第一章 2011年3月11日 〈3〉
2
渚たちがゲタ箱でクツをはきかえていると、町中にサイレンの音がひびきわたった。防災無線で「大津波警報」がつたえられる。
「町民のみなさんは……、高台へ……、避難してください……。宝船町に……、大津波警報が……、発令……、されました……。町民のみなさんは……、高台へ……」
(大橋の云ったとおりだ)
渚はひとりごちた。
海へ面するこの町は、過去にも何度か津波災害に見舞われている。
1年前に日本の裏側で起きたチリ大地震の時にも、津波は地球を半周してやってきた。
その時も高台にある宝船町公民館まで避難する予定だったが、津波は防波堤をこえることなく、被害はまったく出なかった。
さっきの地震ははげしかったが「大津波警報」なんて大げさだろうと渚は高をくくっていた。
校庭には、ヘルメットをかぶり、拡声器をもった校長先生が立っていた。ほかの先生たちもヘルメットをかぶり、緊張した面もちで立っている。
教職員をふくむ全校児童が校庭に整列した。
全校児童と云っても、3年生から5年生までである。1・2年生は午前中の授業をおえると下校していたし、6年生は数日前に卒業している。
「いちいちこんなトコならんでないで、すぐ避難すればいいのに」
渚の前に立つ樋口が云った。
「ホントだよ」
渚もあいづちを打つ。
「大津波警報」の鳴りひびく中、校長先生のかまえた拡声器が、耳ざわりなハウリングをたてた。
「ピー、ガガッ! ……あー、えー、これから宝船町公民館まで避難します。あわてず、さわがず、落ちついて行動してください。気分が悪くなったり、体調の悪い人は、すぐ先生たちに云ってください。まわりのお友だちも、おたがいに気をくばり、助けあってください。それじゃ3年生から」
校長先生がうなづくと、3年生の列が学年主任の先生にうながされて動きだした。
3
町のいたるところで塀がくずれていた。
信号機が停電していた。
屋根瓦の落ちた家屋や、棚が倒れ、床に商品の散らばっている店があった。
空の遠くへ白い煙がいくすじも立ちのぼっていた。
そう云った光景をいちいち指さして、ざわめく子どもたちを先生たちがたしなめる。
「コラ! あまりきょろきょろしない! 列を乱すと、それだけうしろの人たちの避難がおくれるんだぞ!」
「あっ、駄菓子屋のヒラノが!」
列の前の方から子どもたちの悲鳴があがった。
車道をはさんで向かいの通りに面した古い木造家屋がくずれていた。はげかけたペンキでかろうじて「ヒラノ」と読めるブリキの看板が道に転がっている。
宝船小学校へ通う子どもたちには、なじみの駄菓子屋である。店の主は何十年も子どもたちを見守りつづけてきた気のよいおばあちゃんだった。
くずれた家屋のまわりを数人の大人たちが右往左往していた。おばあちゃんはくずれたお店の中にいるらしい。
「おばあちゃん、どうなったの?」
「まだあの下にいるの?」
子どもたちの間にひろがる不安をしずめようと、古田先生が云った。
「ヒラノのおばあちゃんはオレが見てくるから、みんなはちゃんと前だけを見て歩きなさい」
古田先生は下校した2年生の担任なので、一応、手は空いている。
子どもたちの安全を確保するのが最優先だが、ヒラノのおばあちゃんは小学校の先生たちとも顔見知りである。素通りするのもためらわれた。
「ちょっと見てきます」
古田先生の言葉に3年生の学年主任がうなづいた。
「おねがいします。……早くもどってきてください」
古田先生が駆けだした。
「ほら、古田先生が見に行ってくれたから、心配しない。よそ見しないで歩く!」
学年主任の言葉に子どもたちの足が動く。
避難する子どもたちの列へ、子どもの安否を心配してやってきた親たちがくわわった。
おっとり刀で駆けつけた親もいれば、貴重品や防災袋を抱えてやってくる親もいた。
親たちは自分の子どもの無事を確認すると、先生たちとならんで子どもたちの列を見守って歩いた。
中には子どもの手をひいて帰る親の姿もあった。
先生たちはいっしょに避難する方が安全だと説明するが、学校のマニュアルでも災害時は親に子どもをたくすことが優先されているので、ムリ強いはできない。
渚のクラスの田辺篤史も、太った母親に手をひかれて避難の列からはなれていった。
いつもはひょうきんな田辺も、母親が迎えにきた気恥ずかしさと、クラスの仲間からはなれる心細さで、うつむいたままフニャフニャと落ちつかないようすだった。
田辺の母親は大塚先生へ頭をさげると、田辺をつれて小学校の方へ消えた。小学校の駐車場に車をとめているらしい。
クラスの仲間たちは羨望と冷やかしのまなざしで田辺を見送った。
それが最後の別れになることも知らずに。