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むつのはな  作者: あみか
第二章
42/102

ユリハラにて〈前〉

 時は遡る。


 首都東方ユリハラの街。教会から聞こえる高い鐘の音が、夕暮れ時の街に響き渡る。

 西日が人々の影を長く伸ばし始め、市場は買い物客でごった返し、狭い路地ではすれ違うのもやっとなほどだ。市場の手前の小川の川縁では、老人が釣る気があるのか分からぬちゃちな竿から糸を垂らしている。時折ぽちゃと水面が跳ねるので、何かはいるらしいが、一向に釣れる気配はない。


「いやいや、平和だねえ」

 芥、もとい夜半は木で出来た小さな橋の欄干に両腕と顎を乗せて、さわさわと流れる川と老人をぼんやりと眺めていた。

「殿下、こんな所にいらっしゃったのですか。あまりうろつかないで下さい」

「少しくらいいいじゃないか、小姑よ。それに街中で殿下はよろしくないんじゃないのか?」

 にやにやしながら青鞣の方に目線だけ投げる。青鞣は、はあと小さな溜息をついた。

「何処かの国では、溜息をすると幸せが逃げると言うらしいよ」

「あなたのお側にいたらいくつあっても足りませんよ」

 まるで命のように幸せを語る青鞣に、夜半は大声で笑う。

 命とは、生きるとは幸せになることだと夜半は考えている。同列に語ってもよいのかもしれないと、夜半は笑いながらしみじみと思う。

「さ、行きますよ、『若様』」

 やたら強調して呼ぶ青鞣の後について、夜半は歩き出す。

 のんびりとした時間が流れているように感じるが、南州ヒッサでは、今こうしている間でも苦しむ民がいるということ。飢餓を経験した事のない夜半にその辛さは分からないが、想像を絶するものであろう事だけは分かる。


 王不在の今、最早議会は王宮のものではなく教会のものだ。その王になる真昼さえ何処かへと連れ去られた。第三王子である夜半の権限は、その辺の大夫たいふ(貴族・領主)よりも低いと言っても過言ではなかった。手を差し伸べたいと思っても、出来ることなどたかが知れている。議会に何か進言したとして、取り合ってもくれないのは目に見えている。

 そもそも教会はここ数年急激に議会で幅を利かせてきた。最初の頃こそ仮の統治者として、現状維持の姿勢を見せていた教会が、見る見るうちにあれやこれやと手を広げ始めた。税制まで変え始めたときには開いた口が塞がらなかった。高い志で統治しようとする者もいるだろうが、夜半の目に入って来る教会の者は殆どが私腹を肥やすのに忙しくしていた。

 真昼が姿を消した時、夜半はやっぱりと思った。真昼が王として立てば、議会での教会の発言権の縮小は明白だ。味を占めた彼らが簡単に議会を明け渡すなど到底思えなかった。よしんば真昼の即位を認めたとしても、権限がなくならないように制度を見直してからにするなど何かしら手を打ってくるのではないかと睨んでいたが、まさか拉致などという強硬手段に訴えるとは驚きだった。

 真昼も何か感じるところがあったのだろう。あれだけ大事に肌身は出さずつけていた勾玉を、ある日を境にぱったりと見せなくなった。いくら聞いても理由は教えて貰えなかったし、むしろ何かあったら勾玉をよろしくなどと冗談めかして言ってきたが、結局本当に忽然といなくなってしまった。

 そして恐ろしいのは教会側がこれを公表しなかったところだ。民は未だに真昼の即位式がもうすぐ行われると信じて疑わない。

 

 犯人は教会の関係者しかあり得ないと思っていたが、物語の中の存在と思っていた輩まで出てきてしまった。妖怪かれらが真昼の件に噛んでいるのかどうかは分からない。深く関わっているのかもしれないし、全く関係ないかもしれない。それでも、街を襲うと聞いて見過ごすわけにはいかなかった。王位継承権などないに等しいが、それでも王子としての自覚が全くない訳ではない。


 王宮から殆ど出たことのない夜半は、夕陽に照らされる街を、民を、匂いを、音を、色を、いつまでも眺めていたいと思った。


 突然ドンと肩が誰かにぶつかる。こんな人混みでは仕方がないが、夜半は謝ろうと相手の顔を見る。いや、それは見上げる、だった。

 夜半は決して背の低い方ではない。前を歩いている青鞣だって上背があるし、司馬に至っては群衆の中でも見付けられる程くらい頭ひとつ飛び出している。

 長身の者には見慣れていた夜半が驚く程に、その男は大きかった。巨躯とはまさにこの事か。四十手前くらいであろうか、白髪混じりの坊主に近い短髪の男は、謝罪する夜半の肩を無言でポンと叩いて去って行った。

 夜半と青鞣は 、驚嘆しながらその後ろ姿を暫く眺めていた。


「こすっつぁん、人混みだと目立つね」

「一人で佇んでても目立つんじゃない?」

「違いない!」

 キャハハと甲高い笑い声をあげる女。くるくると踊るように人混みをすり抜け、小さな橋の欄干に飛び乗る。彼女はふらつく事もなく欄干を渡り終え、軽やかに飛び降りた。

 このやたらと目立つ三人組は、主が派遣した妖怪たちだった。

 大柄なこすり、身軽なしち、そしてしろがね、この三人がここユリハラに派遣された面子である。

「るーるるーらーらららー」

 ぴょんぴょんと跳ねながら謎の節を口遊む。別に人間の街に来たから七のテンションが高い訳ではなく、生来の気質だ。そもそも七はよく人間の街へと赴く。銀も七程ではないが、人には馴染みがある。全く人と交わって来なかったのは、先程から一言も発しない、大きな男、摩だけであった。

 ユリハラはカグリ程大きな街ではないものの、摩は既に人混みにぐったりとしていた。山の中で畑を耕す事に精を出して生活していた摩は、人を掻き分けるのにもガヤガヤとした喧騒にも疲労させられるという事を初めて知った。


「そいでーこの街が襲われるまで待機すればいいのかね」

 七は葉っぱを口に咥えてぴゅんぴゅんと動かす。それで喋れるのだから器用なものだ。摩の方からはもう帰りたいという気配が漂ってくる。図体に似合わずこじんまりと薪割り台に座るが、それでもはみ出してしまい収まっていない。

 三人は街の中心から離れた人気の少ない宿に本拠地を構えた。本来であれば騒ぎが起きるであろう中心部に近い方が好ましいのであろうが、何分目立たざるを得なく、好奇の目に晒されるのを誰よりも摩が嫌がった。長丁場になるであろうから、ボロが出て自分たちが騒ぎの元になる可能性も十分にあったため、結局のところ街外れの宿を確保するに至った。

「いつ来るのか、本当に来るのかも分からないしね」

「しろっちそういうの向いてるじゃん」

「そうね」

 銀の、さらさらとした糸のような黒髪は、その顔を右半分覆っている。時折それを搔き上げる仕草が色っぽい。

「さっきの市場に蟋蟀コオロギの素揚げが売ってたんだけど、人間もああいうの食べるのねえ」

「栄養があれば何でもいいんじゃなーい? うちらと一緒で雑食なんだよ人間も」

「どちらにしろ皆生きるのに必死よね。若い子たちは今回の派遣にだいぶ難色示してたけど、うまくやってるのかしら」

「さーねー? ま、若いっていいよねー」

 銀は兎も角、七のこの発言を聞く者があれば違和感を感じたであろう。容姿も仕草も丸っ切り子供のそれだが、悠に五十は越えている。あの里においてこの年齢は現役の中では上の部類に入る。全く貫禄が出ないのが本人の悩みと言えば悩みだったが、基本的にそこまで気にはしていなかった。貫禄があろうがなかろうが、腹の足しにはならない。七の一族はほとんどが同様に気ままで楽観的なため、貫禄が必要な場面などこれまで遭遇しなかった。

「なるようになるさ。こすっつぁんも暫くは人間の街を満喫しなよ」

 摩は七の口元で動く草を見ながら、困ったように俯くしかなかった。


 彼らも、夜半も、まさかこの日のうちに襲撃に遭おうとは予想だにしていなかった。

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