不意打ち
「何故陸奥と手を組んでいる?」
「別にお前には関係ないだろうが」
先程顔面に火を喰らったせいか、烈の前髪が少しだけ焼け焦げて短くなっている。そして衣服の上からとは言え噛みつかれた煉も、その腕を摩った。
「ヒッサから離れたら、殆ど力なんて出せねえんじゃねえの」
「……それはどうかな」
「ハッタリだね。陸奥の能力はすげえけど、そうもたないのはもう割れてんだよ!」
そう言って煉は炎を拳に纏って烈に殴りかかる。烈は下がって藪の中に身を隠すと、狐の姿へと転身してガサガサと地面を走り回る。藪が茂ってこれでは的が定めにくい。
「くそ!」
藪を全て燃やそうと掌の炎を大きくするが、ガサガサという音が真後ろからして振り向くと司馬が走り込んで来ていた。
煉は舌打ちしてその炎を司馬へと投げるが、その炎は一刀両断され、分割された炎が司馬の両肩を掠めたが何の傷をも負わす事は出来なかった。司馬は剣を横に薙ぎ払って煉を狙うが、振り払った瞬間に刃が当たるか当たらないかぐらいの距離で煉は後退った。
「お前の間合いくらい見えいってえ!」
煉が大声を上げたのも無理はない。脛を思い切り烈に噛みつかれていたのだ。足元を燃やすが、もうそこに烈の姿はなかった。
「二対一とは卑怯だろ!」
「さっき不意打ちして来たお前に言われたくないな」
炎があまり効かない司馬と、何処にいるのか分かりにくい烈。はっきり言って分が悪い。陸奥が近くにいれば真名解放のような力を得られるが、彼女は今どうしているのか加勢に来てくれそうな気配はない。勾玉さえ手にしてくれれば、自分が二人を引き寄せておく事も、そしてここで力尽きてしまう事にも何の躊躇いもないのだが。
「陸奥……さん……」
芥を斬る覚悟は出来ていても、それ以外の知り合いを斬る覚悟までは決めていなかった。これでは甘いと言われても致し方がない。陸奥は黙って潤んだ蛍の瞳を見詰めた。
「蛍。ごめん、それ渡して」
「陸奥さん……!」
ただ名前を呼ばれただけだが、その声からは裏切られた悲しみ、信じたくないなどの感情が綯い交ぜになっている事が伝わってくる。それはチクリと陸奥の胸を刺した。
陸奥は剣を強く握りしめ、ゆっくりと蛍へと近付いた。陸奥の左手には例の飛び道具が握られており、ちらりと左後ろの芥に視線を一瞬移す。
「芥は動かないで」
先程芥自身の武器は司馬に渡されたはずだ。仮に持っていたとしてもそれは小刀程度のものだろう。青鞣に至っては、身を挺して主人を守るなど忠誠心は見上げたものだが、こういった戦闘には不慣れなのがはっきりと分かったので最早問題はない。
年端もいかぬ少女に刃を向けるなど心が痛まない訳ではなかったが、背に腹は代えられない。陸奥は蛍の首元に切先を向けると、再度勾玉を寄こすよう催促した。
「陸奥」
後ろで成り行きを見守っていた芥が話しかけてくる。
「取引……というか、お願いなんだけど」
「何」
陸奥は左手に力を籠める。
「陸奥の依頼主って誰」
この期に及んでまたその質問をされるとは思わなかった。陸奥は振り向きも返事もしない。
「僕はただ勾玉を欲している人物が知りたいだけなんだ。だから別に勾玉自体はいらない。それは陸奥にあげるよ。代わりにと言ったら変だけど、依頼主に届けるところまで同行させてほしいんだよね」
「断ると言ったら?」
「そうだなあ。多分、その子は勾玉を握りしめたまま放さないよ。陸奥は勾玉を得るためにはそのか弱そうな狐の女の子を甚振って奪わないといけない。陸奥はそんな事出来る人間じゃあないだろう?」
陸奥は弱々しくも芯のある蛍の目を見て、芥の言う事は間違っていないと思った。里の、主のためであればこの子は自己犠牲など厭わないだろう。そして、この子を痛めつける事も本意ではないというのも真実だ。悔しいが芥の言う事は間違っていない。
確かに勾玉さえ清陳に持っていけば、そこに芥一行がいたとしても、交換条件に何の落ち度もない。
ただ釈然としないのは、そこに付け込んでくる芥の狡猾さだ。
陸奥は暫し逡巡した。
「……分かった。勾玉は私が預かる。付いて来るなら好きにしたらいい」
「流石陸奥!」
「ただし!」
芥の頭から掌一枚分上を飛び道具が掠めてドスッと後ろの木が音を立てた。
「余計な事言ったりしたりしないでよね」
芥は後ろを振り向いて、その鋭利な針先が深く刺ささっているのを確認した後、はーいと弱々しく答えた。
「蛍、ごめんね。全部終わったらちゃんと説明する。とりあえずそれを渡して貰える?」
陸奥は剣を下ろして蛍に掌を差し出した。蛍は恐る恐る陸奥を見上げ、そして芥を見た。
「今言った通りだよ。それは陸奥にあげて」
蛍は困った様に陸奥と芥の顔を数回見比べた後、やがてこくりと頷いた。蛍の小さな掌が、陸奥の手に向かってゆっくりと伸ばされる。
これで梁は解放され、煉達ウトの妖怪も清陳の呪縛から逃れられる。一時はどうなる事かと思ったが、これで平和に解決出来る。
だが蛍の手は、陸奥の手に届く事はなかった。
その前にぽとりと地面に勾玉は落ち、蛍は膝から崩れ落ちた。倒れ行く蛍の背中には矢が一本刺さっており、その傷は深くはなかったが、矢にはイモンで見た字とも絵ともつかぬ模様が描かれた札が貫かれていた。
「蛍!」
突っ伏した蛍の下を、何か白く細い生き物がしゅるりと駆け抜けた。陸奥は見間違いかと思ったが、今はそれどころではない。
「陸奥、ここはいいからあいつを追いかけろ!」
そう言われて陸奥が矢が飛んできた方向を見ると、遠ざかる背中が見えた。慌てて蛍の体を起こし確認するが、何処にも勾玉がない。
「煉!」「司馬!」
二人は同時に叫び、陸奥は走り行く背中を追いかけた。だが距離がかなり離れている上に、地面には木の根やら藪やらで走る事もままならない。木々が多く見晴らしも悪いのでこのままでは逃げ切られてしまう。
向こうも陸奥同様に進みが悪いようで距離は遠ざかる事はなかったが、邪魔だったのか藪の上には弓が捨てられていた。陸奥は丁度手頃な大きさで割と真っ直ぐ伸びた枝を拾い、小刀で邪魔な葉を斬り落とすと弓に番えた。鏃にあたる部分に道を乗せ、ギリギリと弦を引き下ろす。
「道、ごめん」
左肘が弦に当たらないようにやや内側に捩じる。この矢が真っ直ぐ飛ぶとは到底思えないが、それでも木々の隙間を狙う。道の重さは殆どないが、やや上目を狙って右手を放した。案の定蛇行しながら枝は飛んで行ったが、道があいつを認識しさえすれば追跡は可能だ。思ったほどの飛距離は出なかったが、弧を描いて飛んだ矢はうまく木々の隙間を縫って近くに落ちたようだ。
後ろにガサリと何かが落ちた音で振り返った逃亡者はかなり驚き、慌てふためいて大量の札をぶちまけ何かを唱えた様に見えた。陸奥は何だか嫌な予感がしてゆっくりと後退する。
藪の上に散らばった札から、何かがぶくぶくと泡立っているように見えた。陸奥は一歩、また一歩後ろに下がる。やがてその泡は大きく膨らみ、どす黒い塊となっていく。
一体何枚の札がそこにあったのだろうか。一、二、三……陸奥は数えるのを諦めた。
黒い塊は、あるものは人の形に、あるものは鳥の形に、あるものは獣の形へと姿を変えていく。
陸奥は更に後退り、腰に剣がある事を一度確認する。
そこからは一瞬だった。弾かれたように一斉にその黒い塊が陸奥に向かって突進してくる。陸奥は身を翻して走り出す。全部を確認できた訳ではないが、大体が陸奥に向かって来たため、恐らく道を標的にはしていないのだろう。
一番厄介なのは鳥だ。視界の端で捉えた鳥達は、一斉に上空へと飛び立って行った。恐らく一気に急降下してきてあの鋭い嘴で狙って来るだろう。
せめて芥達のいる場所であれば、ここより幾分か視界が拓けているので対応出来るのだが、そこに辿り着くまでに鳥と、あの牛なのか獅子なのか分からぬ獣達から逃げ切らなければならない。そもそもあれに、ただの剣が通用するのだろうか。
この距離では間に合わないと踏んだ陸奥は、大木に絡まる蔓を掴んでよじ登る。これで地上の獣とは交戦しなくても済むはずである。陸奥はなるべく木のてっぺん近くまで登り邪魔な枝を刈った。滑空して降りて来るのであれば、その勢いを利用して下ろすだけだ。枝の上でどこまで踏ん張れるかが問題だが、陸奥は気合を入れ直す。
「かかって来なさい!」
陸奥の言葉を理解しているのかは分からないが、黒い鳥の一羽が陸奥目掛けて一目散に空を滑り降りる。陸奥は刃を縦にして真っ二つにしようと構えるが、その嘴は陸奥の眼前で大きく変化した。
「なっ」
急に巨大化した嘴に刃を入れ込むが、固くて途中で止まってしまったのが分かった。勢いそのまま、陸奥は体ごと持っていかれる。陸奥は剣を放さなかったが、この場合それは間違いだった。
剣を銜えて放さない黒鳥は陸奥諸共上昇して行く。宙ぶらりんになった陸奥目掛けて他の黒鳥が近付いてくる。陸奥は飛び道具を取り出すと、投げるのではなく突き刺せるように持ち直す。その鋭利な針を見て怖気づいたのか、他の鳥達は陸奥の周りを旋回するだけでそれ以上近付いては来なかった。
「え」
陸奥はそれまで感じていた風の感触が消え失せたのを悟る。見れば先程まで陸奥を銜えていた鳥は単体で飛行している。
一瞬、身体が上に行くでも下に行くでもなくふわりとした感覚に襲われた。宙に投げ出された陸奥は下を見るが、木々が多い茂るとは言えそこまでのかなり距離があるのを確認し、絶望した。




