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むつのはな  作者: あみか
第三章
86/102

星明

 行った時と同じような足つきで戻って来た下初夫は、血の気のなさそうな顔色で芥を案内する。元々痩せ型で牛蒡ゴボウのような身体つきをしているため、今にも卒倒してしまいそうに見えた。

 脅してごめんなさい――陸奥は口にできないため心の中でそう謝った。

 葛折つづらおりの階段を幾度か折り返しながら辿り着いたのは最上階。これを毎日上り下りする事を考えると、あまり官にはなりたくないなと思えた。

 牛蒡は少し息が上がってしまっている。この短時間で二度も上らされたのだから無理もないだろう。

「お、お連れしました」

「――ご苦労であった。茶の用意を頼む」

 扉の向こうから聞こえて来たのは女の声だった。牛蒡は扉を開け、芥に中に入るように促した。本人は相手には見えないと分かっていながらも一礼して去って行く。

 扉を開けても衝立があり、女藩主の顔は見えなかった。二人は衝立の奥へと歩みを進める。

 部屋の奥の卓に彼女は座っていた。華美ではないが、玲瓏とした雰囲気のある女性である。雲間から差す陽光が、それを一層引き立てた。小振りとは言えないが、かと言って気になる程ではない装身具アクセサリーが、頭髪、首元、耳元、手元を飾り立てている。

 一言で言えば、趣味がいいと感じさせる装いであった。

 彼女は芥を見止めると立ち上がり近寄って来た。太もも前の襦裙スカートを右手で摘まみ、軽く膝を下げて一礼した。

「お初に御目文字仕ります。ウト州ジュウ藩藩主、星明せいめいと申します」

 その身なりや名前も美しいが、所作まで美しいと陸奥は同性ながら惚れ惚れする。思い描いていた藩主よりもずっと若い。青鞣と同じくらいの年代に見えた。

「突然の訪問で申し訳ない。王宮礼部青鞣と言う。こっちは兵部所属の司馬だ」

 陸奥は自分の紹介を聞いて飛び跳ねそうになった。

「滅相もございません。さ、お掛け下さい」

 部屋には来客用の卓と椅子が置いてあり、促されるままに二人は腰かける。敷かれた毛皮が気持ちいい。

「非公式で正装もせずで悪いのだが……」

「構いませぬ」

 その時牛蒡がお茶と干菓子を持って入って来た。震える手で卓に置くので、陸奥は椀がひっくり返ってしまうのではないかと冷や冷やしながらそれを見ていた。

「青鞣様はいつからウトにお入りなのですか。橋が落ちて久しく、隣の州からも出入り能わずと報告を受けておりますが」

「最近とだけ言っておこう。経路に付いては不問に願う」

「流石、王宮は秘密が多い事。して、本日は何用でございましょう。物見遊山でウトに入った訳ではございませんでしょう」

 芥は少し間をおいてから切り出した。

「河川の工事はどうなっている」

 星明は顔色一つ変えなかった。長く伸びた睫毛をゆっくりと数度(しばた)かせ、一口茶をすする。

「仰りたい事は分かりますが、何故礼部の青鞣様がその事をお尋ねになるのでしょうか」

「仔細は説明しかねる」

 ぴしゃりと一刀両断した芥に、空気が少しずつぴりついてきて、陸奥も緊張してくる。

 藩主も芥も一歩も引かぬまま睨み合っている。

「位の高い方はどなたもそうやって説明もなさらずに指示だけだすのがお得意なのか」

「……どういう意味だ」

 星明は立ち上がり、窓辺に佇んだ。藩庁舎は最も高い建物、そしてここはその最上階であるためジュウ藩がよく見渡せる。

「首都州からお越しであるのなら、ウトの大地が貧しく険しいのは一目瞭然でございましょう。それでも、わたくしはウトを愛しております。微力ながら、故郷に恩返しが出来たらと藩主にまでなりましたが……」

 眼前に広がる大地の緑は他州よりも少なく、そして今は茶色い川が目に付く。次の雨ではもう駄目かもしれないと誰もがそう思いながら暮らしている。

「私の言葉ではお耳を貸してもらえませんでしたが、他州の河川事情を気になさりわざわざ訪ねて来て下さる男夫のお言葉でしたら、州候も耳を傾けてくれるやもしれませぬ」

 星明の声色はずっと変わらない。顔色も変わらない。芥を見る目は、ただただ真っ直ぐで気圧されそうな圧力がある。

「州候は藩の自治権を殆ど停止されました。再三説明をご依頼申し上げても不要の一点張りでございます。民が死ぬと申しても、ウトが潰れると申しても、知らぬ存ぜぬでございます。私は首が飛ぶのを覚悟して河川整備に着工しましたが、何やら商人まで押さえられているようで資材を入手するのも難しく、今日の暮らしにも困窮する民を人夫として徴用するのも日一日と難しくなる一方でございます」

 星明は自嘲めいた笑みを浮かべたが、陸奥にはそれすらも美しいと思えた。

「ジュウ藩を豊かにするべくなった藩主でしたのに、今は民にジュウから逃げよと言うのが精いっぱい。私に出来る事はもう、死後州候の枕元で恨み言を呟くくらいしか出来ませぬ。イーリアス様もそれくらいお許しになるでしょう」

 星明の顔からはもう悲しげな笑みは消えていた。凛とした佇まいの彼女は全てを覚悟しているのだ。

「藩主はお逃げにはならないのか?」

「ご冗談でしょう? 州候にはご自身がなさった事の重大さを認識していただかなければ困ります。私の命でどれ程州候に響くかは分かりませんが、それでも逃げ出す気など毛頭ございませんよ。青鞣様も、濁流に飲まれるのがお嫌でしたら早々に立ち去るのがよいかと」

「そうさせて貰おうかな」

 お茶を飲み干した芥はそう言って立ち上がった。

「青鞣様……!」

 陸奥は思わず呼びかけたが、芥は振り向かずに真っ直ぐ扉へと向かって行く。陸奥は星明に一礼し、芥を小走りに追いかける。

「星明殿」

 芥が突然立ち止まるので陸奥はぶつかりそうになるのをすんでで回避する。

「ここから州庁まで馬でどれくらいかかる?」

「……ずっと走らせれば一日もかかりませんかと」

「邪魔したね」

 芥はそのまま部屋を出たが、陸奥は振り返ってまた星明に一礼して芥を追いかけた。


 来た時とは逆にぐるぐるとした階段を降りて、そのまま外へと向かう。何人かが階段を降りて来た二人に好奇の目を向けてきたが、それを一瞥すらせずに二人は門をくぐった。

 馬駐にいた係の者が、二人が乗って来た馬に水を与えていた。芥はその女に気が付かれないような声で話しかけてきた。

「このまま州庁へ向かう。道、烈達のいる宿――出来れば部屋まで分かるか」

 ぴょこりと陸奥の胸元から顔を出した道を、陸奥は優しく撫でる。

「近くまで行けば、分かるよね?」

 道は誇らしそうに頷いた。

 芥は懐から紙と矢立やたて(携帯用の筆)を取り出して、すらすらと何かを書いていく。覗き込む陸奥は、芥の達筆さに思わず唸った。

 墨が乾いたのを確認し、折りたたんで陸奥へと渡す。

「馬で通り過ぎるから、陸奥はこれをどうにか部屋に投げ込んで」

「そんな無茶な……」

 呆れる陸奥に笑って、芥は矢立をしまった。これは有無を言わせないやつだなと悟った陸奥は、中身の文字の位置を確認してから文を飛び道具で一刺しする。

 馬を世話している女に礼を言いながら、二人が馬に跨ろうとしたその時だった。

「お、お待ちくださいぃ」

 最早へろへろになりながら近付いて来た牛蒡は、文を一つ手渡してきた。息が切れて喉がひゅーひゅー言っている。慌てて階段を駆け下りてきたのだろう。そしてこれからまた最上階まで戻るのかと思うと、大変申し訳ない。

「は、藩主からでございます。確かにお渡し致しました、よ……」

 そう言うなりその場にへたり込んでしまった牛蒡に、馬係が慌てて水を持ってくる。

 芥は文の中身を改めて、星明に謝意を伝えるよう頼んで騎乗する。陸奥も芥の後ろに跨った。

「陸奥は宿で降りてもいいけどね」

「まさか。さっきみたいに力技が必要でしたらお使いください、青鞣様」

「はは。頼りにしてるよ、司馬」



 蛍が宿の窓辺で往来を行く人間を観察していると、木枠サッシが物凄い音を立てた。あまりにも突然の出来事で思わず座っていた椅子から転げ落ちた程だ。

 烈が慌てて駆け寄って来て起こすが、蛍は驚いて言葉を発する事が出来なかった。

 何事かと思って窓を上に開けると、木に深々と陸奥のものと思われる鋭利な武器と書簡が刺さっていた。

 開いてみるが当然ながら二人は読めなかったので、隣の部屋にいる小歌に読んでもらう事にした。

「あ、明日か明後日戻る……と」

 がっくりと膝を落とした小歌を、烈と蛍は見詰める事しか出来なかった。

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