噂
地下商店街。商店街は数知れずあれど、地下にそれを構えるのはとても稀で、寒暖差の大きいヒッサだからこそ作られたと言っても過言ではない。地上に比べて温度変化はなく、天候の影響も受けにくく、この州の者にとっては快適に過ごせる場所であった。
それもこの数年は、いつ水が入り込んでくるかと戦々恐々としながらも、可能な限り日常を崩したくない人々が集う憩いの場所となっていた。
食料品においては、生ものは最早殆ど出回ることはなくなったが、保存食のようなものを買う事しか出来なくとも、家に籠っているよりは他人と顔を合わせたいと女たちは用事もないのにここに来るようになった。
いつ降るかも分からぬ雨に備え、天気が悪くなくても外套を着て出掛ける習慣が皆に付き始めたここでは、時折上から漏れてぽつりと垂れて来る水に濡れたくないとフードを被る者も少なくない。
だからその中に、見慣れぬ者が紛れ込んでいたとしてもすぐには気が付きようがない。
商店街の隅、どこでも見受けられる女たちの井戸端会議。
「飯桐、顔色悪いんじゃない?」
「それがさ……信じられないかもしれないんだけど……」
その人物はすっとその輪の一番外側に紛れ込んで聞き耳を立てた。話に夢中な彼女たちは、それに気が付く事はない。飯桐が話終えた時には、えーっと小さく叫ぶ者や、唾を飲み込む者もいた。すると。
「……実は、私も旦那にも子供にも言えないでいたんだけどさ……。正確な時間は分かんないんだけどね、薄暗くなってきたあたりかな。路地裏から女の人の咳込む声が聞こえてきたから、大丈夫かなってちょっと覗き込んだのよ。そうしたら別嬪なお姉さんが、こんこんと咳込んでいて、もしかして雨に打たれて風邪でもひいちゃったのかなあと思ってね。家が近かったから、今拭くもの持ってきますからねって声をかけたのよ。すごい小さい声で、ありがとうございますって返って来たから慌てて布持ってきて渡したら、お姉さんが顔を拭きながら、また小さくすみませんって。ほんとに声が小さくて、雨の音もあってかろうじて聞き取れるか聞き取れないかくらいだったんだよね。渡した布で口も覆ってたし。その時に……気付いちゃったんだよね」
皆どきどきしながらその話に聞き入っている。
「両耳の前くらいに、赤い傷みたいなのが見えてさ。それを見てるのが相手も分かったんだろうね。変ですか? って尋ねてきたのよ。女の人の顔に傷がついてるのをまじまじと見てしまって申し訳なくなってさ、とんでもない、お姉さん程の別嬪さん見た事ないですよって言ったら、また小さい声でぼそぼそって言ったのよ……」
ふいにその人が黙る。やや沈黙があって、女たちが顔を寄せる。
「これでもおおおおお!!!」
「きゃああああ」
女たちは一斉に腰を抜かした。
「ちょっと、まだオチじゃないよ!」
「あんたの大声が怖いわよ!」
「驚かさないでよ!」
「それくらい、いやそれ以上に私驚いたんだから! それまであんなに小さい声話してたお姉さんが、急に大声を出して、しかも、しかもよ! その口が耳の方まであったのよ! 傷だと思ってたのは唇の端だったんだから!」
きゃあきゃあと騒がしい女達を、商店街の店主や通りすがりの者達は怪訝そうに見ている。
「慌てて逃げたけど、家に帰ってから見間違えかなって、何度も何度も思ったんだけど、もう脳裏にこびり付いて全然寝れなくって! 飯桐もそうだよね?」
飯桐は色の悪い顔で何度も頷いた。
「ねえ、この雨といい、おかしな顔の人達といい、一体どうなっちゃったの?」
そこまで聞いて、聞き耳を立てていた人物は輪からすっと離れた。
――いけない。顔がにやついちゃう。
目深にフードを被り直し、緩む顔を隠しながらその場を後にした。
そんな井戸端での話が、至る所で行われていた。そして一体何処からだろうか。一連の不可解な現象が、伝説上の国、倭国を滅ぼしたとされる『妖怪』なる者たちの仕業であると囁かれ始めた。




