酒席
食事をしながら、州候と芥は他愛もない話をして様子を伺いあった。街では子供がひもじい思いをして盗みを働いているというのに、この卓の上にはそれが嘘のように食べ物が溢れている。それを考えると、先程まであんなにもお腹が空いていたのに味が感じられなくなるようだった。
「そう言えば」
満丈は唇を布で拭きながら何か思い出したようだった。たるんだ顎が目に付いてしまう。
「青鞣殿は下でスリに会われたとか。不快な思いをさせてしまって大変申し訳ない」
そう言った州候は微塵も申し訳なさそうではなかったが、芥は首を横に振った。
「いえ、滅相もございません。結果何も盗られなかったのですから」
「王宮には優秀な者がいるのですな。時間があればうちの廂軍にも稽古をつけて頂きたいものだ」
何が面白いのか分からないが満丈ははっはっはと笑った。
各州の兵部は王宮の兵部とは異なり金花は多くなく、無花が殆どを占める。各州の軍は廂軍と呼ばれるものだったが、軍と言っても名前だけで、実際は治安の維持や護衛よりも営繕や架橋などの工役に従事する方が仕事内容としては多い。それでも自治権の強い各州が軍を持つ事自体をよく思わない者は王宮には少なくなかった。
対して王宮の兵部は最低限の文官を除いて全員が金花で形成されている。首都州にも廂軍はあるが、これは六州と同様の役割を担う。
王宮の軍は金軍と呼ばれる。歴史を紐解けばその記載は過去、禁中、禁裏の衛兵として「禁軍」表記だったが、金花の字から「金軍」と称されるようになった。
ジュウ藩主の星明が堤防を作るのに民を徴集すると言っていたが、州候が廂軍を寄越さないためそうするしか手立てがないのだろう。そう考えると州候の権限は強大過ぎる。
「ウトではここ数年降水量が過去にない程増えているのだとか。廂軍は築堤で大忙しでしょうし、稽古をする暇もないのではないですか?」
陸奥は口に運んでいた豆を落としそうになった。
まさか芥がこのタイミングで、しかもこんなにも直球で質問するとは思ってもいなかったので度肝を抜かれた。
芥は涼しい顔で先程の州候のように声を出して笑っている。だが、部屋の空気は凍てついた。
「そ、そうですな。各藩からの要請が引切り無しで、人手不足ですよ」
州候は勿論、補佐官達の顔色も急に悪くなったように見えた。回答の歯切れも悪い。
「首都州境の大橋も早く修繕して頂きたいですね。本来であれば首都州と折半になるのでしょうが、雀もいなくなった今中々段取りを付ける事すら難しい状況でしょうか。微力ながら私に出来る事があるのであれば何でも仰っていただきたい。いや、その前に州相の調子がよくならねばと言ったところでしょうかね」
「そ、そう言えば青鞣殿はどうやって」
「あと二月強で真昼様が即位されます。そうすれば州相の身の振り方が分かるでしょう。王宮に戻り次第ウト州相のお加減が良くない事は伝えさせて頂きますので、その後は満丈様にお任せいたします。橋が直らなければ支援物資も届けられませんからね」
「あ、いや、青鞣殿」
「そもそも! あの大橋はどうやって架けられたものなのでしょうか? あれ程の谷に橋を架ける技術が我が国にあったとは驚きです。王宮にはその資料は残っていないのですが、こちらには何か残っておりますか? いつ頃作られたものだったのでしょうか? 落ちてしまったのは残念ですが、それを超える物を建造できれば歴史的にも重要な案件になる事でしょう。満丈様もこのような機会に州候として名を遺せて、さぞかし鼻が高い事でしょうね」
芥の身振り手振りが大きく、話にも勢いがあって満丈には口を挟む余裕がない。いつも陸奥はこれをされる側だったが、第三者として改めてこの技を見ると、本当に面倒臭い。
例えばこれが素なのであれば、満丈が一つ大きな声を出せば芥は話すのを止めるだろう。だが、これは故意にやっている事だから、仮に満丈が止めようと何か行動を起こしたとしても、ちょっとやそっとでは芥は止まらない。
陸奥は芥の演説を横目に、果物を摘まんで口に放り込んだ。
満丈の隣にいるのはウト州の宰相――令伊だと挨拶があったが、彼の顔に「やばい奴が来た」と書いてある。
「即位式と言えば州候ですから勿論満丈様もいらっしゃいますよね。雀がいないからもしかして連絡が届いていませんか? でしたらどうにか致しますので」
「青鞣殿お待ちください!」
芥が息継ぎをした瞬間を狙って満丈がここぞとばかりに声を荒げた。
――なんと芥の独演が終わったしまった。
卓の下で小突かれて、陸奥はすごく嫌な気持ちになったが、ここでは司馬を演じなければならない。
「青鞣様っ、これすごく美味しいです!」
陸奥はそう言うと芥の口に思い切り果物を突っ込んだ。こうなったら自棄である。
「きゃーはしたない真似をしてすみません! でもこんなに美味しいもの初めて食べました! ウトの農作物の評判はお聞きしておりましたが、噂以上です!」
やや咽ながら飲み込んだ芥は、目を輝かせた――演技をした。
「確かにこれは、想像以上だ。王宮農部もどうにかウトの作物育成技術を真似したいと躍起になっておりますが、確かにそうしたくなるのも分かりますね。元々これ程に美味だった訳ではないのでしょう? 研究と交配を続けた結果がこれ……まさにウトの英知とも言えますね。ウトは雨が少ない分灌漑農業が盛んだと聞いておりますが、それでは地盤沈下などはどのように対処されているのでしょう? ああ、そう言えばウトは地下に街を造っておいででしたよね。それも見事な発想ですよね。他州には見られないウトの技巧と知恵には目を瞠るものがございます。つい先だっても……」
また芥の長口上が始まって、卓の向こう側にいる人物の辟易とした表情に陸奥は安堵した。もうこれで陸奥はお役御免であろう。
別にそれ程際立って美味ではなかった果物をもう一つ口に入れて、相手の杯を見た後に後ろに控える官にちらりと目線を投げる。
彼女は慌てて満丈達に酒を注ぐ。それ程減っていた訳ではないが、注がれれば飲まなければいけないだろう。
逆に芥は最初こそ飲食をしていたが、お喋りが始まってからはまったく酒も食事も進んでいない。
結局食事が終わる頃にはこちらはほぼ素面。もし仮に酩酊させようと企んでいたのであれば、残念ながらそれは失敗に終わった。




