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むつのはな  作者: あみか
第三章
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答え

 へたり込んだままの蛍を烈は起こさなかった。いや、起こせなかった。烈も砂も、固い表情で地図を見たまま動かなかった。

「雨量の変動はあれど、元々の降水量に比べれば今でも格段に多いそうだから、彼らは生きていると思う」

 蛍はそう言う芥の言葉を理解するのに時間を要した。

 そして言葉の意味を把握した時、じわじわと何かが込み上げて来た。

 小さく口を開け、無表情のままの蛍の頬を、熱いものが一筋流れた。そしてそれは一度流れると止める事が出来なかった。

 小さく嗚咽を漏らし、いなくなった幼馴染との思い出が詰まった手巾ハンカチを強く強く握りしめたまま蛍は泣いた。

 烈はしゃがみ込んで蛍の体を無言で抱き寄せると、蛍はそのまま顔をうずめて大声を上げて泣いた。

 里にいる時は、ずっと隠れて泣いてきた。大人達はきっとすぐに帰って来ると根拠のない慰めの言葉だけを蛍に投げつけ、何もしてはくれなかった。そんな彼らが、攫われた者はもう生きてはいないと陰で囁き合うのを蛍は知っていた。だから皆の前で泣くのをずっと我慢して来たのだ。

 烈と砂もまたそうだった。長く三人でいたのに、忽然と姿を消した幼馴染を探しに行こうとすると止められた。里の仲間が消えても、皆無関心を決め込んで、それがやるせなかった。

 やっと。やっと希望の光が見えた。それを齎したのは絶望の淵に追いやったのと同じく、人間だった。


 蛍が落ち着くまで、誰も何も言葉を発しなかった。窓の外から聞こえて来る、通りを大声で歩く酔っ払いの声がどこか別の世界の出来事であるかのように、部屋の中には静かな空気が漂っていた。

 やがて蛍が落ち着きを取り戻すと、彼女はとても恥ずかしそうに俯いて、小さな声でごめんなさいと言った。勿論それを咎める者などここには存在しない。

「じゃあ続けよう。陸奥、覚えてるか。あの時狐は言った。神隠しは人間の手によって行われていると。僕は妖怪をよく知らなかったが、知れば知る程にそれはあり得ない事だと思っていた。……今日まではね」

 芥がそう言いながら取り出したのは、一枚の紙。それは蛍の背に突き刺さっていた穴の開いた呪札だった。

「煉の話では、その謎の人間達はこれを駆使しているのだろう。まさに一撃必殺の技だ。魔法使いでさえ敵わない妖怪相手でも、これがあれば――例え魔法使いでなくとも、妖怪を捕らえる事は俄然容易くなる」

 その札をまじまじと見ても、一体何を描いたのか判別できない。複雑なようで、それでいてどこか絵画のような整った模様をしている。

「魔法使いでさえ敵わないはちょっと誇張しすぎじゃねえの? あんただろ、一人でうちののりおちをやったのは」

 煉は司馬に向かってそう言ったが、返答をしたのは芥だった。

「よく知ってるね。妖怪の情報網は怖いなあ。あれは、ちょっとした反則技だから気にしないでいい」

「気にすんなって言われても……」

「あんな出鱈目なのは司馬だけだから、数に数えなくていいって事さ」

 言われた司馬は明後日の方を向いて頭を掻いた。内心、芥が返答をした事に安堵していた。自分が答えて余計な事を滑らせると容赦なく青鞣の蹴りが入るからだ。

「僕が思うに、ヒッサの妖怪を攫ってるのは煉の後ろにいる奴らじゃないかな。煉は、何か知ってる?」

 残念ながら煉は首を横に振った。

「悪い。本当に何も知らない。主様、じゃねえ煙羅様は何も言ってなかった」

 お言葉ですが――と青鞣が口を開いた。

「主様が、主様がと仰っていますが、自分達自身の事でしたらもう少し言いなりではなく動いてみてもよかったのでは?」

「言うなあ」

「私も正直何を考えているのか分からない上司に振り回される事が多く、やりたいようにやらせて頂く事が多いのでね」

 にっこりと笑う青鞣に、芥はそりゃ大変だ、と他人事のように返す。

 煉は嫌な言い方をされたからなのか神妙な面持ちで口を噤んだ。そして次に口を開いたのは何故か烈だった。

「人間は、どうやって主を決めるんだ?」

 芥は黙って青鞣を見たので、青鞣が会話を続ける。

「主、とは……王に当たるのでしょうか」

「族とかあるのか?」

「……家族などはありますが……この場合はない、が正解でしょうかね」

「じゃあ、その王はどうやって決めるんだ?」

「血筋ですよ。代々王家の者が継ぎます。先代の王が崩御されて後今は不在ですが、数か月後に先程から話題に出ている第一王子の真昼様が登祚とうそなさいます。この方は、先代の孫でございますので」

「お前たちは王の言う事に逆らったりする事はあるのか?」

「……難しい質問ですね。そもそも普通王とは面識を持てないものでございます。基本的には直接の会話すら能いませんし。我々王宮勤めと言えども、王と対面できるのは一握りでございます。逆らう逆らわないの域に達しませんので分かりかねます」

 烈が困った様に腕を組んだので、芥が助け舟を出す。

「回答が真面目過ぎるだろ。王の命令は通常には法として国民に発布される。国には法を管理する組織が存在し、この法に背くものは罰せられる仕組みになっている。だが、王個人が、特定の人物に命令する事だって多々ある。それはまあ、あれが食べたいから持ってこいだの、あいつが鬱陶しいから左遷しろだのあると思うけど、臣下に思うところあってもきっと逆らわないだろうね。逆らったら折角王の側近になったのに罷免されちゃうし」

「……それは保身の意味から逆らわないというだけか?」

「過激な王様であれば罷免どころか殺されるかもしれないけど、何にせよ保身だね。王宮を去る覚悟があれば、逆らう事はあるだろう。過去には王を弑する者もいたようだし」

「そうか……」

 そう言って烈も黙り込んでしまった。そんな烈の肩を砂がぽんと叩いた。

「寝る。何か決まったら明日教えて。烈が決めた事なら反対しないから、任せる」

 烈の返事を聞くまでもなく、砂は部屋を出て行ってしまった。蛍がおろおろしながら扉と烈を見比べる。

「あいつ……」

 ああもやる気がないと烈だって困る。里を出るとなった時、砂は着いて来ないものと思っていたから、多少なりともやる気があるのだと思っていたのに。

「俺らは、違うんだ」

「煉」

「各族の族長の中から主は選ばれる。そもそも族長になった時に名を捨て、そして力を得る。その力とは族を従える力だ。そして主になれば、全ての族を従わせる事が出来る」

 煉は躊躇うように一拍置いた。

「――主様が死ねと仰るのであれば、俺らは死ぬ」

 強く放たれた言葉は、すくなからず人間側に衝撃を与えた。それは忠誠などというある種美しいものではない、絶対的な服従。

 驚いたような顔で固まった青鞣と司馬。芥に至っても真面目な顔をして聞いており、陸奥は胸の辺りを抑えて眉根を寄せた。

「意見する事も、楯突く事だってある。それでも、主様が是と言えば是、否と言えば否。白って言えば黒も白になる。俺らだって、あんな人間にへつらうのは嫌だった。それでも、主様の意向は絶対だ」

「それは……難儀だな。青鞣」

 青鞣は膝を折って、煉に頭を垂れた。

「知らずに失礼な物言いをした事謝罪致します。お許し下さい」

「いや、いいんだ。あんたの言い分は理解出来る」

 それが嫌で仲間から抜けていなくなる者だっている。だが、その後どうしているのか消息が知れた者はいない。いないという事は、そういう事なのだろう。

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