爵夫
この国には明確な階級が存在する。
冢宰以下六名の長官並びに丞相――これは時の王によって人数が変わる――のみが賜る事が出来る位階が上公夫であり、王に直接上奏出来るのも基本的に彼らだけである。
次点で下公夫、ここまでが王に対し式典以外で跪く義務はなく辞儀のみで許されている。そこから上侯夫、下侯夫、上伯夫、下伯夫、上子夫、下子夫、上男夫、下男夫と続き、ここまでをまとめて爵夫と呼んだ。更に上大夫、中大夫、下大夫、上初夫、中初夫、下初夫の位があり、こちらはまとめて大夫と呼ばれる。首都州を除いた六州には王宮に関連しないその土地の領主や貴族が存在し、彼らに与えられる位階は大夫までだった。故に貴族や領主の事を大夫とも呼んだ。
庶民は大夫以上に出会えば膝を折り、そして大夫も爵夫には膝を折る。また、庶民に至っては爵夫と許可なく言葉を交わす事は許されない。
だが爵夫と大夫の間にはそれ以上に目には見えない大きな隔たりが存在した。令で定められた差より、何よりも彼らの矜持に恐ろしいまでの隔たりがあった。明確な上下関係は指令系統をはっきりと示すには効果的であったが、同時に妬みや嫉みといった感情を引き起こす。上に立つ者が下を見下し、その気がなくとも侮った態度が出る事もあろう。下に立つものの反発は避けようがない。対等であるはずの関係性であっても、人はどうあっても他人より優れた自分でありたいと多かれ少なかれ思う。それが血の滲む様な努力をして官吏になった者の集まりなのだから、自分への自信に溢れ、そして他人よりも自分の方が優れているという優越感がなければ自己を保てない者も多い。
そう言った足の引っ張り合いに嫌気がさし、もしくは心を壊されて王宮を去る者は少なくなかった。王の庭は、自分の中に住む魔物を飼い馴らしながら他人を蹴落として何とも思わない者こそが生き延びる事が出来る場所なのだ。
知らぬ者には王宮は華やかな場所に思えるが、実際には悪魔が跋扈するおどろおどろしい魔窟である。
端的に言えば、陸奥が恐れたのは芥が爵夫ではないのかという事である。何の階級もない陸奥は、本来であれば爵夫と会話をする事など言語道断、笞罪の可能性がある。陸奥には笞で打たれた経験など勿論ない。
陸奥は芥を見て溜息を漏らした。それを見た芥は軽く笑う。
「僕が偉かろうがそうでなかろうが、今は身分を隠している訳だから陸奥が気にする事はない」
「……分かり、ました」
そう言われてもまだ安堵できないのか、陸奥の顔色が良くなる事はなかった。
芥が陸奥に近付いて、その冷え切った手を握る。
「これはあまり大きな声で言えた事じゃないけど、僕らの世界には袖の下という文化があるんだよね」
「……賂を渡せる程裕福に見えます?」
芥はゆっくりと己の指と陸奥の指を絡ませ合う。
「やだなあ。別に僕はそんな事を求――げ」
そう言って芥が戸口を見たので、陸奥が振り返るとそこには青鞣が額に青筋を浮かべて立っていた。
芥はぱっと飛び退くが、折角冷ました青鞣の頭がまた沸騰しそうである。
「あなたって方は……」
「冗談だよじょーだん!」
「司馬も見てないで止めなさい!」
青鞣がすみませんと謝った司馬諸共説教を始めたので、驚くやら呆れるやらで誰もそれを止める事は出来なかった。
「――じゃあイモンに向かうのは、煉と司馬、青鞣、砂でいいな」
心なしか落ち込んだ風の芥がそう纏めると、皆頷いた。
「無理はするな、と言いたいところだが、意地でも何か探って来て欲しいのが本音だな。煉、そちらの指揮は頼んだ。司馬と青鞣はこき使って貰って構わない。二人ともその場の判断は任せる。可能な限り早急にこちらを片付けて合流する」
芥が爵夫かもしれないと分かってから、彼がこの場を仕切る事に何の不自然もなかったのだと理解する。普段から人を使う事、判断する事に従事しているからこそこんなにも円滑に話が進んで行くのだろう。
「じゃあ陸奥、道、烈、蛍。よろしく頼むよ」
「ああ」
「短い同盟になると思うが、仲良くやろう」
そう言って握手を交わし、皆各部屋へ散っていった。
先程までぎゅうぎゅうに人がいた部屋は今では三人のみとなり、なんとなく寂しいような感覚にさせる。三人は明日以降の行動を確認した後、それぞれ就寝の準備をする。
短い同盟――先程そう言った己の主人を横目で見、視線を戻してから青鞣は一つ息を吐いた。
なんと危うい同盟なのだろうか。
この同盟を壊す者が内部にいるとするのならば、それは確実に自分の主であると青鞣にはそう確信があった。今は共同戦線をはる事に利があるが、そうでないと分かれば彼は何の躊躇もなく彼女達を切るだろう。自身の目的のためとあらば、それが彼女達が不利益を被る事になろうともきっと容赦などしない。どんなに清廉な者であったとしても、あの魔宮に住めば否が応でもそうせざるを得ない。そういう考え方で生きて行かなければ、自分が誰かに喰われるだけだ。
青鞣はお互い何事もなく再会出来る事を願い、そしてきっとそんな事はあり得ないだろうと思いつつ眠りについた。




