想い
――わしらは人に思われ、畏れられ、頼られなければ生きてはいけぬのだ
――祈られれば、どうにかしてその想いに応えてやらねばならぬ、という衝動に駆られるのがわしらの性じゃ
――わしらは人に頼られ畏れられることで生きておる。誰かの想いが糧となる
何度も何度も主が口にした言葉。人間がその存在を認識し、想えばそれが彼らの糧となる摂理。それは想えば想う程に、彼らの力となる。永きに渡って眠りについていた道を、ただ一度きりの祈りで目を覚まさせるほどの力。それは目には見えなくとも、強烈な威力を持って烈の心と体を突き動かした。
烈は唐突に理解した。人間の想いが、妖怪の力になるのだという真偽の分からぬ言い伝え。主からは何度も聞いたことはあったが、心からそれを信じることは出来なかった。むしろ失われていく仲間たちを目の当たりにして、それはただ人間への憎しみを募らせるだけの話に過ぎなかった。
だが、今実際に起きている現象はなんだ。あの人間が、ただ自分の名を呼び、助けを乞うただけだというのに、この湧き上がる衝動と溢れる力は、一体何だというのか。
視線が外せない。あの人間の眼差しに、応えたいと思った。助けてやらねば。この、自分が。
その瞬間、もう動かないと思っていた足が、嘘のように動いた。陸奥に向かって飛んでくる火。今なら耐えられる。掻き消せる。あの巨大な劫火を上回る力を発揮することが出来る。何の根拠もなかったが、湧き出て来るこの力を感じる度に、それは確固たる自信となって烈の中に溶け込んでいった。
考えるよりも先に、体が動いていた。陸奥を庇って、巨大な劫火を一身に浴びた。その威力たるや凄まじく、爆炎が大きな音を立てて何度も爆ぜた。背中に衝撃が幾度となく走る。熱さと音を感じて、クラクラとするようだった。砂埃が舞って、火花が辺りに飛び散る。ひどく耳鳴りがした。
それでも、平気だと思えた。今自分が庇っているこの非力な人間を守れると思えた。今のこの力があれば、なんだって出来る。
煉はもう立たないだろうと思っていた烈が急に立ち上がり、人間を庇ったのが信じられなかった。あんなに憎い人間を守るために限界を迎えた体に鞭打ち庇うなど、到底信じられない。何処にそんな力が残っていたのか。何故庇おうなどと思ったのか。
生まれは違えど、同じ狐族の妖怪。あの人間には同族を襲うなんてやり過ぎと言われたが、本心は煉だってそんな事はしたくない。それでも、自分たちには大義があって、もう背に腹は代えられぬ状況まで追い詰められていた。自分たちの仲間を守るためだったら、何だって出来る。例えそれが、同族を殺す事だとしても。
少し力を使いすぎた。煉は軽い眩暈に襲われる。この力は無尽蔵ではない。だが、今の威力であれば烈諸共あの人間も焼き尽くしただろう。太知は無事だろうか。椿は、生きているだろうか。仲間の事だけが心配で仕方がなかった。
太知の加勢に行こうと歩き始めたとき、背中にかつてない痛みを感じた。
「かはっ」
煉はよろめいたが、辛うじて倒れはしなかった。後ろを振り返れば、烈と、ほぼ無傷の人間が立っていた。
――何故。
今のを浴びて、何故生きているのか。何故無傷なのか。あの人間が駆け付けてから、何が変わったというのか。烈の火力が、先程までとは段違いに上がっているのは、何故。
煉の中にいくつもの疑問が浮かぶ。それでも答えは分からない。背中に火傷が出来たのだろう。じんじんとした痛みの波を感じる。
煉は知らなかった。煉は、というよりも、大半の妖怪はと言った方が事実に近い。妖怪は人に認識され、畏れられることで力を得られるものとだけ思い込んでいた。頼られたり祈られたりすることでも力を得られると、知っている者は殆どいない。だからこそ、陸奥が死にかけていた烈に対し畏怖を抱いたとは考えられなかった。しかも、畏怖と言っても複数の人間がいて漸く力を手に入れることができる。そういう認識を、煉は持っていた。
それは正しくもあり、間違いでもあった。
通常妖怪に祈りを捧げたり助けを乞うことなどあり得ない。そして畏怖があったとしても、人々の心の中にはそれを緩和する絶大な支えがあった。だからこそ、一人の人間の恐れなど、妖怪にとっては微々たるものでしかなかった。
イーリアス神。
絶対神であるその開闢の祖は、全ての人々の心の中に存在し、他の何者をも信仰する隙を与えない。祈るのも救うのも、この国の人々にとってイーリアス神しか存在しなかった。心から恐ろしいと思ったとしても、深層心理でイーリアスに救いを求めてしまう。それ程根強く信仰してしまっているこの国の人間からは、束にならねば妖怪に力を与えられるほどの想いを集めることが出来なかった。
だが、陸奥は違う。陸奥はこの国の生まれではなく、信仰する神などもたない。敢えて言うなれば、万物のもの八百万に祈りと感謝を捧げる民族の出であった。だからこそ、何の偏執もなくその想いは直接烈に響いた。
勿論、煉にはそんなことを知る由もない。
煉は生まれて初めて人間に恐怖を感じた。恐れを感じさせなければならない対象に、恐れを感じてしまうなどあり得ない。なんの力もなく、燃やせばいとも簡単に燃えてしまう人間が、今はとても恐ろしい。一体何をしたというのか。
烈が、一歩近づいた。煉は耐えられずにその場から走り去るが、烈はそれを追わなかった。力は溢れているが、身体の方はもうぼろぼろだ。太知の加勢に行った訳ではあるまい。あの様子では恐らく太知に撤退を進言するだろう。
「すまん、助かった」
太知と同じように、人間を忌み嫌っていた烈から、思いがけない言葉が出てきた。陸奥は驚いて目をぱちくりさせる。
「何だよ」
「あ、ううん。こちらこそありがとう」
意外と話せばいい人かもしれない、と陸奥は思った。
「砂の方に行ってやってくれないか」
「うん」
言われなくてもそのつもりだった。本当は烈自身が加勢に行きたいと思っていたが、もしかしたら足手纏いになる可能性がある。だったら陸奥に行かせた方が余程よい。
烈はその場に座り込む。疲労感がひどい。
走っていく陸奥の背中を見ながら、烈は先程の出来事を反芻し、人間への考えを改め始めていた。




