とある宿にて
「そう言えば殿下の雇った用心棒の話って詳しく聞いてなかったですよね」
「あー、陸奥の事か」
乾草のような匂いのする、決して大きいとは言えない寝台に腰かけて一人酌をする夜半、馬での移動が腰にきているのか伸びをする青鞣、そして大怪我をしたというのに既に床で腕立て伏せをする司馬の三人。本来であれば、青鞣はこのような適当な宿に夜半を泊めたくはなかった。しかし、ここには厩のある宿がここしかなかったのだ。
追われる身としては大きい街に泊まる方が見付かる危険性は低いが、妖怪が大きい街ばかりを襲撃するので、どちらが安全性が高いのか分からなくなった一行は小さな街に宿を取っていた。街と言うにはあまりにも小さく、里や集落と言った方が適切かもしれない。そんな選択をした三人にとって、むしろ曲がりなりにも厩のある宿がある街に当たった事は運がいいと言って差し支えないだろう。
夜半は司馬の質問に対し少し考えて、真剣な面持ちで答えた。
「細身だったけど出る所は割りかし出てたように思う」
「……殿下」
勿論諫めたのは司馬ではなく青鞣である。
「仮にも王子なのですから、ふしだらな会話はお慎み下さい」
「本当に潔癖だなお前は。そんなんだからモテないんだよ」
あくまで笑顔を崩しはしないが、若干青筋が立っているのを司馬は見付けてしまい、ハラハラと二人の会話が穏便に終わるように祈る。
「殿下の様に女好きよりはマシでございましょう」
「心外だな。美姫限定だ」
夜半はここぞとばかりににやりと笑う。それが更に青鞣を逆撫ですると知ってか知らずか――いや、この場合は知ってなおである。
「何処ぞの馬の骨とも分からぬ町娘を誑かして遊ぶなど、言語道断です」
何故かこのタイミングで夜半は爆笑した。青鞣と司馬は何が起こったのかと怪訝そうに夜半を見詰めた。一頻り笑った後、猪口の酒を呷り、舌なめずりをした。
「青鞣も中々的を射た事を言う。いや、本当に。……司馬」
「は、はい」
「大陸って言うのは、何処にあるんだろうか」
「……はい?」
急に唐突もない質問を投げかけられて、司馬は会話に置いて行かれたのかと思い青鞣を見るが、その青鞣も困ったような表情を浮かべている。夜半に視線を戻すが、笑みを浮かべたまま司馬の答えを待っている。
「えーと? 開闢の話ですよね?」
探り探り顔色を見ながら言葉を発するが、全く夜半の質問の意図が読めない。王族の祖であるイーリアス神の開闢の話など、司馬よりもよほど夜半の方が詳しいだろうに、何故今敢えてその質問なのだろうか。
「かつてこの世界は一つの大陸であって、悪しき者によって支配されていた。イーリアス神によってそれは討たれ、その時に世界はバラバラになった……」
そこまで言って、司馬は何か閃いた様に目を輝かせた。
「謎かけですね。正解は『ない』!」
夜半が微笑んだので、司馬は的中したと思い笑い返した。
「司馬はそれを確かめた事はあるか?」
「え……?」
思っていたのと違う反応が返って来てしまい、司馬は少しがっかりした。
「やっぱり謎かけじゃないですか」
青鞣も呆れて今回ばかりは司馬をフォローする。
「そうだな、謎かけだな」
更に飲み干したお猪口に、とくとくと酒を注ぎ足す。小さな器を覗き込めば、そこには己の瞳しか映っていない。
急に夜半が立ち上がったので、二人とも驚いてその顔を見上げる。その表情は満面の笑みであった。
「世界は広い! 最高だと思わないか? 見ての通りワクワクが止まらない」
「一人でワクワクしないで下さい…」
対照的に青鞣はげんなりとした。そのワクワクの尻を拭うのはいつも大抵彼である。
「あの娘はこの大陸の北方の生まれだと言った」
「……は?」
青鞣も司馬も、一瞬意味が分からなかった。
大陸など最早この世に存在しない。自身で確かめた事はないが、そんな事は自明の理である。ないものはない。
首都州をぐるりと取り囲むようにある六州は、それぞれの州境にも山が聳え立つが、それ以上にこの国の外周に当たる地域には文字通り天を貫くような山がある。垂直にも思える切り立った山肌は、古より数々の冒険者達を駆り立て、そしてその命を奪っていった。
お伽話の上では、山脈の向こうには扶桑と呼ばれる楽園があるらしいが、物語の域を出る事はない。
外国と言えば、南州の一部から来航する者の祖国となるが、彼らは島国出身であり、大陸の者などいない。
かつて大航海をしたと言われた者の著作にすら、この国は島国であると結論付けられていたはずだ。
故に、この大陸という言葉は不自然極まりない。
「まさか、それを信じていらっしゃるんですか?」
青鞣が呆れた声を出すが、夜半は意に介さない。
「あれは妄言ではないと思う。確かに彼女はこの国の外を知っている」
はあ、と一つ溜め息を落として青鞣は切り返す。
「仮にそれが真実だったとして、彼女がそれを言ったところであなた以外誰も信じないかもしれません。が、中にはそれを信じて山脈を越える者が出るとなると、これは由々しき問題ですよ」
「ま、そうだろうな」
夜半が他人事のように言うので、青鞣は夜半から酒を取り上げる。
「まさかとは思いますが、その山脈を越えようとする不届き者になりたいとは思ってないですよね」
「思ってない思ってない」
しかしその視線は明後日の方向を向いている。どれだけ頭痛の種を増やす気なのだろうか。
船のみで繋がる諸外国は、決められた時期に決められた人数しか行き来する事が出来ない。それ以外の時期に出航すると、時化や流行病などでどうやっても外に出る事は出来ない。これは季節要因などではなく、イーリアス神の加護がないからだ。決められた人数以上で同じ時期に出航しても何故か同様になる。
限られた人数しか交易出来ないとなると、当然港町では利権争いが白熱する訳だが、首都州の関知するところではない。
兎に角、もし船旅以外にもこの国から出る方法があるのだとしたら、イーリアス神の加護は分配されるのかそれとも増えるのか。地続きであれば国境の警備は必須であるし、そもそも戦争に発展する恐れすらある。精査する前に思い付く課題でさえ卒倒しそうだ。実際にはその諸問題に携わる権利などこの三人にはないのだが、それでも陸奥の存在は看過出来ない。
「だったら何故、同行させなかったのですか?」
「なんだ、青鞣も女にちゃんと興味あったんだな」
嘘くさい笑顔以外は表情に乏しい青鞣が更に無表情になった。
「首都州での勤め先は知ってるから問題ないだろう? 仮に何処かで見付けたら穏便に同行を願おう」
夜半は苦笑しながら青鞣の機嫌をとる。
「ないとは思うが、もし抵抗するようだったらふん縛ってでも拉致れ」
視線を向けられた司馬は姿勢を正す。
「彼女本人に今はその意思がないにしろ、いずれこちらが不利になる情報を向こうに流されでもしたら一大事、って事だろう?」
夜半は青鞣から酒を奪い返して、それを一口で飲み干した。




