荒む大地SS『俺の上司の話』
「俺はもう冷えきっちまった。まるで今のアンタの身体と同じだな?」
すっかり低くなったこの声を彼が聞くことは最後までなかった。
昔から疑心に満ちた青眼も、彼に向けられる時だけ優しく移ろい、強引にあげた口角から漏れる言葉は幼さを思い出させる。
今年で18になるこの少年は、この時期になると街の片隅にある場所に訪れる。
人混みに溢れる賑やかさとは反対にもの寂しい雰囲気の場には、黒いフェンスが大きく場所を囲っている。
冷えきった空気の中、あちこちに立つ石像や板切れは、どうやらこの世で生涯を終えた者達にささげる唯一の慈悲であり、少年もまたひとつの板切れの前に深く腰掛けては祈りを捧げていた。
少年の名はイブキという。彼は幼い頃に両親を亡くし、まもなくその後塔で仕える一人の男に拾ってもらうことになった。
イブキは男を『上司』と呼び、彼なりの敬意を払いながら上司と仕事をこなしていた。
「おいじょーし、飯の時間だ」
「お、イブキか? わざわざ呼びに来てくれるなんていい子に育ったなぁオイ」
「そんなんじゃない、じょーしが来ないとオレの飯も遅れる。」
「ほう? 何かトラブルか?」
「……飯を食いたくても、じょーしがいねえと食べた気がしない。 こういうのは、家族揃って食べるものなんじゃないのか?」
「家族…か」
幼い男の子に諭され、上司と呼ばれる男は勢いよく立ち上がって、面と向かっていたコンピュータから離れた。
「よし! それじゃあ飯にするぞ! 今日は汁モンと握り飯だ!ありがたく食えよ〜?」
「つくったのはオレだ。いばるのはオレになるぞ。」
「ははっ、そうだな! ならイブキに感謝して食べないといけないな!」
豪快に笑う彼はイブキの頭をぽんぽんと撫でながら、食卓に向かっていった。
何も無い平穏な日々はこの日のように送られ、それはイブキも彼も“充実していた”と思えるものであった。
幼い頃の苦い思い出も、彼がくれた日々のお陰でどうにか緩和しつつあり、もはやイブキにとっては上司こそが家族と感じられると確信していた。
イブキが大きくなると同時に上司は彼に沢山の技術を授けるようになった。
上司が塔で仕事をする時間になると、彼はイブキを呼び仕事場に連れていく。
元々仕事に興味を抱いていたイブキにとっては、仕事関係に携わることは日課になっていた。
「よしイブキ、今日もプログラミングについて色々やってみるぞ」
「またか…別にいいけど、そこまで俺を扱いてどうするつもりなんだ?」
「初めはお前の趣味程度に教えてやろうと思っていたんだがな〜、どうやらお前には素質がある。
だからいつかは一緒に仕事でもと思って教えられる限りシゴいてやるってわけだ!」
「…半分俺に社畜になれって言ってるようなもんじゃねえか?」
「満更ではないだろ?」
「まあ……」
プログラムを作るといった点ではイブキはとても優れていた。
現在働いている中堅の技術士並のプログラムを趣味で作れるというほどの力量を持っているため、彼の上司は一目おいていた。
”いつか、お前と働きたいものだな”
そういって、上司はいつも彼に向けて笑いかけていた。
18になり、ようやく一緒に仕事が出来るとイブキは内心とても喜んでいた。
しかも、上司の話によると次の日には例のプログラムの発動に立ち会えると言うのでよりいっそう楽しみが増している。
例のプログラムに立ち会えるのは、各研究班の長や、腕のいい技術士のみで、並の人達は立ち会うことができないのだ。
それが出来るというのは技術士として最高の喜びで、珍しくイブキも気分を高潮させていたのだ。
「...つーか、俺を呼んで良かったのか上司?」
作業も休憩に入り、研究室を出た先の廊下でイブキは上司に向けて少しの疑問をぶつけていた。
「なんだ〜? 俺じゃ荷が重いってビビってんのか? 」
「そんな訳ねぇよ…多分な。」
「へぇ〜?」
いつもと変わらない調子で茶化してくる上司に、自分の本心をうまく伝えられず、イブキはもどかしさを感じていた。
「まぁ、お前の腕は本物よ、そんな気にするなって!
お前はただ、一技術士としてこの境遇に立ち会えるってことを喜んでればいいんだぜ!」
ヘラヘラと笑いながら、上司は隣にある自動販売機から缶コーヒーを2本買い、片方をイブキに投げ渡した。
イブキは微笑を浮かべながらコーヒーを受け取り、
「そうかよ」
と、一気にその液体を飲み込んだ。
彼はとてもいい人だった。
次の日に起きた事故でさえ、イブキを守るためだけに塔に立てこもり、最期までプログラムの制御を試みていた。
イブキの渡した一つのプログラムの注入に成功すれば、きっと街を救うことが出来ると上司は信じていた。
しかし、それをこなしても尚止まらないプログラムの暴走に、彼は一人で立ち向かっていた。
“おい! もう無理だ、お前も逃げろ上司!!”
“馬鹿野郎! まだ居たのか早く行け!”
“だが、……だがよ…このままだと巻き込まれるんだぜ…!?”
“…なーに言ってるんだ、『部下のプログラムくらい扱えないで、上司は務まんねぇだろ?』”
変わらない笑顔、上司は強制的に扉を閉ざすようにプログラムを動かした。
扉の前で止まっているイブキには、瞬時に扉の中に入り込むことは出来なかった。
“畜生……畜生……!!”
悲しくこだまする部下を、優しく押し出すように上司は最期の指示を渡した。
“……イブキ! 早急に脱出しろ!
お前ならきっと、オレの残したプログラムを―――・・・”
「………ん…?」
イブキは気づいたら、墓の前で寝てしまっていたらしい。
すっかり凍えた体をさすり、立ち上がって欠便をとる。
ふぅ……、と一つため息をこぼしてから、改めて上司の墓に向き合った。
「…結局、俺はアンタの意思を貫けたのかわかんねえよ。
最後までアンタは俺の中の壁になってくれてよ、部下が上司を超えるなんて無理難題だぜ。」
長く伸びた前髪が目元を覆い、震えた唇は少し口角を上げていて、彼が今どういう表情をしているのかは誰もわからなかった。
「なぁ、また会いてぇよ。
あったけぇコーヒーでも飲みながら、俺のこともまたあっためてくれよ。
なあ、なぁ………っ」
いつまでも下を向くわけにもいかないと、青い目は空を仰ぐ。
少年と言える背中からは、普段は聞くことも出来ない弱音が、ポロポロとこぼれ落ちていった。