道
「昨日はすまなかったの。よく眠れたか?」
「まあ、はい」
朝餉がすんだ後、主から約束通り呼び出され、昨日の広間へと来た芥と陸奥。はいと答えながらも二人は欠伸をかみ殺した。主は苦笑し、そして「おや」と何かに気が付いた。
「娘、胸元のあたりに不思議な気配を持っておるな」
陸奥は思わず胸元を手で押さえた。今日も昨日拾ったあの子を胸元に入れて連れてきた。目は見えずとも気配は感じ取れるらしい。
「ここの里の者ではないな。どこぞで拾ったのかえ」
「え?」
陸奥は胸元から手へとその子を移す。身振り手振りで何か伝えようとしているが、さっぱり分からない。
「それは恐らく道祖神のなれの果てじゃな。遥か昔に忘れられ、力を失っていたのだろう」
「道祖神の……なれの果て?」
手のひらの上で、彼(彼女?)はコクコクと頷いた。
「昨日も言ったが、わしらは人に頼られ畏れられることで生きておる。誰かの想いが糧となるのじゃ。何処かで、旅の安全でも願ったのではないか?」
「あ……」
言われてみれば、カグリを出た後、林の中で見付けたあの石碑。確かに旅が無事に終わるようにと祈った。まさかあそこからずっと付いてきたというのか。
主曰く、道祖神は道々で旅人の安全を見守る者として、そして境界の守り人として祀られる者らしい。今はその力は殆ど失われ、陸奥が祈ったことで眠りから覚めた状態なのではないか、ということだった。もし、もっとたくさんの願いが集まれば、話せるようにもなるかもしれないと主は言った。
「芥も、お祈りしてくれない?」
「残念ながらイーリアス神以外には祈れないよ。かと言って可愛すぎて畏れるのも難しそうだ」
宗教というのは不思議なものだ。いつの間にかその人の心に根付いている。それはその人を導くものであり、そしてまたその人そのものでもある。他人に口を出す権利などはありはしない。
陸奥は残念に思いつつ、素直に芥の言い分を受け入れた。
「ぬしが名を付けてやればよい。名はその本質を示すものじゃ。ぬしが呼びたいように呼んでやればよい」
「名前……」
道祖神。旅の安全を見守り、そして境界を守るもの。でもこの子は、昨日道を指し示してくれた。見守るだけではなく、標を示す者。
「……道、で、どうかな?」
それを聞いた小さな道祖神は、ぴょこぴょこと跳ねる。少なくとも嫌ではないようだ。陸奥は人差し指の腹で、その小さな頭を撫でる。
「よろしくね、道」
道は表情こそわからなかったが、気持ちよさそうに撫でられていた。
「さて、昨日の話じゃが」
そう切り出されて陸奥は慌てて道を胸元へとしまい、姿勢を正す。
「カグリの街、と言ったか。確認したがひどい有様のようじゃな」
「昨日の今日でもう確認したのかい? 妖怪ってのは本当に何でもできるな。まるで『魔法』だね」
芥は感心しているのか呆れているのか分からない様子で返答する。
「それで?」
「妖怪の仕業と見てまず間違いあるまい。妖怪は人がいるところにはどこにでもおる。まあ、最近はそうでもないが……。どこの者かは分からぬが、狐の種族の者がやった可能性が高い」
――種族はどちら?
――人間の方とお話しするのは久しぶりだわ。
ふと、牢の中の、あの人の好い笑顔が浮かぶ。忘れられるものか。あの冷たい石壁の中で、あの人は今もただ座っているのだろうか。
「陸奥?」
「あ、ああ、ごめん」
「寝不足なんじゃないの?」
悪い顔でこちらをのぞき込む芥をねめつけつつ、続けてください、と主に伝える。
「わしらは、街の中や山の中、人には見えぬが至る所で集落を形成しておって、その集落の中には様々な妖怪が一緒に暮らして居る。各種族にはそれぞれ族長がおり、その中から集落の長が選ばれる。たまたま今代は、狐の族長であるわしが、この里を仕切っておる。が、わしの前は天狗の一族じゃったし、特にどこの一族が長をやるかは決まっておらん」
陸奥は置かれていたお茶をすする。不思議な香りのするお茶だ。どこか爽やかで、どこかほっとする。重たそうな話を聞くにはちょうどよい。
「狐の特徴は、この茶色の毛と、火を操ることじゃ。故にその街を襲った犯人は狐の者で間違いなかろう。そしてその目的じゃが、恐らく……」
「人間に、その存在を知らしめること、かな?」
ぽつり、と芥が呟いた。
「……そう、その線が濃厚じゃ。くどいようじゃが、我々は人に思われることでしか生きることができぬ。長い年月の中で忘れられ消えていくのに耐えられず、ついに暴挙に出たところがあったとしてもおかしくはない。形振り構わぬ者は恐ろしい。そのためであれば容赦なく命を奪うであろう」
昨日と違って開け放たれたままの戸。庭から風が吹き込んでくる。その心地よさも、陽の光も、全てが明るく地上に降り注いでいると言うのに、心だけがずしりと重い。
カグリでの、泣き叫ぶ声や怒鳴り声、そしてあの物が焼けこげる匂い。思い出しただけで息が詰まる。
あいつらが、また何処かを襲うとしたら、死者が出るのは時間の問題だ。
芥がすすっていた茶を、受け皿にコトン、と置いた。
「何よりも恐れるべきは、これに乗じるやつらが出てもおかしくはないというところか」
事態は、陸奥が思っているよりも、ずっとずっと深刻なようだ。




