第一章 2011年3月11日 〈6〉
恵子は携帯電話で担任の大塚先生に連絡がとれるかどうかためしてみたが、やはり不通だった。携帯電話の電源を切って、上着のポケットにしまう。
「あら、雪がやんだみたい」
ヤレヤレと天をあおいだ恵子が云った。さっきまで激しい勢いで吹きすさんでいた横なぐりの雪がパタリとやんでいた。
「ああ、助かった。津波が引いているぞ」
神社へ避難していた年配の男の人も安堵の吐息をもらす。
見ると、津波は泡立つ激流となってぐんぐん引いていった。津波の去った町は大量に吐きだされた木材のガレキの山と化していた。
古い家屋には流されてしまったものもあるようだが、津波避難指定ビルの3階建てマンションや、さほど古くない家屋は床上浸水ですんだようだ。
渚も自分の家を確認しようとしたが、マンションの死角になって見えなかった。
しばらくすると、神社へ避難していた人々が動きはじめた。
「まだ動かない方がええ」
そう忠告するお年より夫婦もいたが、石段を下りて、神社より高い場所にある避難指定場所の月見台公園へ移動する者や、津波で浸水した自分の家の状態を確認しに行く者などさまざまである。
完全に津波が去ったと誤解した恵子も、渚へ銀色の防災袋をあずけて云った。
「お母さんは家にもどって戸じまりしてくるから、渚はここで待ってて」
「ぼくもいっしょに行く!」
渚が不安に駆られて云った。
「ガレキとかで足元があぶないかもしれないから、お母さんひとりの方がいいの。一応、戸じまりして、お金とか貴重品をとりに行くだけだから。すぐもどってくるから、ここで待ってて」
たしかに、渚がついていけば足手まといになりそうだし、戸じまりだけならそれほど時間もかからないとは思う。
(……ダメ!)
また、渚の耳元で声が聞こえた気がした。
「ダメって云ってる」
ふいに渚の口をついて出た言葉に恵子が笑った。
「だれがダメって云ったの? おっかしな子。大丈夫。すぐもどってくるから。約束する」
恵子は渚の手をとって指切りした。渚はしかたなく納得した。これ以上ごねたら甘えんぼうとみなされかねない。そう思われるのは恥ずかしかった。
「あ、じゃあDSPもってきて!」
渚は自分の携帯ゲーム機をせがんだ。
「……はいはい。そのかわり、ちゃんと待ってるのよ」
恵子はあきれながらほほ笑むと、石段を下っていった。
渚は神社のわきにある石碑へ腰かけた。母がもどるまでの時間つぶしもかねて、防災袋の中身を確認する。
防災袋に入っていたのは、ラジオつきの懐中電灯、ペットボトル(500ml)の水3本、乾パンの缶詰ふたつ、水でもどせるレトルトの山菜おこわ3パック、タオル3枚、ポケットティッシュと除菌用のウェットティッシュが3袋ずつ、白いビニール袋大小6枚、サバイバルブランケット3枚、ソーイングセット、防水マッチ(小)1箱、多機能ナイフ、包帯、消毒液、バンソウコウ1箱であった。
渚は防災頭巾をぬぐと防災袋へしまった。彼の着ているダウンジャケットのえりにはフードも収納されている。ちょっとした雨や雪から頭をかばうだけなら、それでこと足りる。
防災頭巾をかぶっていると、頭がぼおっと熱くて、きちんとものを考えられない気がした。
津波が引いた時に「まだ動かない方がええ」と忠告したお年より夫婦も、月見台公園へ避難した方がよいと思いなおしたらしい。
「ぼうやもいっしょに月見台公園まで避難しない?」
渚に気づいた老婦人が声をかけた。しかし、渚はかぶりをふった。
「母ちゃんと、ここで待ってるって約束したから」
「……そう。でも、もしあぶないと思ったら、広いところ、高いところへにげるんだよ」
渚は小さくうなづいた。渚がひとりであればいっしょにつれて行っただろうが「母親を待っている」と云われては、ムリにつれて行くこともできない。
神社をあとにするお年より夫婦を見おくると、渚は時間が気になった。
(今、何時なんだろ?)
小学校から避難をはじめたのが、午后3時少し前だったはずである。まだ日が暮れていないところをみると、午后5時より前であることは確実だった。
気を失っていた時間もふくめて、最初の地震からどれほどの時間がたったのか知りたかった。まわりを見まわしてみたが、どこにも時計はない。
神社は妙なしずけさにつつまれていた。小学校をあとにした時、うるさいくらい流れていた防災無線の声もいつの間にかやんでいる。
おそまきながら、渚は神社へひとりぽつねんととりのこされたことに気づいて心細くなった。
地面へうっすらとつもりかけたべちゃべちゃの白い雪を見るともなしにながめながら、
(地震や津波が夏だったらよかったのに)
と思った。冬の、しかも雪の降るくもり空の下で、寒さに凍えながらの避難はやりきれない。
そんなことを考えていると、防災袋へ入っていたラジオつきの懐中電灯に気がついた。
ふだんラジオを聞く習慣がないのでスルーしていたが、父の車でドライブへ行く時、父がカーラジオで渋滞情報なんかを聞いていたことを思いだした。
「○時○分になりました」と云う時報のアナウンスを聞いたおぼえもある。
渚は防災袋からラジオつきの懐中電灯をとりだすと、ラジオのスイッチを入れた。