試
「もう少しやり手なのかと期待していたが、大したことなかったな」
用意された部屋で陸奥と二人きりになった芥は、衣服を緩めながら残念がった。
「そう? 一瞬会話が止まった時にはひやっとしたけど」
「ああ、あれ」
芥は思い出したのか笑いだした。
「陸奥のあの演技は斬新だったな。しかもちょっと殺されるかと思った」
くつくつと笑う芥を陸奥はねめつけた。
「だって他に思い付かなくて……なんか今日は咄嗟に判断しなきゃいけない事が多くて疲れた」
芥が不思議そうに首を傾げたので、陸奥は耳の穴についての話をした。
「それね。僕もちょっと気になってはいたんだけど。陸奥の出自がここじゃないから言わなかったよ」
「ちょっと言って欲しかったかも……。いや、でもそれでも開けないかな」
「別に痛くはないよ?」
「いや、うん、だとしても抵抗ある」
芥はふーんと言って、それ以上は勧めて来なかった。
「堤防の工事なんてしてないのに、州候は嘘をついてたね。やっぱり後ろめたいのかな」
陸奥は髪にじゃらじゃらと付けられた飾りを外しながら芥の意見を伺った。髪の毛はきちんと結わえてあるので、湯で洗わなければほぐせそうにない。
「そうだね。仮に州候が恐ろしく有能で、築堤するよりも有効な手立てを考えているのであれば工事なんてしなくても問題はないだろうけど」
「そうは……見えなかったけど……」
「どうだろうね。清陳と満丈が繋がっているかが分かればそれは決定的だけど、今の所判断材料は乏しい」
陸奥はジュウ藩、イモンを思い出して目を伏せた。このままでは街は、人は――。
「州候にはウトを沈めるのに旨味があるとは思えないのだけど」
「人が何を欲しているのかなんて、誰にも分かりやしないよ」
「そうだけど……。それが欲しいために誰かの命を奪うなんて、そんなの……」
このままでは駄目だ。縁も所縁もないウトの人達だけれど、知ってしまったからには見過ごせない。ましてやこちらには芥がいて、陸奥一人では来る事など出来なかった州庁にまで潜入出来ている。
「ねえ、芥」
自分に出来る事などたかが知れている。それでも。
「ウトを沈めるなんて事、どんな理由があったとしてもやっちゃいけない。どうにかしてやめさせなきゃ。私に出来る事なら何でもするから、お願い、どうか満丈を、清陳を止めて欲しい」
陸奥は頭を下げた。それは勿論芥が爵夫だからではない。
彼の力と頭脳があれば、きっとどうにか出来るのではないか。
芥は何となく人としての感情が乏しいように見える。もしかしたらこの状況もどうでもいいと思っているのかもしれない。だとしても、どうにかして彼の力を借りたい。
陸奥は頭を上げられなかった。彼の顔を見る事が怖かった。今、もしかしたら冷ややかな目で見下ろされているかもしれない。何か条件を出されるのであれば、それでもいい。自分に差し出せるものであれば、何年かかっても、尊厳を躙られようともどうだっていい。
恐ろしいのは断られる事だけだ。
「陸奥ってさあ」
やっと返ってきた芥の声はとても冷たくて、陸奥は最悪の返答を覚悟させられる。
「ウトに何か恩でもあるの?」
「……ない、です……」
「じゃあ何で? もしこれで僕が陸奥が一生かかっても払い切れないようなお金とか、体とか要求したらどうするの?」
「……私に出来る事ならと言った通り、なんでもする」
冷や汗がどっと滲んでくる。今の陸奥には食い下がる事しか出来ない。
「……莫迦だなあ、ほんと」
「分かってる」
「分かってないよ」
芥は陸奥の横を通り過ぎて、箔で装飾された椅子を思い切り蹴飛ばした。
大きな音に、陸奥は思わず目を瞑る。
頭を下げたままの陸奥の後ろから帯を外してきた。何枚か重ね着しているからそれで急にはだける訳ではなかったが、陸奥は唇を噛んだ。
襟首を掴まれて姿勢を持ち上げられる。後ろから抱きかかえられる形になり、芥が耳元で囁いた。
「抵抗しないんだ?」
「それが、条件なのだったら」
「ふーん?」
腰に回っていた芥の左腕が離れ、芥は陸奥の真正面に回った。それで漸く芥の表情が分かる。表情が分かっても、感情までは分からなかった。
今度は目を逸らす事が出来ない。視線を外したら、終わる。
「言ったろう?」
陸奥は返事が出来なかった。
「悪い大人にいいように利用される――って」
芥は解いた帯を陸奥の肩にかけると、頭にぽんと手を乗せた。
「全く、短気でお人好しで、困った子だよ陸奥は」
「……あ、芥?」
「大体いつも誰かのために動いてる陸奥が、こうしたいってやっと口にしたんだから、男として断る訳にもいかないだろ?」
「……あ、ありがとう」
これは引き受けてくれたという意味なのだろうか。
「陸奥、覚えておいて」
抱き合えそうなくらいの距離に立つ芥が、真っ直ぐに陸奥に視線を送る。近過ぎて、芥の瞳しか目に入らないようだ。
「僕は、さ」
段々恥ずかしさが増してきて、陸奥は瞬きを繰り返すしか出来ない。
「嫌がる女の子を無理矢理押し倒す方が好み――」
陸奥は帯で芥の顔をぺしりと叩いて、大股で扉の方へ歩いて行った。
「湯浴みしてくる!」
勢いよく出て行った陸奥を見送って、芥は額と鼻を押さえた。
「短気だなあ……」
帯とはいえ、地味にひりひりとした痛みが長引いた。
部屋に戻ると芥も湯を浴びたのか、さっぱりとした様子で露台に佇んでいた。
陸奥も外に出て芥の隣に並ぶ。
ぽつぽつと街の灯りが見える。この灯りを点けるための油だってただではない。昼間にスリを働いたあの兄弟は、真っ暗闇の中身を寄せ合って夜を過ごすのだろうか。
人々の暮らしは千差万別だ。ここが高いと言っても見渡せるのは精々区の一部くらい。そしてここから見下ろしたところで、何かが分かる訳ではない。
だとしても、州候は日々この灯りを見て何も感じないのかと思う。
「今夜満丈は僕を試しにかかるだろう」
はっとして陸奥は芥の顔を見上げた。彼の視線は街の彼方だった。
「絶対に気配を悟られないのであれば、おいで」
気持ちのよい風が、二人の長い髪をなびかせる。
陸奥は力強くこくりと頷いた。




