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むつのはな  作者: あみか
第三章
88/102

使者

「――お会い出来ない?」

 使者は申し訳なさそうに膝をついたまま頭を下げた。

「はい。州相におかれましては体調を崩されており、政務もままならぬ状態との事でございまして。ただ、わざわざ王宮からお越しの青鞣様をそのままお返しするのでは面目立たないという事でございますので、ささやかながら州侯が宴席を設けたいとの事でございます」

 陸奥は黙って芥の返事を待つ。

「見舞いも難しいのか?」

「申し訳ございません」

「分かった。州侯からお誘い頂いたのであれば断る理由もない。その申し出有り難く受けさせて頂く」

「承知致しました。このまま私がご案内致します。外でお待ちしておりますので、ご準備が整いましたらお声がけ下さい」

 そう言って彼は退室した。

 少し経ってから、念のため小さな声で呟いた。

「……本当にお加減が悪いのかな?」

「陸奥もそう思う? かなり怪しいと思うよ。ただ向こうもこちらを訝しんでいるのは確かだな。わざわざ州侯がもてなしてくれるだなんて、破格の対応だよ」

「そうなの?」

「普通なら訪ねる前に報せを送ってから行くのが礼儀だ。なんの前触れもなくやってきた訳の分からない王宮の使者なんて非常識な無礼者だというのに、宴席――しかも州侯御自ら――とは、何もないとは思えない」

 つまり今から向かう宴席とは、罠に近いという事か。

 酒に酔わせて色々と聞き出す算段なのか、あるいは王宮に報告される前に隠滅……毒、監禁……考え出せばキリがない。

「行く、んだよね」

「陸奥が来たくないなら来なくても大丈夫だよ」

「……行く」

 一人悶々と宿で待つのは性に合わない。

 それに芥は何があったか聞けば答えてくれるが、聞かなかった事については教えてはくれないだろう。

 だったら付いて行って自分の目で確かめた方がマシだ。

「勇ましいなあ。何かあったら頼むよ」

 芥は笑ったが、何か、が何を意味するのか今の陸奥には分からない。


 支度を終えて、宿泊を取り消すように受付にいる初老の男性に告げると、あからさまに嫌な顔をした。

 芥が一泊分の代金を払うとそれを無言で受け取り、仏頂面のまま奥へと引っ込んだ。

「さ、行こうか」

 宿の外へ出ると、使者が一礼した。

「徒歩でのご移動でご迷惑をお掛け致しますが何卒ご容赦下さい」

「馬車を使う程の距離でもないだろう。先に無礼を働いているのはこちらなのだから気にしなくていい」

「痛み入ります」

 近いとは言え馬車を用意しないなどという事があるのだろうか。あったとしても護衛くらい派遣してくれてもいいのでは――と陸奥は思ったが無知なのは否めないので胸の内に留める事にした。

 礼儀程度の挨拶を交わした二人がゆっくりと歩き出したので、陸奥はその後ろに付いた。

 随分ゆっくりとした歩調だったが、摂単宮の事情を考えれば遅い方がいいだろう。急に宴会だと命令が降ってきたら、その用意をする方はてんやわんやなのは容易に想像が出来た。使者が来るのが遅くなればこちらは夕餉を済ませてしまう可能性があったし、かと言って早くてももてなす用意が間に合わない。夕刻ぎりぎりに招待し、ゆっくり向かうのはそのためではないかと思われた。

 まさかそれで馬車で来なかった訳ではあるまい、と思いつつその考えは捨て切れなかった。


 突然目の前の路地から子供が飛び出してきてこちらに曲がってきた。子供は驚いて目をまん丸に見開いて芥への衝突を避けようとしたが、避けきれずに軽く接触をした。その後ろからもう一人飛び出してきたのでかけっこでもしているのだと見えた。

「ごめんなさい!」

 ぶつかった子が走り去りながら顔だけこちらへ向けて謝ってきたが、陸奥は後から飛び出してきた子供の足をかけた。

 軽く足をかけただけだが、勢いがあったので軽い子供の体は宙を舞った。

 ドッという地面にお腹から落ちた音と、うっと唸る声がほぼ同時に聞こえた。

真真しんしん!」

 前を走って行った子供が叫んだが、陸奥は腰から鞘ごと剣を抜いて這い蹲っている子供――真真と言うのだろう――の背中に鞘の先を押し当てた。

「それ、返してくれる?」

「おや?」

 それで漸く芥は自分の財布が盗まれている事に気が付いた。

 立ち尽くす子供の混乱が手に取るように分かる。仲間を置いて財布を持ったままここから逃げ出すか、それとも見捨てずに助けるか。

 彼は思考が停止して、どうする事も出来ずに立ち尽くしていた。

 そこに使者がつかつかと距離を詰めて行き、拳を振り上げた。

「この餓鬼が!」

 鈍いような嫌な音がした。

「ちょっと!」

 いくらなんでもやり過ぎだろう。殴られた子供はいとも簡単に、吹き飛ぶようにして地面に落ちた。

「兄ちゃん!」

 足元から悲痛な声がして、陸奥は鞘を離した。その瞬間に真真は一目散に兄に駆け寄っていく。

 倒れている者と駆け寄る者、その双方に向けて再度思い切り拳を振り上げた使者を止めたのは芥だった。

「まあまあ。その辺にしておきなよ」

 道行く人が全員こちらを伺っている。好奇心なのか憐憫なのかは分からないが、子供がどうなるのか無関心ではいられないようだ。

「ですが男夫!」

 激昂している使者を宥めて、芥は財布を返すように手を出した。

 殴られても涙一つ流していない子供は、投げるように財布を芥に返した。

「こいつ!」

 また大声を出して威嚇する。

 芥はそれを手で制して、にこにこと笑いながら話しかけた。

「これで何か食べなよ」

 財布から二百(リン)出して渡そうとする。

 少年は睨んだままじっと動かなかったが、素早く芥の手からそれを奪うと弟を連れて全速力で逃げて行った。

「おい! 見世物じゃないぞ!」

 使者が野次馬の人々に恫喝すると、皆ばつが悪そうにそそくさと何処かへ足早に去っていった。

「た、大変申し訳ありません。民への教育が行き届かず、男夫にはご不快な思いをさせてしまいました。ご寛恕頂けますようお願い申し上げます」

 先程まで大声で怒鳴っていた者と同一人物とは思えない程、彼はへこへこと芥に頭を下げた。

 陸奥はなんだかこの使者にいい印象が持てなかった。

 芥は財布を盗まれかけた事については全く気にしていないようだった。陸奥からしたら大金が入っているように思っていたのだが、本人にとってはそうでもないらしい。

 一体王宮の給金はどれ程のものなのだろうか。

「痩せていたし、あの身なり……履物も履いていなかったな。ウトにはああいう子供は多いのか?」

 それは暗に首都州には多くないですよと言っているようにも聞こえた。

 使者は口籠りながら答える。

「いや、そういう訳では……。ただ、ここ最近東からの移住者も増えていて、それで浮浪者も増加気味です……。流石に州都と言えど、移住者分も職がある訳ではなく……そもそもウトは土地も痩せ気味でして……」

 尻すぼみで最後の方はごにょごにょと何を言っているのか聞き取れなかった。

 いい印象を抱いていないからか、この話し方でさえ何だか気に入らない。

 結局摂単宮に着くまでの道のりの中で、この使者の悪印象を拭う事は出来なかった。

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