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むつのはな  作者: あみか
第二章
26/102

ヒッサにて

 清らかな水の上に、ゆらゆらと小舟が揺蕩う。運河が街の隅々まで行き渡り、中心広場の美しい噴水が目を引くヒッサの州都メイキ。そこかしこに流れる水が、キラキラと太陽を反射し、街全体が輝いて見える。夏盛りには、噴水にこどもたちが歓声を上げながら浸かったり水をかけたりし、あるときは恋人たちの待ち合わせ場所になったり、噴水は街の民の生活と共にあり、誇りであり、シンボルだった。人だけではない。同じ広場内に建つイーリアス像の肩には、水を求めてやってくる小鳥たちが、羽を休めるためにとまっている。

 そしてメイキ郊外、緑が広がる地域では、小川にかかった水車小屋があちこちに見受けられた。小屋の中からは様々な音が聞こえて来る。それは粉を挽いたり布帛ふはくを織ったり、この街にとって水車は生活にかかせないものとなっていた。

 街では近代的で美しい景色が、郊外では牧歌的で明媚な眺めが広がっている――はずだった。


「これはこれは……」

「ひどい……」

 主人を探す青鞣せいとう司馬しばは、美しいと噂に名高いヒッサ州都に初めて足を踏み入れた。眼前に広がる街は、聞いていた話とは全く真逆の様相を呈している。足元にある運河は涸れ、湿っただけの溝が街を蝕む様に伸びているだけだった。水の流れを失ったその道は、とてもではないが美しいとは形容できず、むしろ不快な匂いすら感じるほどだった。その目的を失った噴水は、広い広場の真ん中でただただ沈黙を続けている。周囲に立ち並ぶ家や店の窓は固く閉ざされ、人の気配が感じられない。

 死んだ街。

 そんな言葉が二人の頭を過る。

「首都も最近は水不足が話題に上りますけど、ここはなんというか……」

「壊滅的、ですね……」

 言葉を失い、口数も少なく二人は教会へと向かう。馬の足音だけが、街に響く音だった。


「王宮より参った者です。どなたかいらっしゃいませんか!」

 がらんと広い教会内に、青鞣の声が幾重にも響き渡る。何の反応もない。シン、という音が返ってくるようだった。

「不在……なんですかね?」

「全員で払っている、ということはないでしょう。勝手に入らせていただきましょうかね」

 青鞣が神経質なのか大胆なのか、時々分からなくなる。

 教会はどこも似たような造りとなっているため、目ぼしい場所は大体分かる。手前の会議室から順に中に入って確認するが、なかなか人に出会うことが出来ない。

 漸く礼拝堂で見付けたのは、イーリアス神に祈りを捧げる数人の後ろ姿だった。


「お祈り中失礼いたします。王宮より参りました」

 青鞣が後ろ姿に話しかける。すぐに反応はなかったが、やがて一人がゆっくりと振り返る。祈りが終わったのだろうか。

 だが、振り向いた顔を見て二人は驚いた。その頬はこけ、顔に生気が感じられない。まるで病人のようだ。

「気付かずに申し訳ありません。私はここの神官長でございます。して王宮の方が何用でございますか?」

「お尋ねしたいことがございます」

「そうですか……。神の御前では何ですので、部屋へ行きましょうか」

 神官長は聞きたいことなど分かっているというように、突然首都からやってきた来訪者を淡々と受け入れた。神官長のその衣の隙間から見える手は細く、今にも折れてしまいそうだ。青鞣は眉一つ動かすことはなく平静を装っていたが、その痛々しさに司馬は表情を抑えることができず、顔を背けるばかりであった。


「雨が、降らなくなったのです」

 二人を小さな部屋に招き入れ、対面に座らせた後、神官長は質問を待たずに話し始めた。

「それまでは豊富な雨量と、州境の山から湧き出て来る水が、ヒッサの資源でした。前王が崩御された後、ヒッサは首都との交易を事実上断ちました。そしてその頃から少しずつ、ですが確実に、雨量は少なくなっていったのです。最初の頃は、たまたまそういう年なのだろうと思っておりました。ですが異常事態に気が付いた時には、州はだいぶ疲弊しておりました。そして、食物の輸入を首都に頼るかどうかで議会は荒れに荒れました。こちらから断交しておきながら、困った時だけ頼るのは、虫が良すぎるのではないか、と。いよいよ背に腹は代えられぬと首都に嘆願書を何通も何通も出しましたが、梨の礫でございました。我々は国から、王宮、議会から、神から見放されたのだと思います。そもそも全ての州境に山がそびえ立つこの州では、大量の荷を運ぶことが難しく、運び入れた荷も、山の麓の街で殆どが消費されてしまい、州都まで水や食べ物が届かないのです。草木は枯れ、家畜も息絶え、今雨が降ったとしても、それが実りになるまでに、どれくらい待てばよいのでしょうか。首都よりも南の街や里では、多くの人たちが命を落としていると伺っております」

「お待ちください。州議会は、死人が出ているのに何もしなかったのですか?」

「勿論そういう訳ではございません」

 神官長は力なく首を横に振った。

「書簡の返事がなかったことから、首都には使者を派遣しました。ですがことごとく、使者も戻って来なかったのです。何故なのかは分かりません。恐らく民衆も、境を越えようと試みたとは思うのですが……」

 二人は顔を見合わせる。境の山は確かに平坦な道とは言い難かったが、それでも二、三日もあれば越えられるような山であった。

「我々が越えたときには、土砂崩れなどはなく、何も問題はありませんでしたが」

「そうですか……。使者が無事に山を越えられて向こう側で何かあったのか、山で何かあったのか知る由もありません。水不足は我々から容赦なく体力も気力も奪って行きます。この体では、最早あの山すら、いえ、山の麓にさえ辿り着くことは困難でしょう」

 その声にすら覇気はなく、絞り出すようであった。

 青鞣と司馬は王宮のはみ出し者であっても、それなりに情報は耳に入る。それでも、ヒッサのこの危機的な状況は全く聞こえてこなかった。つまり、書簡を携えた者、使者、民、その全てが消えていることになる。

「お願いでございます。どうか、どうか民を、州を、お救いください」

 震える声で神官長は懇願した。涸れ果てたはずの涙が一粒だけ目尻に浮かび、そしてすぐに消えた。

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