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むつのはな  作者: あみか
第三章
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人質

「さて、これはこれは……虫の息とはこの事か」

「その子を放して!!」

「それは、君の返答次第かな」

「卑怯者!」

「何とでも罵ってくれて構わない。私は君の力が欲しい。そして、君はこの子を放して欲しい。答えは一つだろう」

 相変わらず、何の音かは分からない轟轟という音が遠くから聞こえる。

 陸奥にはもう、選択肢は残されていなかった。

「何を……すればいいの」

 がっくりと項垂れて、辛うじてその言葉を振り絞った。

「ご助力感謝する」

 陸奥は顔を上げ、男をキッと睨みつけた。

「人を傷付けることは出来ないからね! そんな事するくらいならいっそ……!」

 全部言い終わる前に、男は陸奥にすっと手を翳した。

「何、女子おなごにそんな残酷な真似をさせるような事はない」

 本当だろうか。信用は出来ないが、今は言いなりになるしかない。味方がいない状況ではどうする事もできない。煉は、この男側なのだ。

「そう恐い顔をするもんじゃあない。協力さえしてくれれば、この妖怪は返そう」

「……まずは、この腕をほどいてよ」

「これは失礼。物を頼む態度ではなかったな」

 いちいち物言いが癇に障る。道を取り戻したら、一回殴ってやると、陸奥はそう心に決めた。


 手が自由になった陸奥とお面の男は、道を煉を伴って建屋を後にした。

 陸奥がいたあの部屋は地下だったようで、連れられて階段を上り、塞がれた天井を開けるとそこはもう外であった。地上からは、建物の形跡は感じられない。地下に、空間が広がっているなど気付かせないようにしているのだろうか。鬱蒼と木々が多い茂っており、ここが何処なのか皆目見当もつかない。ただ、空はどんよりと重く、今にも泣き出しそうであった。雨の匂いが充満している。湿度も高く、空気が肌に張り付いてくるようだ。

 男が歩き出したため、陸奥は急いで追いかけた。

 一体、ここは何処なのだろう。


 男に付いて歩くうちに、ここが山か丘の上だという事が分かった。道が下る方に傾斜している。歩きにくそうな格好ではあるが、男は器用に獣道を掻き分けて進んで行く。陸奥は動かなくなった煉を背負っているが、ほたる同様、とても軽く苦にはならなかった。

 少し下ると、以前見たような鳥居が立っていた。それはヒッサで見たような鮮やかな朱色ではなく、木そのままを鳥居の形に組んだような地味な物だった。この鬱蒼とした森の中では、木の一本として認識して見落としてしまいそうなほど同化している。

「う……」

 首元で、煉が唸った。

 札を剥がされても、一向に回復しなかった煉だが、あの建屋を出たからだろうか。少しずつ力が戻ってきているようだった。これなら道も少しはよくなっているだろう。まだ予断は許さないが、ひとまず安心できる。

「……降ろせ」

 意識が戻った煉が、消え入りそうな声で呟く。

「何?」

「降ろせよ」

「いいよ、歩けないでしょ?」

 強がっているのが明白だ。こんな状態では、降ろしたとしても立つのもやっとだろう。

「人間の手なんざ借りたくねえ……」

 陸奥はぱっと手を放す。どさっと音を立てて煉が地面に落ちた。

「てめえ……放すなら、放すって言えよ」

 虚を突かれて思い切り尻もちをついた煉は、文句を言いながら立ち上がろうとするが、うまく足に力が入らないのか、やはり立ち上がる事ができない。陸奥はただそれを黙って見ている。

「人間が……! どうせ俺らの事見下してるんだろう! しかもお前は、俺らの力を操れるからって、いい気になってんだろ!」

 自分では、どんなに足掻いても強くなれないのに、こんな人間の女一人によって、自分でも知らなかった力を無理矢理引き出される。こんな屈辱的な事があるだろうか。

 主様も、何でこんなお面で素顔も晒さないようなやつと手を組んだのだろう。結局、妖怪は人間がいないと生きてはいけないのだろうか。それなのに、人間は自分たちの事を忘れている。すぐそこにいるのに、視界に入っていない。入っていない事さえ気付いていない。人間の方が非力なはずなのに、対等ではない。それが、本当に悔しい。

 急に煉の体が持ち上がる。陸奥が煉の肩の下に体を入れて持ち上げたのだ。

「おい!」

「人間は気に食わないかもしれないけど、今はそういう状態じゃないでしょ。困った時は、お互い様ってやつだと思うな」

「はあ?」

「……さっき、首を絞められた時、あなたの力を借りた。きっといなかったら殺されてた。だから、そのお礼」

 そんな事を言ったら、ここまで拉致してきたのは煉だ。煉がいなければ、殺されるような目に合う事もなかったのだが。そもそも煉だって陸奥を傷付けようとしていた。

「細かい事はいいんだよ。持ちつ持たれつ、それでいいんじゃない。兎に角、無料タダで貸してあげるんだから、有難く使ってよ。ね」

 言っている意味は分からないが、自分で歩けないのは事実だ。腑に落ちないが、お礼で肩を使えるのであれば、まあ使ってやらない事もない。煉は不承不承陸奥の肩を借りて鳥居をくぐった。



 空気が、一変した。


 鳥居を抜ければ、さっきまで鬱蒼としていた森が嘘のように視界が開けた。陸奥は、小高い山の中腹に立っており、今はその景色を一望できる。眼前に広がるのは、遠くまで続く重く垂れさがった雲と、茶色く濁った濁流が、今にも堰を食い千切ってしまいそうな川。鳥居を通る前にはなかったが、今はその足元もぬかるんで、一歩進むにも重く纏わりつく。嵐の直前のような生暖かく湿った風が吹き荒れ、びゅうびゅうという風の音と、轟轟という水の音が入り混じっている。


 何だこれは。


 ここのところ、雨は少なかったはずだ。少なくとも、首都州の中心部ではそうだった。この間カグリで降った雨はあるが、少なくとも二か月は降っていなかった。

 芥は、サラスヴァ様が水を呼ぶ事で、水を得ていると言っていた。それなのに、ここではむしろ水が余っており、今にも決壊しそうだ。

 ここは陸奥の知っている場所ではない。こんな景色、見た事がない。こんな場所がある事さえ知らなかった。

 茫然と立ち尽くす陸奥に、煉は何を言えばいいのか分からない。ここに連れて来てしまったのは、紛れもない自分なのだから。

「ねえ。ここって……何処」

 陸奥は真っ直ぐに眼下を見下ろしたまま、ぽつりと尋ねた。

 川が怒り狂った獣のようだ。空想の獣が、あの厚く重い雲の中から飛び出して暴れているかのようにも見える。堰を食い千切った後は、容赦なく人里を食い散らかすであろう。

「ここは……」

 煉は言い淀んだ。陸奥は、ここが何処だと思っているのだろう。荒れ狂った大地を見て、何を思っているのだろう。こんな所に連れてきた煉を、どう思っているのだろう。

「ねえってば」

 煉は観念して、掠れた声で言った。


「ここは北東の州、ウトだ」

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