運び屋
約束通り三日後に煉は陸奥の前に現れた。待ち合わせとなっているこの街サンシュウはイモンよりも大きな街であったが、やはり蒸し蒸しとした空気に、増水した川、そして通り過ぎる人々の顔は何処か陰鬱としていた。
「首尾はどうだ?」
近付きながら煉が話しかけてきたので、陸奥は一度後ろにいる妖怪達を振り返り頷いた。
「控えめに言って大成功ってとこかな」
煉は仲間達の方を見、晴れ晴れとした表情に釣られて思わず笑みが零れる。
「上出来だ」
わしゃわしゃと一つ目の少年の頭を乱暴に撫で、皆に労いの言葉をかけた。
言葉遣いや所作が乱暴でも、煉にはこうした温かさや気配りがあった。本人にその自覚はなくとも、その立ち振る舞いを見て付いていきたいと思わせる何かが彼にはあった。まだ十分と言うには遠い部分もあるが、本来ならば彼のような者が主になるべきなのではないだろうか。
「陸奥、頼まれてたもん調達してきた」
「あ、ありがと」
ぽんと投げられた袋を受け取り、中身を確かめた。これだけあればある程度はどうにかなるだろう。そして心強い事に煉もいる。
そして手渡された剣。するりと鞘から抜くと、細身の刀身がきらりと光った。
「悪いな、あんまりいいやつじゃなくて」
「ううん、充分だよ」
陸奥は剣をしまうと自分の腰に括りつけた。願わくば、これを芥に向かって抜く事がありませんように。
陸奥は旅支度を済ませ、煉は仲間達との別れを惜しんだ。例の運び屋は人目の付かぬ少し離れた林にいるらしいので、ここからは煉と道との三人旅となった。
「あそこだ」
林の中を少し歩いたところで、煉が薮の中を指差した。
「え……」
陸奥は漸く彼らが人目を避けた意味を理解した。陸奥らに向かって来る姿、その高さは陸奥の倍近くあるのではないだろうか。垂れ下がったような瞼、地面を掴む様に進む足取り、配色も鮮やかな体毛に、一歩ずつ進む度にゆらゆらと揺れる尾。
「鳥……?」
「駝鶏の一族だ」
その姿はニワトリに近いが、黒色の羽毛に金色が入り混じっており、長目の首周りは翠玉色をしている。ニワトリ同様に鶏冠は赤く、顎の肉垂はニワトリのそれよりも小さい。硬質の嘴はこちらに向かって来る度に前後に揺れ、些か恐怖を覚える。
「こ、こんにちは……」
その眠たそうな目で、びくつきながら挨拶する陸奥をじっと見詰めた。
「……話は煉より聞いた。まさか攫って来た人間の娘がのお……」
嗄れた声で、ゆっくりとそう呟いた。そう言われて改めて、陸奥は自分が攫われた事を思い出す。
この駝鶏に乗って州を跨ぐのであればほんの一瞬だろう。そもそもヒッサからもすぐだったのだから、確かに徒歩や馬よりも断然速い。煉は手慣れた様子で蔓を翠色の首にかけ、木によじ登ってそこから大きな鳥の背へと飛び移った。乗られた方も嘴で蔓を啄み器用に自らの体へと巻き付け蔓の先を煉へと渡す。陸奥も煉に倣って背に跨った。馬などと異なりふわふわとした毛がやや気持ち悪いが、お尻は痛くなりにくそうだ。蔓を交差させてしっかりと結んだ部分を握り、さらに後ろから煉がその先を握る。正直こんなので大丈夫かという不安が拭えないが、短い時間であれば耐えるしかない。
その大きな翼を広げただけで、砂埃が音を立て、石粒がビシビシと木々に当たる音がした。
これはまずい。
落ちるんじゃないかという緊張感で張り裂けそうだ。陸奥はきつく目を閉じて蔓をぎゅっと握るが、下半身が何も固定されていないので横にずり落ちてしまう想像が容易い。
「――っ!!」
今まで経験した事がないような圧迫感が皮膚やら内臓やらに襲い掛かる。後ろに煉がいるのでかろうじて背中に抑えはあるが、これは一人では絶対に乗れない。目を閉じていても自分が上昇しているのが分かる。
分かるが、それ以上考える余裕などなかった。
「陸奥、目開けてみろよ」
そう言われ、涙が滲んだ瞼を恐る恐る開ける。上下に揺れる振動も落ち着いたので、どうやら風に乗れたようだ。
「……わ……!!」
それは山の上から見る景色よりも広く、どこまでも広がる大地と空が果てで交差していた。空が近い、と言うよりも、空の中にいるのだろうか。地上よりも空気が冷たくそれでいて太陽が近い。建物や畑がとても小さく、ここには恐怖などなかった。
「どうだ、悪くないだろ」
何故か煉が得意そうだったが、その言葉は陸奥の耳には入っていないようだった。煉も初めて乗った時は同様に、景色に夢中になりかけてずり落ちそうになって同乗者を慌てさせたものだ。
「雲の表側だ……」
「確かに、いつもは裏ばっかり見上げてるもんな」
陸奥は遠く霞んで見えない街を見る。あの先に首都州があって、そしてヒッサがある。
思い返せばこの短い間で、長い旅をしてきたものだ。
首都州の店を訪ねて来た芥。その言動の端々からお坊ちゃん感が拭えない彼は、破格の値段でヒッサ州までの護衛を依頼してきた。彼について不審な点は提示した価格以外にもいくつもあった。普通あれほどのボンボンであれば、もっと仰々しい字で通っていてもおかしくはないはずなのに、芥などと言う名を名乗った上に、それは王宮の偉い人から賜ったものだと言った。そして馬に乗れた事。通常は馬車に乗るため自ら馬に乗る事はない。この国の地位ある者は、狩猟は下戦の民が行うものとして嫌う傾向があり、戦もない。それでも彼は騎乗する事が出来た。そして旅芸人の劇を見た時の反応。市街地の金持ちであれば特等席で観覧する事も可能だろうし、大夫の家系であれば有名な一座を呼びつける事もあるだろう。なのに彼はあの有名な劇を一度も見た事がないと言った。
だがそれとは逆の事も思い返される。王宮ゴシップが盛り沢山だった記事の一つに、王宮に侵入して勾玉等を窃盗した者がいるというものがあった。たまたま目に付いた記事だったが、彼の荷物にそれと思しき石が入っていたのを見てしまった。もし彼がお坊ちゃまではなく泥棒なのだとしたら、羽振りの良さも、馬に乗れる事も合点がいく。
彼の言った事のどこまでが真実でどこまでが虚構なのかは分からない。
――嘘じゃないよ。僕は秘密は好きだけど、嘘は嫌いなんだ。
その言葉も、信じていいのかどうか。
結局彼とはすぐ別れる事になったが、まさかこちらから探しに行く事になるとは予想だにしなかった。別れの挨拶をした時は、もう二度と会う事はないだろうと思っていたのに。
道は、芥が首都州方面にいると示した。心地よい風を浴びながら思いのほか快適に進むこの空の旅も、一瞬の恐怖に耐えれば悪くないと陸奥は思い始めた。何よりも速く、乗り心地も悪くない。道もないので最短距離で移動できるし、天候次第では厳しいかもしれないが最も優れた乗り物なのではないだろうか。
飛び立つ時の恐怖よりも、地上に降り立つ恐怖の方が格段に上である事を、この時の陸奥には知る由もなかった。




