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むつのはな  作者: あみか
第三章
53/102

得体の知れぬ力

 一体何故こんな事になっているのだろう。陸奥は倒れたままピクリとも動かない煉に驚いた。煉の身体は文字通り今にも消え入りそうなのだ。床に突っ伏した彼の指先は透け、下の床の色が分かる程に薄くなっている。

「ねえ、ちょっと…!」

 陸奥は手が使えないので、膝で煉をこつんと小突くが、反応はない。一応まだ実体はあるようだ。男を見上げるが、面の奥の表情は分からない。

「何したの!? 仲間じゃないの?」

「仲間、と言うと語弊があるな。同盟だよ、同盟。それに、私は何もしてない」

「じゃあ何で……」

「そんな事を知ってどうする? それに早く噂の能力を使わねば、その狐男は消える(死ぬ)ぞ」

 陸奥は、平然と言ってのける男に愕然とする。何のための同盟だと言うのか。

「そんな事言われても……あなたがしたらいいじゃない」

 お面の男は返事をしなかった。

 昨日――本当に昨日かどうか分からない。まだ今日かもしれないし、一昨日かもしれない――は、たまたま蛍、烈、いさごとうまく波長が合ったが、敵対している(と思われる)妖怪の力を引き出す事など、果たして可能なのだろうか。

 陸奥は所々が透けている煉に目を落としたまま、黙り込んだ。

 お互い口を閉じたままだったが、男はするりと陸奥の方に手を伸ばし、なんと陸奥の首を絞め出した。

「……っ」

「早くその力を見せろ」

 ギリギリと指に力が込められて、反射的に涙が溢れた。

「生かしておいてやると言ったが、お前が見せぬというのなら用はない」

 この男は、本気だ。本気で息の根を止めようとしている。

 陸奥の手は後ろで縛られており、抵抗すら許されない。されるがままに喉仏を潰される。

 痛いというよりも、ただただ苦しいという感覚が脳内を駆け巡る。遠くの轟々という音も、陸奥の耳には入って来ない。

「何、そこの妖怪は同盟といえども私が嫌いだ。まあ、私もだがな。起こせば必ずや救ってくれるだろう」

 陸奥には言葉の意味を咀嚼できる程の余裕がもうなかった。


 駄目だ、もう。

 ここで死んだとしても、きっと誰も悲しむ人なんていないかもしれない。

 捨てた故郷は今は異国。

 過ぎる夏は、この国のそれよりもずっと短くて。


 ちりん。


 もう聞くことのない、風を知らせる鈴の音の幻が聴こえる。


 諦めが過ぎる中、先程までは気が付かなかった()()が目に入った。

 殆どが透明になり、床と区別がつかないまでに消え掛かったその身体。くったりと俯せに倒れ、もやのようで、風が吹けばそのまま吹き消されそうな命の灯火。


――道!!


 あんなところにいたとは。たまたま道すがら追い掛けて来てくれた。少しの力をと名前を与えただけなのに、そばにいてくれた。懸命に手助けをしてくれた。

 ぴょこぴょこと、その小さな身体を目一杯使って喜怒哀楽を表現するその様がとても愛らしく好きだった。


 駄目だ、自分のせいでこの子を殺すなんて、絶対に駄目だ。


 朦朧とする意識の中、それだけは脳裏に引っかかった。


 まだ死ねない。


 まだ。


――狐の妖怪。火を司る妖。


 倒れた煉の透けた指が、ゆっくりと色を取り戻す。


――煉の名を持つ者よ。


 それは心からの懇願。


――少しでいいから、力を貸して。


 煉の目がカッと開かれる。倒れたまま、顔の前で掌を握ったり広げたりする。先程までの気怠さが嘘のようだ。

「てんめえ……」

 むくりと起き上がった煉を見て、男は漸く陸奥から手を離す。

 陸奥は肩から地面に落ち、咳き込んだ。手を離されたものの、呼吸がままならない。地上にいるのに溺れている様だ。どうしたらよいのか分からないほどにただ苦しい。


 ぱちぱちぱち、と男は手を叩いた。

「素晴らしい! 想像以上だ! 本当にここまで回復するとは……信じられない」

 その声からは抑えきれぬ驚愕と喜びが感じられる。

「素晴らしいじゃねえ!」

 ボッと音を立て、煉の拳が炎で燃え上がる。部屋が一気に明るくなった。熱く赤く燃え上がるその炎は、小さくとも煉の怒りを代弁しているかのようだった。

 男は突然手を叩くのをやめた。

「待て……煉とか言ったか。何故、火が出せる?」

「何寝ぼけた事言ってんだよ。ていうか聞いてねえぞ! 何なんだよこの建物は! 入った途端にこんなにへろへろになるとかふざけんじゃねえ!」

「いちいち大声を出すんじゃない。大体君は自身の意思でここに来たんだろう?」

 煉は言葉に詰まる。心なしか、拳の炎が徐々に小さくなってきている。

「女。どんな術を使ったのか、教えて貰おうか。この結界の中で、この術式の中で、どうやってこの妖怪を、妖力が使えるまで回復させたのかを」

「結界……」

「そうだ。この中では妖怪は力を削がれ、徐々に存在を保てなくなり、やがて……消える」

 その言葉を聞いた時、煉の顔は青褪めた。だらりと下がった腕の、その拳の炎は、明らかに小さくなっている。

「これまでの実験では、この土地の妖怪であっても、真名解放してもその存在を保つのがやっとだった。力を使うなど、到底あり得なかった。なのに、どうしてこの妖怪は火を出せたのだろう」

 男は、鼻が当たる程に陸奥に顔を近付けた。

「その妖怪へ与える力は、真名解放よりも凄まじいという事か」

 ふっと部屋が暗くなる。煉から炎が消えたのだ。陸奥はごくりと生唾を飲んだ。

「何を企んでいる? その力を使って、妖怪どもを使役し、この国を支配でもしようというのか?」

 男は立ち上がった。先程から火を出そう懸命な煉であったが、どうやっても出ないようだ。そんな煉の前に立ち、男は懐から長方形の紙を取り出した。それは何の変哲もない、大きさで言えば陸奥の手首から肘までくらいの大きさの紙であった。そこには文字とも図形ともつかぬものが、墨で描かれている。

「*****」

 何を言ったのか、陸奥には全く聞き取れなかった。男は謎の言葉を唱えながら、その紙を煉に押し付けた。途端に煉の時が止まったかのように、微動だにしなくなった。陸奥は不審に思いながらも、その様子をただ見る事しか出来ない。

 次の瞬間、急に全身の力が抜けたように煉は崩れ落ちた。この部屋に来た時と同様に生気をなくし、所々透けている。あまりにも突然煉が、糸の切れた人形のように倒れたので、陸奥は驚きと恐怖を隠すことが出来ない。

「何を怯えているんだい? 恐ろしいのは私の方だよ。得体の知れぬ力を行使する君が、私は心底恐ろしい。このまま君を生かしておいては、人間のためにも、国のためにもならないなあ」

 そんな事はしない。そう言いたかったが、陸奥の声は喉から先まで出て来てはくれなかった。両手の自由を奪われ、どことも知れぬ薄暗い部屋に閉じ込められ、目の前で知っている者の力を一瞬で奪った男が、自分を殺したがっている。そんな状態で、どうやってまともに会話が出来るだろう。

「でも、君が私に協力してくれるのであれば、なんと頼もしい事だろう」

 男はさも愉快そうに、そんな提案をしてきた。

 協力、とは一体何をするのだろうか。妖怪を使って、人里を襲わせたりする事か。そんな悪事に協力する事など、果たして出来るだろうか。

 そんな陸奥の心を知ってか知らずか、男は再び先程の札を取り出した。

「さて、先程の君の視線の先が気になるなあ」

 男は、ゆっくりと部屋を歩き出した。その歩みを進める方向を見て、陸奥は驚愕し、そして絶望するしかなかった。


 男は、今にも事切れそうな道をゆっくりとその手で持ち上げ、恐らく恍惚の笑みを浮かべながら、陸奥を振り返った。

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