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むつのはな  作者: あみか
第三章
95/102

保逵

「で、繰り返しになりますけど、何の御用ですか」

「まあまあ、そう警戒しないでよ」

 そう言われて警戒を解く者などいるだろうか。

 芥の笑みに一つもつられない保逵であったが、保逵の凄みに対しても芥は全く動じなかった。

「単刀直入に言えば、治水工事をして欲しい」

「お断りします」

 即答であった。きっぱりとした、有無を言わせぬ物言いだった。


 水衡は河川や用水など、水に関わる工部の一部署である。水衡の中にもいくつかの役割や役職はあったが、簡単に言えば治水に関わる技術職集団である。

 特に灌漑が盛んなウトでは、他州よりも治水に関する技術は高いというのが専門家の専らな意見であった。

 そんな技術職に、元服しているのかしていないのかといった少年が在籍しているというのは、驚くべき事である。

 勿論陸奥はそんな事は知る由もない。


「君は治水をするべくして水衡に入ったのではないの?」

「あなたは私の就職理由を聞くために訪ねて来たのですか」

 芥の遠回しな言い方に対し、保逵の回答は痛烈なほど直球だった。短い言葉の中に、厳しさがビシバシと感じられて、陸奥は胃のあたりがきゅうとなる。

「知らない者に突然押しかけられて、理由も目的も述べずにそんな事を言われて承諾する程暇ではありません」

「それはそうだ。失礼をした。だが、失礼ついでに言わせて貰えば――」

 また芥が何を言い出すのか分からなくて、陸奥ははらはらとするしかない。

 この部屋にいる者はこのやりとりをとても気にしている。先程見て来た保逵の上司らしき人物など、書類越しにこちらをずっと観察している。

 誰もが皆、招かれざる来客の突然の申し出がどうなるのか見守っている。

「――暇ではあるだろう」

 芥は立ち上がって部屋全体を見渡した。

「これだけの部屋の広さに対して、在席者がこれっぽっちというのは有り得ない。無論出払っている者もいるだろうが、それにしたって少なすぎる。特にここ、水衡の過疎具合と言ったらどうだ」

 芥は空いている席に近付いていき――そこは水衡の島ではなかった――その隣にいる男に突如尋ねた。

「君、ここの席の人はどうしているの?」

 話しかけられた方は慌てて俯いて、勘弁してくださいと懇願した。

 芥はその場を離れ、一番前の席へと歩いて行く。卓を指でなぞって息を吹きかける。

「州司空の席なんてすっかり埃を被っているじゃないか」

 芥の行動を、皆固唾を飲んでそれをただ見ている。当の芥は何処か楽しそうだ。見ている者達に目を合わせるが、その瞬間悉く視線を外される。

 数人にそうした後、芥は元の席まで戻って来て座った。

「ねえ、保逵殿」

 保逵は動じなかった。芥のパフォーマンスを呆れたように見た後、一口お茶をすすっただけだった。

「殿は不要です。が……何をおっしゃりたいのか分かりません」

 どうやっても芥と保逵は会話の展開の仕方が異なる。あくまで己で察しろとでもいう風に誘導する芥と、簡明直截な保逵とでは噛み合いにくい。

 芥のやり口は証拠を一つ一つ提示して、自白を促すいやらしい手法だが、保逵にそれは通用しなさそうであった。

 だが保逵には通じずとも、その部屋にいる者にはじわじわとその効果を発揮している。

「最初に言ったじゃないか。君には治水工事の知見があって、それを生業にしている。そして時間もある。だから君にその仕事を頼みたい。従来の君の職務だろう」

「従来の仕事は上司から下されるのであって、部外者から頼まれて行う事は有り得ません」

「では、上司を経由して頼めば受けてくれる訳だ」

「そうですね。指示があれば」

 ひやひやとそのやり取りを見ているのは陸奥だけではない。

 その成り行きを見ている者が、ただの興味や好奇心に満ちた目ではない事に陸奥は気付いた。

 何だろうか。

 何かを期待するかのような、そういう面持ちで見守っている。

「では改めて上を通して依頼する事にしよう。邪魔をしたね」

 芥がそう言って立ち上がった時に、部屋には落胆した空気が充満した。

 一体彼らは芥に、保逵に何を期待しているのか。

 陸奥は芥と保逵を見比べたが、二人に動きはなかった。そのまま芥は部屋を出る。

「お待ちください!」

 叫んだのは二十代後半くらいの男だった。

 その声に芥は歩みを止めて振り向いた。

「青鞣様、無礼をお許しください」

 叫んだ彼は芥の足元に飛び出して跪いた。無玉の彼は話す事が許された立場ではない。これで芥が不快に思えば、彼は罪人となる。芥の方から話しかけた保逵と異なり、話しかけられた訳でもない彼が声をかけた事は、この国においてはある種重罪であり、相当の覚悟と勇気が必要な事である。

 跪いた彼の足はどう見ても震えていた。罰を覚悟しながら彼がどうしても訴えたい事とは。

「許す」

「ご寛恕感謝致します。……青鞣様のお考えの通り、我が工部は――」

 言いかけた彼の肩を掴んで止めたのは保逵だった。彼の顔を見て、静かに首を振った。

「子供が生まれたばかりでしょう」

「だからだよ、保逵。俺は、子供に苦しい思いをして欲しくない」

「父のいない子も、あんたの奥さんも、それ以上に苦しい。そんな未来を背負って生きて欲しくない」

「だけど、保逵」

 もう一度保逵は首を振った。

「俺はあんたみたいに守るものなんてない。あんたの覚悟くらい、背負ったっていい」

 保逵は芥に向かって居住まいを正すと、膝をついて深く頭を垂れた。

「男夫には、ここにいる者全員を守るという覚悟がおありなのか問わせて頂きたい」

「ある、と言って君は信じられるのかい?」

「私が信じる信じないではなく、あなたにあるのかないのか、私が聞きたいのはそれだけです」

 工部の者全てが、静かに二人のやり取りを凝視する。芥がここであると述べた場合、ここにいる者にそう宣言した事になる。

 芥は部屋全体をゆっくりと見回した。

「――ある」

 その答えを聞いて、ある者は口を手で押さえ、ある者達は両手を握り合った。

「では、あなたの覚悟に対して私も覚悟を決めさせて頂きます」

 一人だけ、この部屋でたった一人だけ異様な空気を纏った者がいる事に気が付く。保逵の上司と思われた男だけは、物凄い形相で保逵を睨んでいる。

「青鞣様の仰る通り、工部は人がおりません。ウトでは治水工事が行われる事はない。州候がどのようにお考えなのかは測りかねます。ウトをよりよくしようとのお考えで治水工事をなさらないのであれば、我々が口を挟む必要はございません――が、工部から見てもそうは思えませんでした。州司空を始め、工事をした方がよいと上に楯突いた者は、よくて謹慎、大体の者が罪に問われました。故にこの部屋に人がいないのです」

「保逵」

 制したのは、例の上司であった。怒りで額には青筋が立っている。だが、保逵は止まらない。

「ここに残っている者が全員州候におもねっているとお考えにならないで欲しい。皆家族や大切な人がいる。ウトを守りたいが、天秤にかけられないものがある。皆、限られた裁量の中でよくやっております」

「保逵!」

 再度声を荒げた上司が大股で近づいて来てその腕を掴んでその場から離そうとするが、ぱしりとその手を振りほどく。

「あんたは俺の上司じゃない。勝手に治水工事を行わない様、監視と脅迫を繰り返す見張り役だ」

 保逵は続けて芥に厳しい視線を投げつける。

「男夫、あんたは治水工事をして欲しいと言った。その言葉は俺らにとっては希望であり同時に絶望を示す。今死ぬか、後で死ぬかを選べと同義だ。つまり今ここで死ねと命令したも同然。その覚悟があると言ったのなら、全うして貰わないと困る」

「安心していい」

「……だとしたら、俺の命丸ごとあんたに任せる。今よりあんたの配下となろう。この見張り役よりかは多少マシな上司である事を願う」

「保逵! どうなるか分かってるんだろうな!」

 激昂したような男は保逵に思い切り怒鳴りつけるが、全くそれは響かなかった。

「王宮の男夫の配下を捕らえるのにはそれなりの手続きが必要だろう。さっさと兵部なり刑部なり行ってきた方がいいんじゃないのか。あとは指名手配でも好きにするといい」

 顔を真っ赤にして部屋を飛び出そうとした彼を、部屋にいる男達が一斉に飛び掛かって抑えた。

「お前達、どうなるか分かってるんだろうな! 州候に歯向かったとみなして全員罪人だぞ!」

「うるさい!」

 誰かの帯で猿轡をされたその男は、ふごふごと叫び続けたが、その後柱に括りつけられて身動きすら出来ない状態になった。

「頼んだぞ、保逵。親戚が東に住んでるんだ」

「私の生家も東なの。年老いた両親がまだ住んでる。雨が降る前に、どうか――」

 わらわらと人が保逵の周りに集まって来て、口々に想いを託していく。

 保逵はにこりともせず、固い表情のままそれを静かに受け止めた。

「青鞣様、保逵を、ウトを、よろしくお願い致します」

 深く願う工部の者達に、芥は頷いた。

「では、暫く保逵は預かっていく。あとは頼んだぞ」

 はい、と揃った声を背に、三人は摂単宮を後にした。

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