火と火
蛍はがっくりと膝をついた。体が、異常に重い。ひどく眩暈がする。頭がガンガンと割れるように痛い。
吐きそう……。
今までに感じたことのない倦怠感が蛍の体を襲う。両手を地面につき、気持ち悪そうに項垂れる。いつの間にかその姿は元に戻っていた。
主に言われ桶に水を汲んで戻ってきた陸奥が、その姿を見て慌てて声をかける。だが、耳に入っていない様で応答がない。陸奥はとりあえず椿にばしゃりと水をかけて消火する。じゅう、と盛大な音を立てて煙が湧いた。
「蛍……しっかり」
心配そうに蛍を見るが、全く視界に入っていない。その目は虚ろに地面を見つめるだけだった。主が近くにあった家の縁側に蛍を寝かすように指示する。陸奥は蛍を抱え上げ、優しく木の板の上へと寝かせた。その身体は、人間の物よりもずっと軽かった。
「初めてやったことじゃ。そもそも負担のかかる事、力加減が分からぬのも仕方ない」
今は寝かせておくしか出来ることがないと主は言った。陸奥は蛍の黄色がかった柔らかい髪――毛並みと言った方が正しいのだろうか――を撫でた。
「娘。今のうちに鳥居に向かう。外に出た方がよいじゃろう」
陸奥はそれを断った。
「さっき椿が勾玉を欲するような事を口にしていた。あれを持っているのは芥です」
「何」
主は明らかに驚いたようだった。そして暫く考え込むような仕草をする。
何処からかピーヒョロロと鳶の高い声が聞こえた。
「やはりここから離れた方がよかろ。ぬしが巻き込まれることはない」
「巻き込んだのはこちらです」
人間の街に妖怪を派遣し、もぬけの殻となったのもこちらのせい。芥が勾玉を盗んだのも、人間側のせいだ。
「取引じゃからな。まさかこんな事態になるとは思わなんだが、致し方なし。気にするな」
「今は持っていない旨を伝えれば彼らとて引くのでは」
主はゆっくりと首を振った。
「わしらは妖怪に反旗を翻したようなものじゃ。今更許してなどくれぬだろう」
そんなこと……。と言いかけて、太知の憎しみに染まった表情を思い出した。確かに、そうかもしれない。けれども。
「主は蛍をお願いしますね。道!」
胸元からぴょこりと道が顔を出す。
「烈と砂の所へ!」
こくりと道が頷き、指差す方向へ陸奥は走り出す。
「娘!」
陸奥は振り返らずに全力で向かう。きっと自分にも出来ることがある。先程の蛍の戦いを見て、陸奥はそう確信していた。
延焼から起こる煙と、土煙であたりはひどく煙くなっていた。陸奥は目を凝らし、戦況を伺う。恐らく力は五分五分。まだ決着はついていないはずだ。この煙の中、何処にいるのか。
音が聞こえて、そろりとそちらの方へと向かう。烈か、砂か。気が付かれぬように、巻き込まれぬように、ゆっくりと近づいていく。
そして陸奥は戦況が変わっていることを知った。五分五分だと思っていたのだが、明らかに勝負が決する寸前だった。烈が片足をついており、その身はボロボロになっているのに対し、煉の方はほぼ無傷であった。
「弱っちいな。弱っちいよお前」
煉が楽しそうに見下している。烈は無言で睨み返す。だいぶ息が上がっているようだった。
自分に有利な土地だというのに、なんという体たらくか。
烈は己の不甲斐なさを思い知った。幼い頃に見た狐族の大人たちとは、明らかに実力が違いすぎる。失われる妖怪の力。本当にそうなのか。ただ自分が弱いだけではないのか。
「お前に恨みはないけど……さよならだ」
煉は高々と腕を天に突き上げる。その手の先には、大きな大きな火の玉が、轟轟と渦巻きながら燃えている。あれをまともに喰らえば、ただでは済まないだろう。
何故こいつはこんなに強いのか。何故自分はこんなに弱いのか。悔しさだけが募る。
「待って!」
陸奥は慌てて飛び出した。このままでは烈が死んでしまう。
「お前……!」
「人間!」
煉と烈はそれぞれ驚く。
「椿はどうした!?」
煉が顔を引きつらせながら叫ぶ。
この人間を追っていったはずだ。あの椿を簡単に巻けるとも思えなかった。
「あの人は蛍がやっつけたよ」
「蛍が……?」
驚いたのは煉ではなく烈の方だった。
あの弱気で内気な蛍がそんなことが出来るとは思えなかった。それでもそれが事実だとしたら、こんなにうれしいことはない。
「次に痛い目をみるのは、あなた」
陸奥は烈を指差す。胸元の道も、真似して同じ格好をした。
「人間を恨むのは個人の勝手だけど、それで同族を襲うなんて、ちょっとやり過ぎだと思う」
「なんだと!」
勝手にしゃしゃり出てきて、急に強気になった陸奥を烈は不審に思う。先程まで逃げ隠れしていたのにも関わらず、今度は一転強気の姿勢だ。しかもこの人間が椿を倒したわけではなく、蛍が倒したというのだから、何故こんなにも自信があるのか分からない。
「お前からくたばれ!」
短気な性格なのか、煉は烈のためにこしらえた火の玉を陸奥にぶつけようと構える。戦いに興じる中で、煉の頭の中からはすっかり勾玉の事など抜け落ちていた。
「お前、逃げろ!」
妖怪や魔法使いならまだしも、只人であるこの人間があの火球を喰らって生きていられるはずもない。烈は逃げるように叫んだが、陸奥は静かにその眼差しを烈に向けた。
「烈」
人間が、自分の名前を口にする。火の玉には目もくれず、ただ烈を真っ直ぐに見つめる。
「――助けて」
そう言われた途端に、烈の中で何かが動いた。




