第四章 夜のふたり組 〈4〉
3
目がさめると渚は闇の中にいた。いつの間にか、壁にもたれたまま眠っていたらしい。
窓からさしこむあえかな月あかりが夜であることをしずかに告げていた。土蔵の中の方が外よりも暗い。
「あ、渚、起きた?」
渚によりそっていたカナエが小声でたずねた。
(うん。カナエも寝てたの?)
「そうだね。少しだけ」
(どのくらい寝てたのかな?)
「1時間くらい。もう山菜おこわ食べられるよ」
云われてみれば、おなかが空いている気もする。しかし、渚のももへ身体をあずけて気もちよさげな寝息をたてているシリウスを起こしてしまうのもためらわれた。
土蔵の2階がうっすらと明るくなった。天井からぶら下がるハダカ電球に黄色い光がともる。カナエが神さまの力でつけたあかりだ。
(ねえカナエ。あかりとかつけて大丈夫なの? 外から見えたらやばいんじゃない?)
渚としても暗いよりは明るい方が安心だし落ちつく。とは云え、万が一にも外を通りがかっただれかに気づかれたらめんどうなことになるのではないかと心配したのだが、カナエはこともなげにこたえた。
「土蔵にも外からあかりが見えないよう結界をはってあるから安心して」
(そうなんだ。……て云うか、こんな夜にこんなところを歩きまわる人もいないか)
安心しかけた渚にカナエがつけたした。
「おまわりさんたちが車とか徒歩でパトロールするみたい」
〈産土神〉であるカナエはこの町で暮らすすべての生き物によりそっている。
そのため、シリウスのようによその町からきた人や生き物、よその町へ行ってしまった人たちのことはわからないが、それ以外の人たちのことはまるっとお見とおしである。
(〈闇蟲〉は大丈夫なの?)
「もう散り散りになったし、昨日ほど大きくないから、ちゃんとあかりをつけていれば大丈夫だとは思うんだけど……」
カナエの視線が見えない土蔵の外へとそそがれる。渚の向かいの窓の外には母屋があるはずだが、墨でぬりつぶしたかのような黒い闇がひろがっていた。
〈闇蟲〉の見えない渚は、カナエにはどんな光景が見えているのだろう? と思った。
ふたりの会話(と云っても、シリウスに聞こえるのはカナエの声だけだが)に気づいたシリウスがサバイバルブランケットの下で頭を上げた。
渚がサバイバルブランケットからシリウスの頭をだしてやると、シリウスが大きくあくびをした。ほんのりと魚くさい息が渚の顔にかかる。
「シリウスも起きたんだ。ごはんあるよ」
そう云いながらカナエが立つと、シリウスも尻尾をふって立ちあがった。渚のももをごりゅっとふみつけてカナエのあとへつづく。
(痛てっ!)
シリウスは痛がる渚にまったく気がつかないようすで、シリコンの器へ盛られる山菜おこわをすわって待っていた。くるっと丸まった長い尻尾をパタパタとうれしげにふっている。
(……まったく)
渚はシリウスの無邪気さに思わず苦笑した。ひざの上にかかっていたサバイバルブランケットをざっくりとたたんでかたわらへ置く。
「待てだよ……よしっ!」
カナエの楽しげな合図に、シリウスがはくはくぴちゃぴちゃと音をたてて食事をはじめた。
「あんまりたくさんないから、ゆっくり食べるんだよ」
カナエの言葉にふと顔を上げて小首をかしげたシリウスが、まったく勢いをかえずにそのまま食べつづけた。
「だみだこりゃ」
肩をすくめてカナエが笑いながらふりかえると、渚は土蔵正面の窓から外をのぞいていた。
「なに見てるの?」
カナエが渚の背に問いかけると、渚がふりかえらずにこたえた。
(……昨日の夜と同じだなと思って)
窓の外に広がっていたのは、死に絶えた町の暗い影だった。星のまたたく夜空よりも濃い闇が海のはてまでつづいていた。
昨夜は沖へ避難していた船のあかりがわずかにともっていたが、今はそのあかりすらない。渚の脳裏に暗闇でひざをかかえてうずくまる母・恵子が〈闇蟲〉に呑まれて消えていくイメージがうかんだ。
(ひょっとすると、母ちゃんはもう……)
渚は頭にうかびかけた最悪の結末をむりやりふりはらった。
視線を上げると窓ガラスに自分のたよりなげな顔が白くりこんでいた。
ぼんやり遠くを見つめると自分の顔が闇に溶けていく気がして、渚は云いようもない不安と哀しみにおそわれた。
知らず渚のほおをつたう涙に気づいたカナエがやさしく肩に手をかけてたずねた。
「どうしたの、渚?」
(わからない。でも、なんかさみしくて……)
カナエは手にしていた山菜おこわのパックを窓のくぼみへ置くと、しずかに渚をふりむかせて、やさしく手をとった。
「大丈夫。私がずっとついてるから。私がず~っとついてるから。さみしいことなんてなにもない」
そう云うカナエのほおにも一筋の涙がこぼれた。
(カナエ、どうしたの?)
カナエの涙におどろいた渚がたずねると、
「ううん。なんでもない」
かぶりをふったカナエがいきなり渚を抱きしめた。渚のぬくもりをひとりじめするかのようなものくるほしさだった。ふれあったほおでふたりのあたたかい涙がまじる。
渚にはカナエがどうして泣いたのかわからなかった。
しかし、それが渚に対する同情やあわれみではなく、カナエの内にあるもっと深いなにかであることだけは感じとれた気がした。渚もカナエをなぐさめるつもりで背中へ手をまわした。
(泣くなよ、カナエ。ぼくもずっといっしょだから泣くなよ)
渚の言葉にふたたび瞳をうるませたカナエだったが、口調には少し明るいひびきがあった。
「……自分が先に泣いてたくせに」
(知らないよ。わざと泣いたわけじゃ……)
渚がそう云いかけると、シリウスが近づいてきて、前足でカナエの緋ばかまのすそをカシカシとひっぱった。
(どうしたの?)
「ごはん、おかわりほしいって」
カナエは渚から身をはがすと、シリウスの前へしゃがみこんで説得をこころみた。
「あのねシリウス。たくさん食べさせてあげたいのは山々なんだけど、のこりも少ないし、この先なにがあるかわからないから節約しなくちゃならないの。わかった?」
シリウスはカナエの言葉を聞きおえると、ふたたび緋ばかまのすそを前足でカシカシした。云ってることはわかっているが、それでも少々食いたりない。
「だ~っ、つたわんないかなあ?」
頭をかかえるカナエに渚が云った。
(乾パンまだ少しのこってただろ? 朝もらったやつともう一缶あるから、あれぜんぶあげていいよ)
「う~ん、そうだね。明日避難所へ着けば、なにか食べ物わけてもらえるかもしれないし。よし、おいでシリウス」
カナエがシリウスをともなって防災袋へ歩きだす。ふと足をとめてふりかえると、窓のところを指さした。
「あ、渚もそれ食べて」
窓のくりぬかれた厚い壁のくぼみに、水でふやかした山菜おこわのパックが置かれていた。中身はシリウスにあげた分をさしひいても2/3くらいのこっていた。




