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むつのはな  作者: あみか
第三章
58/102

小雨の夜に〈二〉

 えーん、えーんと、何処からか子供の声が聞こえてきた。

 小雨が緩んできて、そろそろ降り終わるだろうかと思った矢先の事であった。

 こんな夜に、子供の声がするなど何があったのだろうか。


 山の麓から裾にかけてあった果樹園は根腐れを起こしつつある。夜倶ヤクは代々続くこの果樹園を守ろうと必死に雨に抵抗していたが、天候は一向によくならなかった。

 山崩れがあるから危ないとは分かってはいるものの、こうやって毎日木々を見回る事をやめられなかった。

 今日もいつもと変わらず、食べられるほどの実が付きそうもない樹木を眺めて、気が付けば辺りは真っ暗になっていた。

 イーリアス神に祈りを捧げても、神様も忙しいのか中々願いが聞き届けられることはなかった。このままではこの州は、水没か餓死の二択しか残されてはいない。州長が庫を解放してくれてはいるが、それもどうやら底をついてしまいそうだと、皆が噂しているのを聞いた。

 別州に逃げ出そうにも、どうやらここ数年で行き来に税がかけられるようになったらしく、日々食べるのもやっとの暮らしをする中ではそんな金は何処にもなかった。そもそも果樹園を捨てて、自分に出来る仕事などあるのだろうか。生まれてからずっと山とともに生きて来て、今更それ以外に出来る事など何もなかった。


 とぼとぼと山道を下っている時に、その泣き声は聞こえてきた。

 えーん、えーん。

 夜倶はきょろきょろと見渡すが、この暗がりでは子供を見付ける事は出来ない。自分の事はさて置き、山が崩れては大変だ。慌ててぬかるんだ地面を蹴って声のする方向へと走っていく。

 えーん、えーん。

 途切れ途切れに聞こえる声を頼りに、夜倶は転ばないように急いで近づいていく。

 口減らしだろうか。確かに困窮しているが、まだそんな事をするような時期ではない。かと言って子供を拾って養っていける程の余裕が夜倶にもある訳でもない。だとしても泣いている子供を見過ごせる程、冷徹にはまだなれなかった。


 ぐすっ。

 子供が泣き疲れてしまう前に、どうにかその姿を捉えることが出来た。その子は膝を抱えて座り込み、涙を手で拭っている。

「どうしたんだい?」

 夜倶は声をかけながらその子に近づいていった。

「えぐっ、えっ……」

 返事の代わりに泣き声が返ってきた。十くらいの子であろうか。口減らしにしては成長しすぎている気がする。山に捨てても、帰って来られそうな程大きい。

「何かあったのかな?」

 夜倶は少年の向かいにしゃがみ込んで優しく話しかける。両手で目をぐしぐしと拭きながら少年は答える。

「いぐっ、ひっ。め……」

「?」

「目がっ……ぐすっ」

「目がどうかしたのかい?」

 毒虫にでも刺されてしまったのか、転んだときに枝でも刺さってしまったのか、兎に角一大事だ。麓に医者はいるにはいるが、眼病に詳しいかどうか定かではない。まずは応急処置をしなければと、顔を覆っている少年の両手首を抑え、目の症状を確認する。

「ごめんよ、とりあえずどんな状態か……」

 少年の顔から手を離せば、ぎょろりとした大きな大きな目が、そこにはあった。そのたった一つしかない目は、少年の顔の半分近くもあり、くるくると眼球が動き回っている。

「ひっ!!」

 夜倶は驚いて両手を放し泥の中に尻もちをついた。少年はすっくと立ち上がった。

「あははははははははははははははははははははははははははは」

 少年は笑いながら、暗がりの山の中へと駆けて行った。


 山中に木霊する無機質な笑い声が、夜倶を長い間(さいな)めた。

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