第一章 2011年3月11日 〈1〉
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(夕方から雪になるって朝の天気予報で云ってたけど、このまま降らなきゃサッカーできそうじゃん。はやく授業おわんないかな?)
佐藤渚は教室の窓の外をながめていた。
彼の黒い瞳には、空一面をおおいかくすように、うすくひくくたれこめた灰色の雲が広がっていた。なんだかすっきりしない3月の午后である。
町立宝船小学校4年3組の教室は国語の授業中だった。今日が最後の6時間授業である。
子どもたちは順番に教科書の朗読をさせられていた。テストはすでにおわり、このあと感想文を書かされるのが、いつものパターンである。
今、教科書を音読しているのは、壁ぎわの列の1番うしろの席の男子だった。
「コラ、渚! なによそ見してんの。次はあんた読みなさい。木原、すわっていいよ」
担任である大塚志穂の不意打ちに渚はあわてた。
木原とよばれた男子が着席し、次に朗読の順番がまわってくるはずだった女子、木原の左となりの席の瀬戸川有希が、
「ラッキー!」
と小さくガッツポーズした。
「えー、先生、ズルいよ」
渚は一応の抵抗をこころみる。
「ズルくない! のこり少ない私の授業で、よそ見してるあんたが悪い!」
もういくつ寝るとお正月、ではなく終業式である。
4月には全員5年生に上がるし、クラスがえもある。大塚先生も産休に入るので、新学期から最低でも1年間は顔をあわせる機会がなくなる。
(そっか。このクラスですごすのも、あとちょっとか……)
そう思うと、渚は少しさびしい気がした。しかたなく席を立ち、教科書のつづきを読もうとした時〈それ〉はやってきた。
地の底からビリビリとわき上がる細かなふるえを足の裏に感じたと思ったら、ガツン! と教室がゆれだした。
ドドオオオオ……と地ひびきがして、教室がドラム式洗濯機の中みたいに、グワングワンとゆれた。
「机の下へかくれなさい! 早く!」
大塚先生が石油ストーブのスイッチを切りながらさけんだ。子どもたちがあわてて机の下へ身をかくす。
とっさに教科書で頭をかばった渚は、ゆれたイスでヒザの裏を打ち、イスの上へ尻もちをついた。
ざぶとん代わりにしかれている防災頭巾が、尾てい骨を打つ衝撃をやわらげる。
渚は教科書を机の上へ投げだすと、ほかの子どもたちにおくれて机の下へもぐりこんだ。
背中で教科書の落ちる音がする。
ここ数ヶ月、小さめの地震がたびたび起きていたので、地震には「なれっこ」だった子どもたちも、体験したことのない強いゆれに恐怖した。
机がはげしく横すべりし、机の中に入っていた教科書や道具箱がおちこちで落ちる。
子どもたちは机の足に必死でしがみついた。背中へイスがゴチゴチとあたる。
教室のうしろのランドセル置き場ではランドセルが跳ね、そうじ用具入れの戸が開いて、ホウキやモップがうしろの席の机へ、ガカカカッ! となだれ落ちた。
その音におどろいた数名の女子が机の下で悲鳴をあげる。
教壇に立つ大塚先生は、可動式の棚に乗った視聴覚教育用のテレビをうしろ手で押さえていた。
旧式大型の重いブラウン管テレビである。万が一、人の頭へ落ちれば大ケガはまぬがれない。
机の下からのぞく子どもたちのすがるような視線に、
「落ちついて! じきに地震はやむから! 大丈夫だから落ちついて!」
と大塚先生も必死でこたえた。
ふだんの地震であれば、長くても1分ほどでおさまる。
(そろそろおさまるだろう)
そんな期待をあざ笑うかのように、はげしいゆれはつづいた。
しばらくして、ゆれが弱まってきても、大塚先生は慎重だった。
「まだよ。まだだからね。ゆれがちゃんとおさまるまで待つの。そのあとで校庭に避難だからね」
大人の大塚先生も、これほど大きな地震を経験するのははじめてだった。
子どものころ、テレビで見た阪神淡路大震災の悲惨なニュース映像を思いだしていた。
震災について知っているつもりでいたが、本当のおそろしさなどちっとも知らなかったことに気づかされて、がく然とした。
教室全体の緊張がゆるみかけたその時、ドンッ! と地の底からつき上げるような衝撃が走ると、さっきよりもさらにはげしくゆれだした。
子どもたちは精いっぱい体をちぢこませながら、必死で机の足をにぎりしめた。
サッカーの試合中、数人でうばいあいになったボールみたいに、あらゆる角度からけりまくられている気分だ。どこにも逃げ場がない。