二話
ビクトリア帝国の辺境にある山岳地帯。
黒髪の少年が山岳の急斜を疾走していた。
途中から木から木へと、猿のように飛び移る。
その軽快な身のこなし。
少年が並々ならぬ実力者であることが伺える。
容姿的に十代後半ほど。
少女と見紛うほど可憐な美少年だ。
小奇麗な顔立ち、どんぐりのような瞳。
艶やかな黒髪は丁寧に後ろに結われている。
服装は白のタンクトップに黒の長ズボン。
身長が小さいので華奢に見えるが、しっかりと筋肉が付いている。
少年は山頂まで上り詰めた後、ほっと一息ついて汗を拭った。
「何だ? それで終わりか?」
「!!」
少年は顔を上げる。
山頂にある小屋の前に、黒髪の美丈夫が佇んでいた。
「……師匠!!」
少年は黒髪の美丈夫、ウィルに駆け寄り、礼をする。
「師匠!! お久しぶりです!!」
「おう。で、修行はもう終わりか?」
「いえ! まだ始めたばかりです!!」
「そうか……よかった。もしアレで終わりなんて言ったら、ど突いてやるところだった」
ウィルは肩を竦め、少年に歩み寄る。
「昴。今日一日お前の修行に付き合う。まずはお前がどれほど強くなったか、俺に見せてみろ」
「……はい!!」
少年、昴は満面の笑みで頷いた。
◆◆
ウィルは毒人間である。
正確に言えば、強力無比な毒の抗体を持った人間だ。
ウィルは暗殺者になる過程で、三千世界のありとあらゆる毒を飲んだ。
結果、体内で毒同士が化学反応を起こし、自身で毒を作成できるようになった。
ウィルは三千世界中の毒を配合できると同時に抗体を作成できる。
もし新たな毒が発見されても、体内に摂取すれば瞬時に抗体を作成、構造を理解しその毒を配合できる。
まさしく毒の申し子。
麻痺、睡眠、出血、神経、致死。
ウィルに配合できない毒は無く、ウィルに効く毒は存在しない。
これだけ聞けばウィルは危険生物に認定されてもおかしくないのだが、毒を完全に制御できているので、全く問題にならない。
過去、ウィルの毒で領民が傷付いたことは一度もなく、領民からは全幅の信頼を寄せられている。
また、毒以外にも有毒な化学物質や病原菌を作成できる。
インフルエンザや癌も配合でき、同時に抗体を作成できる。
実は、これは凄いことなのだ。
何故か?
あらゆる病原菌の抗体が作成できるということは、それによる治療法を確立できる。
ビクトリア帝国では、あらゆる病気の治療法が確立している。
ビクトリア帝国は病気による死亡率が極端に少ない。
それはウィルのおかげだ。
ウィルが領民から感謝されている理由の一つに、コレがある。
話を締めくくり。
ウィルが昴を弟子にしたのは、自身と同じく非凡な毒耐性を持つからだ。
最も、それ以外にも理由はあるのだが――
「まずは『彼岸花』の生成。液体でだ」
「はい!!
昴は手の平に赤い液体を生成する。
『彼岸花』
不老不死すら問答無用で殺す致死性の猛毒だ。
気体化、液体化、固体化が可能な万能タイプ。
体内に侵入後、個体差こそあるが一分ほどで全身から血を吹き出し死亡する。
派手な死に方をするが、痛みは伴わない。
応用力、実用性に優れているので、ウィルは最も多用する。
「遅い!! 次は固体化!!」
「はい!!」
「……ふむ、まぁまぁだな。次は気体化! 効果範囲は直径一メートルで抑えろ!」
「はい!!」
昴は懸命に毒を生成する。
三千世界のあらゆる毒を攻略した「毒のスペシャリスト」であるウィルと違い、昴はまだまだ半人前。
毒の配合時間、濃度、全てが未熟だ。
しかしウィルは妥協しない。
昴が今できる最大の毒を配合できるよう、心を鬼にする。
弟子だからと甘やかさない。
いいや、弟子だからこそ厳しくするのだ。
◆◆
昴はウィルから暗殺者としての極意を複数伝授されている。
その一つに、『死神の外套』と呼ばれる技がある。
『死神の外套』
ようは透明化。
しかしただの透明化ではなく、因果律を操作し自身を世界から「薄める」。
その効果は視覚的なものにとどまらず、体臭・体重・体温・触感など自身の存在に関するあらゆる情報を希釈する。
また事象現象問わずあらゆるものを任意に透過させることが可能。
この技によって使用者はあらゆる障害を無効化し、どんな場所にでも自在に潜入することができる。
攻撃を透過できるので圧倒的防御力を誇るが、真に恐ろしいところは使用者が相手に一方的に干渉できること。
相手は使用者に触れられたとしても気付かない、気付けない。
完全無欠のステルスであり、暗殺者の極地。
ウィルが「三千世界最強の暗殺者」と呼ばれる最たる所以である。
以前の魔王討伐の際も、この技を使用していた。
これに毒や病原菌による圧倒的攻撃力が加わることで、ウィルは無敵を誇る。
ウィルにターゲット認定された時点で、その者は死を覚悟しなければならない。
現在、ウィルは小屋の前で腕を組んでいる。
昴は『死神の外套』で身を隠しつつ、ウィルとの距離を詰めていた。
至近距離になっても、ウィルは気付かない。
(ここだ!!)
昴は攻撃をしかけた。
ウィルの鳩尾に拳打を放つ。
瞬間、昴は「死神」を見た。
目の前にいるのはウィルではなく、埒外な「死」の権化であった。
「ッ」
一瞬、昴は動揺し、『死神の外套』を解いてしまう。
ウィルは出来た隙を見逃さなかった。
昴は咄嗟にガードしようとするが、ウィルは昴の両手を弾き飛ばし、ガラ空きになった鳩尾に膝蹴りを打ち込む。
昴は吹き飛び、大木に打ち付けられた。
大木が嫌な音を立てて倒れる。
昴は意識を失った。
「……ハァ」
ウィルは落胆の溜息を吐いた。
◆◆
バシャと、気絶している昴の顔に大量の水が被せられた。
「!!?」
昴は意識を取り戻す。
昴の横には、バケツを片手に持ったウィルがいた。
「何回気絶したか、覚えているか?」
「……十三回です」
昴の言葉に、ウィルはやれやれと肩を竦める。
「今日はここまでだ」
「そんな!! 僕はまだやれます!!」
上体を起こそうとする昴。
しかし全身に激痛が走り、起き上がることができなかった。
「自分の身体の状態もわからねぇのか。馬鹿弟子」
「……すいません」
シュンと落ち込む昴。
ウィルはその場で胡坐を描いた。
「心技体、全てが未熟だ。精進しろ」
「はい……」
「……」
ウィルは頬をかく。
「だが、以前稽古した時より強くなっていた」
「!」
「……この調子で頑張れよ」
ウィルは昴の頭を撫でる。
昴は嬉しそうに瞳を細めた。
「明日は休んで回復に努めろ。明後日から修行をはじめるように」
「はい!!」
昴の元気の良い返事を聞き、満足そうに頷くウィル。
そして、昴をお姫様抱っこした。
「し、師匠?」
「歩けないだろう? 小屋まで送ってやる」
「……ありがとうございますっ」
昴は嬉しそうに微笑み、ウィルに身を委ねる。
ウィルは昴を小屋へ運んでいった。