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むつのはな  作者: あみか
第三章
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工部

 ふと、真夜中に目が覚めた。

 すーすーと、静かな芥の寝息だけが聞こえる。

 寝る前の事を思い出すと、人前で涙を流してしまった事に少し恥ずかしさが込み上げた。

 何故芥にあのような感情を吐露してしまったのか、正直よく分からない。信用をしていた訳ではなかったのに、それ程までに自分は切羽詰まっていたのだろうか。

 満丈にしてもそうだ。初対面の人間に、自分は第二王子の一派だと明かすだろうか。

 芥にはそれをさせる才能がある。つい口を滑らせてしまうような才が。

 そう思いながらぼんやりと窓を眺める。雲隠れした月が時折チラチラと顔を見せる度に、明るくなったり暗くなったりする。

 ――影?

 それはカラスに見えた。特段珍しい鳥ではなかったが、もう鳥が起き出す時刻なのだろうか。餌を探しに行けばいいのに、何故一羽だけ窓辺に、しかも部屋を覗いているのだろうか。

 ――何か、おかしい。

 寝ぼけていた頭に一気に血が流れた。

 鳥はじっと芥の方にだけ顔を向けている。陸奥は気が付かれないようにその鳥を観察する。月明りが途切れ途切れなのがじれったい。

 カラスによくある光沢が、その鳥にはないように見えた。嘴の形も、なんだか違和感がある。

 鳥がふいにこちらに顔を向けたと思った瞬間、それは飛び立って行った。

 しまったと思ったが、飛び立つ際に羽根など落とさず静かに闇夜へと滑空して消えた。

「形代傀儡……」

 小歌か子奏が、芥に何か用事があったのだろうか。

 暫く待ってみたが、その鳥が戻って来る事はなかった。


「昨晩、形代傀儡が訪ねて来たよ」

 朝一番で芥にそう報告するが、彼は首を傾げた。

「何か用事だったんじゃないの? 特に子奏は別で用事を頼んでいるんでしょう?」

「いや……」

「蛍達に何かあったのかな……」

 街に置いて来てしまった彼らに何かあったのだとすれば、あの鳥はそれを伝えに来たのかもしれない。急に胸の中がざわついて来る。

「とりあえず今日は彼らと合流しよう。無事合流出来れば杞憂に終わるだろうし、今から心配しても仕方ない」

「……うん」

 州候は朝餉の席には姿を見せなかった。世話を申し付けられた官達がもてなしてくれたが、相変わらず豪華な食事が卓に並べられていて、その事がまたあのスリをした子供を思い出させて苦しくなった。

 結局満丈を見る事なく芥達は宮を離れる事になった。突然の訪問だったのだから、州候は朝議や来客の予定など詰まっているのだろう。顔を見せなくてもそれはそれで致し方のない事だと思えた。

 部屋を出る前に、芥が星明から貰った書簡を再度広げた。

水衡すいこう……保逵ほき……」

 将作やら何やら文字が羅列されていて、何処から何処までが役職なのか分からない。辛うじて最後の保逵が名だと分かる。

 兎に角星明の文によると、工部の保逵を訪ねてみよとの事である。

 陸奥の生まれた所では、名前で大体男か女か判別出来たのだが、この国ではそれは難しい。なんとなく雰囲気はあるが――例えば非が菲であれば女性の割合が多い――それも確定的ではなかった。

 従って保逵がどちらなのか分からない。

「会いに行くんだよね」

「そりゃあ勿論。星明殿も堤を作って欲しいから水衡の者を紹介してくれるんだろう。それとも何か別の理由でもあるのかな。まあどちらにせよ会ってみて考えるよ」

 官にくれぐれも州候によろしくお伝えくださいと残し、二人は工部へと向かった。

 二人の事は知れ渡っているのか、すれ違う人すれ違う人にちらちらと視線を向けられるのが陸奥には耐えられなかったが、芥は全く気にしていないようだった。歩く度に黒い玉が揺れる。


「ここか……」

 そう言った芥に背中を押されて陸奥は部屋に入れられる。昨日もそうだったが、一気に目線が集中して、陸奥は今すぐ帰りたくなった。

 だが吏部と違ったのは、部屋の大きさの割に閑散としている点だった。書類仕事が主な吏部とは職務内容が大きく異なるからだろうか。人が少なく見えるのは、もしかしたら現場に行っているからなのかもしれない。

 芥に背中を小突かれて、陸奥は自分がその保逵を探さなければならないと気付く。

 近くにいる人を捉まえて、小声で水衡の保逵の在所を尋ねる。物凄く怪訝そうな顔をされたが、部屋の向こう側を指差された。その一角が保逵の所属する卓のようだ。陸奥はぺこぺこ頭を下げながら礼を言った。

 向かった一角は、部屋の何処よりも人がいなかった。空席の目立つその場所に、ほんの数人座って書類を眺めたり線を引いたり何かを書いている。

「あ、あの……保逵さんはいらっしゃいますか?」

 その数人に聞こえるように陸奥は尋ねてみるが、誰一人顔を上げてはくれなかった。

「あのー」

 より大声を出そうとした時に、一番近くにいた人物がやっと一人返事をくれた。

「そんなに大きな声出さなくても、聞こえてます」

 若い――幼さの残る顔立ちの彼は、筆を持ったまま目線もくれずそう言った。

 彼は新人であろうか。耳にかからない程度に伸ばされ、きれいに切り揃えられたその髪型は、どこぞのお坊ちゃんと言った風である。

 州工部が一体何歳から就業出来るのか知らないが、どう見ても若い彼に冷たくあしらわれて、陸奥はもう心が折れてしまいそうだ。

「ほ、保逵さんという方はいらっしゃいますか?」

「何の用ですか?」

 受付代わりに応えてくれた少年は、漸く筆を置き、厳しい眼つきでこちらを見る。それは睨むに近いかもしれない。

「まず、お名乗りになったらどうですか」

 全く持ってその通りである。自分よりも若い子に、正論を言われて陸奥は完全に委縮した。ちらと芥を見るが、芥は陸奥を見ていなかった。

「王宮礼部の青鞣と申します。こちらは司馬。突然の訪問になり恐縮ですが、ジュウ藩主の星明殿よりご紹介頂いたので、保逵殿にお目通り願いたい」

 芥はにっこりと笑ったが、少年はそれにつられる事はなかった。陸奥の中に苦手意識が芽生える。

 もしかしたら今保逵は出払ってしまって不在なのかもしれない。目線だけ動かして確認するが、どう見ても人が少ない。

 少年は立ち上がって、卓が密集するその一角の中にある、軽く打ち合わせ出来そうな区画に二人を案内し座らせて、何処かへと行った。

 恐らく保逵を呼びに行ったのであろう。つまり今日彼(彼女)はここにいるという事だ。

 少年の上司のような男が一瞬だけこちらを見たが、また書類へと視線を落とした。歓迎はされていないな、という事だけはなんとなく伝わって来る。

 少年が盆に茶を三つ程乗せて戻って来た。芥と陸奥に一つずつ渡して、卓の反対側にもう一つを置いた。そしてそこに彼は座る。

「それで、何の御用ですか」

 陸奥はぱちくりとしたが、聞かずにはおれなかった。

「保逵……さん?」

「他に誰だと思っているんですか」

 当たり前の事聞くなんて頭おかしいんじゃないですか、と続けて言いそうな程、少年の言い方は呆れていた。

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