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むつのはな  作者: あみか
第三章
97/102

「青鞣様!」

 芥を見るなりぱっと顔を輝かせて飛び出して来たのは子歌だった。

 宿に着いた頃にはもう真っ暗で、途中で正直今日中に街まで辿り着けないのではないかと思った程だ。馬にはかなり無理をさせたと思う。

「悪かったな。烈と蛍は?」

「部屋にいるかと。お呼びしますか?」

「頼む」

 芥からの頼みを喜々として承って、子歌は小走りに階段を上って行く。なんだかすっかり子歌は青鞣に心酔してしまっているように見えて、陸奥は何処となく落ち着かない気持ちになった。

 厨房でいくつか軽く食事を頼んで、とりあえず腹ごしらえをする。

 頼んだものが出来上がるより前に、子歌が烈と蛍を連れて戻って来た。全員が卓に座ると、結構大所帯になったような気がする。

 烈と蛍を見ても保逵は特に興味を示さなかった。

「そいつは?」

 反対に烈は保逵について芥に尋ねたが、芥は後で紹介する、とだけ答えた。

「子歌、頼んでいた件を報告してくれ」

「かしこまりました」

 コホン、と一つ咳払いをしてから子歌は話し出す。陸奥が窓辺に投げつけた文には、一つ依頼が添えてあったのだ。

「商人、農民、いろいろと聞いて回りましたが、大体が藩主には好意的な見解を示しております。普通藩主が誰だろうと、余程でなければ興味を示したりはしないとは思うのですが、星明殿は民に近く、簡潔に言えば慕われているようです」

「呆れた。今更星明の事調べてんの?」

 保逵がつまらなさそうに呟くと、子歌がきっと睨みつける。

「あなた青鞣様に向かってその言い方は失礼なんじゃない」

「……うるさいなあ」

 陸奥は黙って目を閉じた。少しこうなるような気はしていた。

「彼の言う事は尤もだよ、子歌。遅れたが紹介しよう。彼は保逵。我々を手伝ってくれる頼もしい技術者だよ」

「どーも」

 頭だけ軽く下げて挨拶した彼を、子歌だけが気に食わなそうに睨み続けた。

「こっちの茶髪のお兄さんが烈で、愛らしいのが蛍。報告してくれてるのは子歌だよ」

 烈も蛍も紹介されると同時に頭を下げた。また知らない人が増えて蛍が小さくなってしまっている。子歌はふんと顔を少し背けただけだった。

 漸く食事が来たので、さっさと平らげて部屋へと戻って話の続きをする事にした。

「保逵、部屋に行ったらもう一人紹介する」

「まだいんの?」

 陸奥の服の中で道が気合を入れているのが分かって、思わず吹き出しそうになった。

「……何?」

「いや、何でもない、何でも」

 にやけた顔を保逵に見られて、陸奥は慌てて誤魔化すが、変な奴と思われたに違いない。


 部屋に行くと、芥は早々にウト州の地図を広げた。

 陸奥はイモンの場所に目を落とす。恐らくもう煉達はイモンに到着しているはずだ。拉致された者がすぐに見付かればよいが、そう簡単に見付かる訳もないだろう。

「保逵は、御伽噺は好きかい?」

「唐突だな。好きとか嫌いとかあるものじゃあないだろ」

「嫌いじゃないならいいよ。紹介しよう。もう一人の仲間、道だよ」

「……? 何処にいるんだ?」

 陸奥が卓の上を示すと、気合十分な道は左手を腰に当て、右手を天に向けて上げている。

「……」

 保逵は道を凝視した後、くるりと背を向けて寝台に入ろうとした。

「ちょっと!」

 子歌が慌てて保逵を止める。

「馬に乗り過ぎて疲れているみたいだ……」

「違うわよ!」

「いやいやいやいや。ちょっと待て。……は? 何それ?」

 混乱の最中にいる保逵を見て、正常な反応を陸奥はとても新鮮に感じた。そう思えば、芥は随分と妖怪や怪現象に寛容だった。

「道祖神の道」

「ドウソジン? ていうかそういう問題じゃない。何、礼部ってそんなの飼ってる訳?」

 道は飼われているという単語にショックを受けている。

「この子は司馬の友人だよ」

 陸奥は道を慰めながら、自分の肩に道を乗せた。

「あー……。御伽噺云々はこういう事か……。いや、でも、えーと。経典の何(ページ)に書いてある訳?」

「ないない」

 こんな技術者でもイーリアス教が髄まで浸透しているのだと思うと、陸奥は宗教の凄さと恐ろしさを感じる。この国の者にとっては、イーリアス教は心の拠り所なのだ。

「保逵、これで驚かれてたら次に進めないから、早く受け入れてくれるかい?」

「まだあんの……」

 げんなりとした様子の保逵が可笑しくて、つい笑みが零れてしまう。

「何笑ってんのさ」

「ご、ごめん!」

 莫迦にした訳ではなかったが、厳しい視線が飛んできて陸奥は身を固くする。

「保逵が落ち着かないから、烈と蛍の件は後回しにしよう。とりあえず、今後の進路について決める」

 皆一斉に卓に広げた地図を覗き込む。

「絶対に守らなければならない点は、司馬を必ず一月以内にイモンへと入れる事だ。これは最優先事項。逆に言えば、一ヶ月以内であれば何をしたって構わないという事だ」

 現在地とイモンに印を付けた後、点在する海湖にも印を付けた。

「ここより東にある海湖は三つ。一つは最終目的地であるイモンの近く。他の二つの様子を確認しに行く……でいいかな?」

 話しかけられた保逵は、渋い顔を返す。

「素人からしたら、海湖に近い下流の方が堤防が崩れやすいと思いがちだけど……いや、別にそれは間違ってはいないんだけどさ。……もうずっと水嵩が高いまま推移してる」

 保逵は芥から筆を奪うと、河川をなぞるように墨を入れた。

「何処の場所でも堤防は浸透や浸水が進んでいると考えられる。中に水が入れば堤の強度は落ちる。下流に限らず、いつ何処で崩れてもおかしくはない」

 人々は川に沿って街を作る。そんな当たり前のことがこの地図上でも見て取れる。そして、その河川が氾濫した時に被害が大きいであろう事も。

「そもそも州交が歴史上少なかったから、海湖の容量がどれ程なのか、州によって違うのか全く持って分からない。分からないが、水位が高いままという事は、ウトの海湖はヒッサなどの雨量がおおい場所のものよりも飲み込みの速度が遅いのだろう」

 海湖の周りにも、気持ちばかりの堤があるが、深く深く、誰にも潜る事が出来ないその湖は、どういう訳かその水面の高さが一定以上になる事はない。河川の水嵩が増えても変わらないのは、一体どういう仕組みなのだろうか。

「つまりウトの海湖の容量は疾うに超えている。青鞣の言う通り、一番被害が大きくなるのは下流の街だ。文献によると洗堀や浸水による破堤よりも、越水した時の方が決壊しやすい」

「決壊……」

 言葉にしてより恐ろしさが増した。越水して水が漏れてくるだけではない。堤が決壊すれば、その隙間から川の水が大量に街に、田畑になだれ込んでくる。イモンの山の上から見たあの川が決壊すれば、その被害は激甚だ。

 清陳がウトを沈めるつもりなのであれば、それは彼にとっては望む結果だろう。

「怖いのは……」

 まだ続きがあるのかと驚いて保逵を見る。こんなにも水が増えた状態の川が決壊するだけで凄まじいのに、更に何があると言うのか。

「海湖の水が逆流する事だ」

 誰も予想しなかったその言葉の結果を想像出来る程の知識も想像力も、陸奥にはありはしなかった。

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