恋慕
それからは兎に角川に沿って海湖へと向かう行程が続いた。
子歌はどうにか芥と同じ馬に乗ろうと画策したが、その度に保逵に窘められていた。そうして決まって必ず芥に慰められに行くのだった。
結局は芥と陸奥、保逵と子歌の組み合わせになるのだが――蛍と烈は荷の中なので同乗していると言えばしている――子歌にはそれがどうしても気に入らなかったようだ。
「司馬さん」
そう呼ばれても、陸奥は即座に反応できなかった。今は陸奥が司馬なのだ。
「な、何?」
川沿いの集落での休憩中に、子歌の方から話しかけてきた。思い返せば面と向かって会話するのは初めてかもしれない。
陸奥はぼろが出るのではないかと少し緊張する。
「司馬さんって、青鞣様のただの護衛?」
「!」
もうばれたのかと思い、陸奥は思わず身を固くした。
「どういう……?」
「にぶいのか、わざとなの? だって青鞣様ってどんなにアピールしても全然なびかないんだもの。いい人がいるとしか思えない。それって、あなたなの?」
少し苛立ちながら子歌が問い詰めて来たので、陸奥は思わずむせてしまった。
慌てて子歌の誤解を解こうと手を振る。
「ない、ないですよ!」
「だとしたら、都に待ち人でもいるの?」
この問いは陸奥に答える事は出来なかった。
「聞いた事はないですけど――でも、あの人は」
陸奥が言いかけたところで子歌はそれを制した。
「分かってるけど、前例がない訳ではないでしょう?」
爵位ある者との恋は、言わば民の憧れだ。地位と名誉と金銭に恵まれた爵夫と結婚する事は夢のような話であり、しばしば物語として描かれる。その内容は様々だったが、今も昔も、その本筋に大差はない。
だが、大夫以下はなんの制約もないが、爵夫にはしがらみがあった。国や州の中枢として仕える彼らは、民には洩らせぬ秘密を握る事も少なくない。だからこそ、国は位のある者同士の結婚を推奨している。
推奨と言えば聞こえはいいが、実際はその逆。なんの位もない者と結婚するにはそれなりにペナルティを課せられる。
それを被ってもなお、好いた者と結婚する者がいない訳でもなかったし、それがまた真実の愛だと民の心を動かし、劇や物語へと語り継がれていく。女であれば一度は爵夫に見初められて王宮へと召し上げられる日を夢見るものだ。
爵夫には女性もいるのだが、あまり逆は聞かないのが男女の考え方の差であろう。
「司馬さんには、協力して欲しいの」
ずい、と身を寄せられて、陸奥は反射的に一歩下がる。
「同じ女性同士、旅は辛いですけど頑張りましょうね!」
そう言って子歌は身を翻して行ってしまった。
完全に断る機を逃したと陸奥はげんなりとした。
子歌は、一体いつ芥に惚れたのであろうか。それとも、芥が“爵夫”であるから好きなのだろうか。
芥は鋭い。もし子歌が位のある者として芥に恋慕しているのであれば、それは彼の察するところとなるだろう。
「私たちも戻ろっか」
傍から見ればそれは彼女の独り言だったが、その胸元ではこくりと頷く者がいた。
子歌の恋がうまく行こうが行くまいが、陸奥はそれほど関心を持てなかった。
それから数日かけて川を下り、人々に聞き込みを続け、一つ目の海湖の畔まで辿り着いた。
これまでの話と川の様子から見て、思った程の被害はなく、一行はやや拍子抜けした。
「川の水位も別に多くないし、濁りもそれ程でもない。この河川の区域ではそんなに雨は降ってないみたいだね」
「降水量も去年一昨年程じゃないって話ばっかりだったし、ここの海湖上流は問題ない。堤も強化する必要はそれ程ないだろう」
「それ程?」
「全く、と断言できる奴は技術者じゃないと思ってるけど」
「保逵はいい技術者だね」
「どーも」
そんな芥と保逵の馴れ合いを見つつ、正直陸奥は安堵した。最初に見たイモンが割と緊迫した状況だったので、ウトの多くがあのような状況に追い込まれているのではないかと危惧していたが、やはり地域差があるようだ。
陸奥の背の荷袋から蛍が顔だけ出して、川の様子を静かに見守っている。
烈と蛍は、里から遠く離れたこの地では人型でいるよりもこちらの姿の方が楽らしく、狐の姿でいる事が多かった。
雨が降っていないという事は、攫われた者達が降雨を強いられていないと見て喜ぶべきなのか、それともなにかしら酷い目にあって雨を降らせる事が出来なくなっているのか。二人にとってはこの状況は手放しに喜んでいいものではない。
不安そうにする彼女を撫でると、蛍は大人しく撫でられるままだった。
「大丈夫。絶対、皆で帰ろう」
蛍はゆっくりと頷いた。
陸奥の言う皆には、真昼も含まれている。
――即位式に、間に合うように帰れますように。
これまで首都で暮らしていた陸奥は、この旅で色々な場所を巡って気が付いた事があった。
首都は首都で栄えていたが、地方になればなるほど寂れたところが多くなっていた。それは仕方のない事かと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
例えばウトが今このような状態だが、王がいれば州候が腑抜けでも何かしらの対応をとるものだという。
王の有難さを陸奥はこれまで感じた事などなかったが、真昼の即位というのは民にとっては大きく、二ヶ月後に控えた即位式は、地方民にとっては長年待ち望んで事なのだ。
民衆の、王への期待は凄まじく、それは今彼らが苦しい生活を強いられているという現状も加味されているのだろうが、それでも皆真昼の即位を日一日と待ちわびているのを、陸奥はひしひしと痛感した。
だからこそ、早く妖怪の問題を解決して、真昼を王宮へと帰さねばならない。
――一行が安堵したのも束の間。襲撃を受けたのは、その日の夜だった。




