官位
蛍が欠伸をかみ殺したのを見て、なんだか急に眠くなって来る。さっきまで眠れなさそうだと思っていたのが嘘のようだ。
「あんまり長く話し込むと明日に障るな。もう、大体共有したい事は出し切っただろうか」
出し切ったかと問われるとそうではないような気がしてくる。ただでさえ秘めた事があるとなると、言うべき事を言ったのかどうかの境目があやふやだった。
誰も何も言わなかったので、芥はそれを肯定と受け取ったようだった。
「じゃあ、明日からの具体的な行動について決めよう。行わなければいけないのは二つ。まずは勾玉を奪い返す事。そして二つ目は、誘拐犯とイモンの謎の人間が同一犯かどうかを確認する事」
一つ目は犯人も場所も分かっているが、二つ目の難易度が高すぎる。高すぎるが、かと言ってしない訳にはいかない。
「煉、被害者のいそうな場所に心当たりはないか。些細な事でもいい」
「そんな事言われたって――」
ない、と言いかけた煉の脳裏に、一つだけ浮かんだものがあった。
「ねえ、煉。あそこは?」
陸奥が思い至ったのもどうやら煉と同じ場所であるようだった。
陸奥がウトに来て一番最初に目が覚めた場所。結界と術式を張り巡らせたあの地下は、捉えた妖怪を閉じ込めておくにはうってつけの場所ではないだろうか。死の恐怖を植え付け、脅迫して従わせるにはあそこ以上の場所などないように思えた。
だが、あそこは――。
「心当たりがあるんだね。そこ被害者がいれば解放すればいいし、いないならいないでもすぐに問題になる訳じゃなし。最悪烈や蛍と同郷とばれない限り脅迫のネタにはならないだろう。それも時間の問題だけどね」
「待ってくれ、あそこには行けない」
「行けない? 結界のようなものがあって入れないとか?」
「いや……入ろうと思えば、多分入れる……」
小さな鳥居があった。木で出来た、古ぼけたような鳥居が。その先にある地下に広がるあの空間。陸奥はあれの何処に結界やら術が施されているのかの確認など、当たり前だがしていない。
「あそこは力を使えない。使えないだけじゃなく、長時間いれば消える。そういう場所なんだ……」
煉の力ない言葉を聞いて、芥は分かったと頷いた。
「幸い人員も増えた事だし二手に分かれるか」
芥は人差し指と中指で二を示す。
「まずはイモンの調査班だ。これには場所が分かっている煉を筆頭に据える。そして被害者の顔が分かる烈か蛍か砂、これは一人いれば十分だろう。だが妖怪の力を削がれるような場所だと言うのならばこちらには青鞣と司馬を付ける」
「なりません!」
これには青鞣だけではなく司馬も反対した。芥はそれを宥める様に制す。
「弓使いが明日も移動する可能性を考えれば、道の力が必要だ。道が必要ならば自ずと陸奥も追跡班だろう。そうなると人間側から調査班に誰か腕の立つ奴を付けるしかない。当然司馬になるが、心もとないので青鞣も付いてってやってくれ」
「承服できかねます」
青鞣がかなりきつい口調で詰め寄るが、芥にも譲る気がなさそうだ。
「ご自分の立場を――」
「それくらい弁えてる。兎に角一旦落ち着け。どちらかは僕に付いていたいんだろうが、それは悪手だ。いいか、どう考えても煉と陸奥にはそれぞれの筆頭になって貰う必要がある。分かるな。そうすると僕らのうち誰かが行かなければならない。あのカタシロクグツとか言うのを使われてみろ。司馬でさえ手に余るだろうが、他に出せる奴なんていない。そして呪札を使われて一網打尽にされたらそれこそ一巻の終わりだ。司馬以外にもう一人自由に動ける人間がいて、しかもそれがお前だったらその場でどう対処したらいいのか判断出来るだろう」
「でしたら俺と一緒に」
「無理だ」
芥の言葉には容赦がない。
「お前は敵の本陣に僕を突撃させると言ってるのと同じだろう。弁えてないのはどっちだ。仮に南にいる弓使いが別の集団で、今いる場所が本陣の可能性も否めない。否めないが、可能性がある方と確実にそうである方、どっちが危険性が高いんだ」
「……――後者、です」
「分かってるならいい」
「でしたらこの場で報告を待つという選択肢も」
「あのな」
青鞣が言い終わる前に芥が被せる。
「ただでさえ問題の数と割ける人員に差があるのに、これ以上人を減らしてどうするんだ」
「お分かりでない様ですので申し上げますが」
口調こそ丁寧だが、やや語気が荒い。
「おい、やめろ。蛍が引いてる」
烈の後ろに引っ込んで、恐々とやり取りと見詰める蛍の目には怯え以外ない。
「やめません。道楽と興味本位で身を危険に晒すような真似は控えて頂きたい」
「青鞣、それ以上言うな。お前の言いたい事はよく分かってる」
芥は最初こそ青鞣から目を逸らして分かった分かったと口にしていたが、やがて彼の目を見据え――青鞣の方は見ると言うよりも睨むに近かったが――そして先に視線を外したのは青鞣だった。
「……少々取り乱しました。お許し下さい」
小さく息を吐いた青鞣はこめかみを抑える。
「いいよ。お前らの仕事は僕のお守りだろう。だが、僕の仕事は第一王子の保護だ。国益から見れば僕の身柄なんかよりも第一王子の方がよっぽど尊い。手合わせした司馬ならよく分かるだろうが、陸奥がいるから問題ないし、妖怪も二人いる。心配するなとは言わないが、今回は引いてくれ」
司馬と青鞣は渋々ながら御意、とだけ返答をした。
何の言い争いなのか、陸奥には全く理解出来なかった。出来なかったが、分かった事は芥の身分がかなり高いという事だ。
王宮に所属するという司馬と青鞣には様付けが出来ても、陸奥にはどうしても芥様と呼ぶのに抵抗があった。だが、本当は口を聞くのも許されないくらい地位が違うのではないだろうか。
頭を冷やしてくると青鞣が一旦退室し、芥が空気を入れ替えようと窓を開ける。夜だというのに纏わりつくような空気が入って来た。
「司馬様って、所属は……」
恐る恐る尋ねる陸奥に、司馬は頓着なく答えてくれる。
「兵部だけど、官位で言えば下っ端だから、様付けされても照れるって言うか」
「じゃ、じゃあ青鞣様は?」
「青鞣様は礼部」
にこにこと教えてくれる司馬に、陸奥はついにもう一人の所属を聞く。
「芥……様は?」
その様子を当の本人はにやにやしながら聞いている。陸奥が様付けで呼んだ事になのか、それとも今から司馬がなんと答えるのかが気になるのか、兎に角楽しんでいる様子だった。
司馬が困ったように芥に救いを求めるが、彼は答える気は毛頭ないようだった。
「陸奥は、僕が何処の人間だと思う訳?」
と、逆に質問してくる有様である。
この国においては王が全ての頂点に立つ。政治においてもイーリアス教においても何事も王の名のもとに執行されている。
その下に七つの官職が置かれる。吏部、礼部、戸部、兵部、刑部、工部、農部。青鞣は祭礼や外交を取り仕切る礼部に所属し、司馬は軍事を司る兵部に所属しているという。この七つの官職のうち、礼部だけが王宮ではなく教会に所属する――と言うよりも教会が礼部に所属すると言った方が事実に近い。またこれとは別に丞相という王の右腕が存在し、各州にも相が派遣されている。
七つの官職の下に様々な職務があり、例えば工部であれば、宮中の器物などを管理工作する小府や、堤防や用水を管理工事する衡府など枝分かれして行く。
だがこの中で王に見えるのは上層部の一握りに限られ、司馬や青鞣は一生かけても会話する事など出来ないだろう。各職での議事以外で王に謁見を許可されているのはそれぞれの長官七名――冢宰、大宗伯、大司徒、大司馬、大司寇、大司空、大司農と丞相、そして一部の特任者だけである。
王の下にありながら、礼部だけは独立した機構であった。何故宗教と政治両方の頂点に王が置かれているのかは不明だが、古くからの習わしであるから仕方がない。それでも、他の職に対して礼部だけは異彩を放っている。
このご時世、数少なくなった魔法使いを多く要するのはその役儀上当然兵部になるのだが、次いで礼部が圧倒的に多い。
礼部は教育権もその任として与えられており、魔法使いと判明した子供はその専門機関へと入れられる。それを取り仕切るのが礼部となるのだが、その教育機関を出た者の大半が兵部で軍人としての職務に当たる。そして当然加齢と共に軍人を退役する訳だが、その後は兵部で内勤となるか礼部へと勤め先を変えるのが一般的である。
故に、礼部と兵部は王宮にあって王宮にあらず。それが例え王であっても手の出しにくい治外法権なのである。
そんな事は陸奥のような平民には知る由もなく知る必要もない。だが教会を敵に回している可能性の高い芥にとっては、この二人の所属は相手を誤魔化すのには大変有利なものであった。
余談ではあるが、魔法の才がない青鞣は残念ながら礼部での出世は絶望的である。




