれが裏目に出るとは思わなかった。
学校とは教育機関であり、そこで学ぶことは将来の役に立つ、とはよく言ったものだが、学ぶ事が無くなってしまえば、学校に行く意味はあるのか?
そんな疑問が頭を過ぎったのは、プログラミング言語を覚えて、さてパソコンでプログラミングを書こうとした、その時だった。
憂鬱だ。何もかもにやる気が出ない。
特に使うこともない5教科の知識を今更深く追求したところで、それが何の役に立つというのか。将来を自分で決めている修也にとっては、5教科の知識は邪魔な物でしかない。
ゲームのプログラミングにかろうじて使えるのは、数学と物理の知識くらいなのだから、今までの勉強は、今までの努力は、一体何だったのか。
ガタンゴトンと電車が揺れる。つり革を掴んでいる手に力を込めて、電車が線路を通る衝撃をひたすら耐える時間は苦痛でしかない。
「……はぁ」
修也のため息の感覚がどんどん短くなる。ため息を吐くと幸せが逃げていくと言うらしいが、修也にとって、幸せとは何なのかよく分からなかった。
小学校から中学校の思い出が、走馬灯のように頭を過ぎる。
『お前は私の言うことだけを聞いてればいいんだよ!」
――母親に怒鳴られ。
『親の言う事を聞けないなら死ね!』
――父親に怒鳴られ。
家の親はいつもイライラしていて、鍋のフタを投げつけられたり、暴力を振るわれるのは日常茶飯事だった。
そして、小学4年生の時に、人生で初めての引っ越しをして、故郷での友情、繋がりを何もかも奪われた。
新しいクラスに馴染めずにイジメられた。
……そこから先は、良く覚えていない。
「はぁ」
修也は再びため息をついて、暇つぶしに昔の記憶を呼び起こす。
新しい地で、新しい友達を得ることはついに無かった。小学高、中学校で、修也は友達作りに失敗したのだ。
そこから先は地獄だった。自分がコミュ障だとは思っていなかったのだ。学校では部活にも入らずに、ただただ勉強をしたり、たまにゲームをしたりと、まさしく機械のような生活を送っていた。
中学校の卒業式で、修也は夢が覚めたような感覚がしたのは、忘れもしない。
そう――自分は自分なのだと、初めてそう思えたのだ。
『まもなく○○、終点です。本日も○○線をご利用くださいまして、ありがとうございました』
電車内に流れるアナウンスを聞いて、もうすぐ降りなければならないと、無意識にそう思った。
近くにいる修也と同じ制服の女子が立ち上がったのを見て、修也は無言で歩き出す。名前も知らない女子も修也に気づいたのか、軽く会釈をしてきた。釣られて修也も会釈をする。
プシューという独特な音を響かせて、電車のドアが開いた。それを見て、修也は吊り革から手を離して、ゆっくりとドアに向かっていく。
人の波に流されて、修也は電車から出た。電車の中の息苦しさから開放されて、修也は思わず深呼吸をする。その後軽くあくびをした後に、修也は改札に向かった。
人混みの中には、修也と同じ制服を着ている人が何人もいた。新しい高校生活、クラスメイトになる人達は、この中に一体何人いるのだろうか。
そんな事をおぼろげに考えながら、修也は人の波に流されて改札に向かう。
改札の近くまで来ると、修也はサイフの中から定期券を取り出した。電子マネーは金がかかるという理由で、両親が持たせたものだ。これは生まれて初めて使った。
修也は改札を出ると、そこから右手にある階段に向かった。そこから駅を出ると、ちょうど修也が通うことになっている高校に近い所に出るのだ。
黒塗りの階段を、修也は降りる。当然ここにも人が大勢いて、自分が高校生になったのだと今更ながらに実感する。
黒塗りの階段を降りて、外に出た――。
と、思ったのだが。
突然、修也の体を、浮遊感が襲った。
「え、ちょっ!」
駅前からぽっかりと開いた白い穴に落ちたのだ――と理解したのは、全てが終わった後だった。
★★★
それは、決して何者かの意思によって起こった出来事ではない。
ある世界とある世界との間に、長い長い穴が出来て、それがたまたま日本の駅前と、深い森とが繋がっただけの事。
何者かの意思で起こったことではないのなら、これは一体何なのか?
あるいはそれを神隠しと言い。
あるいはそれを転移と呼ぶ。
あるいはそれを事故と言い。
あるいはそれを運命と呼ぶ。
神様がやった訳でも、何処かの国の王女様がやった訳でもない。
早川修也が経験したのは――異世界転移という、現実には起こるはずのない出来事である。
★★★
修也は、深い森の中で目を覚ました。
「……は?」
先程まで、駅前にいたはずだ。いつものように家を出て、通学時には乗らない電車に乗り、改札を出て、それで新しい高校生活がスタートするはずだった。
これは一体どういう事なのか。修也の理解が追いつかない。
「嘘だろ? おい……」
呆然と立ち尽くすしかなかった。
意識を失ったと思ったら、いつの間にか深い森の中にいた。言葉にして見ると、とても悪質な悪ふざけをされているとしか思えない現象だ。
「……ッ! だ、誰か! 誰かいますか!」
…………。
森はシンと静まり返り、人の気配は感じられない。
これは異常事態なのだと再確認すると、修也の中にある疑問が浮かぶ。これは一体何なのかと。
「誰でもいい! 返事をしてくれ!」
何かしらの返答を期待したが、当然のように何も返答が帰って来ることはなかった。
上を見上げると――とんでもない光景を見る。
「あ……………え?」
バサッ、バサッと音を立てて滞空しているのは、頭が鳥、胴体がまるでライオンのような姿をして、翼を生やした、謎の生き物がいた。
「ぐ、グリフォン、か? あれは……」
思わず修也はそう呟く。これは何かの夢なのでは無いかと、修也は自分の頭を数回殴ってみるも、ただ痛みが帰ってくるだけだった。つまり、これは夢じゃない。
そう考えた途端、修也の頭に過ぎったのはそう――
「異世界転移? これってそういう事なのか?」
断定は出来ないがその可能性が高い。すなわち自分は異世界転移したのだ、と。
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